22. 二人、衝突する。
本日分の投稿が遅くなりました。
申し訳ありません。
二日目の予選に、凄腕の仮面の少年が現れた、という噂は、瞬く間に会場中を駆け巡った。
十二、三歳ほどの体格ながら成人が扱うような長剣を軽々と扱う少年は、開始の合図とともに疾風のように駆けだし、油断していた対戦者たちの足下を次々と払っては戦闘不能にさせた。
その圧倒的な速さと強さに、会場は大いに沸いた。顔の半分を狐のような妙な仮面で覆っているため、表情も素性も見えず、性別も分からないという点もまた、観客たちの興味を引いた。
「姫様、やりましたね」
「ニコ!」
自身の出場が終わった途端逃げるように会場を走り去ったアニカは、人気のない所で待っていたニコに飛びついた。
「できた! 私できたよ!」
「はい、姫様。お見事でした」
アニカの背をさすりながら、ニコが万感のこもった声で応じる。
男性はまだ怖いが、それでも目的は達成できた。何も出来なかった三年間に比べれば、これは大きな前進と言えた。
「ニコ……。本当に、今までありがとうね」
久しぶりに嬉しくて涙が滲みそうになるアニカに、ニコも「いいえ」と何度も頷く。
「これも全て、姫様が頑張ってこられたからこそです。おめでとうございます」
祝福の言葉以上に、ニコの嬉しそうな笑顔こそが、アニカにとって一番のご褒美に思えた。
三日目はまた部屋に籠って、アニカは四日目に備えた。ラズやラウル、レヴィも予選を通過したという知らせは、ニコから聞いた。ラズも圧倒的だったそうだが、ラウルには鬼気迫るものがあったという。
そして迎えた四日目。町では春の花嫁に選ばれた少女たちが、籠にたっぷり摘んだ春の花々を人々に配っている頃。
「こここわくないぃぃいっ」
アニカは対戦順の番号札を握り締めながら、再び人の来ない一角で蹲っていた。
二日目と同様に後頭部で髪をまとめ、男性物の立ち襟と上着姿だが、今日はより男性らしく見えるように、腰帯の代わりに剣帯を吊るしている。
が、その行動のせいで全ては台無しであった。
「姫様、男性らしく、です」
頭上からかけられたニコの声に、アニカはひゃっと思い出したようにぴしりと背筋を伸ばす。
「わ、分かってるわっ」
ずれた狐の面を直し、深呼吸して気持ちを入れ替える。そして改めて、手の中の木札を確認する。そこには八番と彫られてあった。
ニコが言うには、振り分けは単純に予選三日間の対戦組の順番が、そのまま勝ち抜き方式の本戦に反映されただけだろうとのことだった。
現に、三日目に予選を戦ったラズたち三人は後半組らしく、決勝までいかなければ当たることはない。
(ラズ様とは、まともに戦える気がしない……)
考えてまた気落ちしながら、アニカは人目を避けて順番を待った。
沿道に並ぶ天幕から漂う、肉の焼ける匂いや甘い香りに腹が空きだした頃、四組目のアニカの順番が回ってきた。
競技場に入ると予想外に観戦席が埋まっていてびっくりしたが、予定通り相手が動く前に勝利した。
しかし夕方に始まった二回戦目は、あまり上手くはいかなかった。一回戦よりも一回り以上体格差があったこと以上に、相手の警戒心が強かった。
アニカの噂を聞いたのか、開始直後の速攻を警戒され、一撃目を躱されたあとは全く打ち込めなくなった。だがそれでも対戦相手が抗戦に出た瞬間を狙い、なんとか一撃で仕留めた。
「こっ、こ、こっ、」
「鶏の真似ですか? 大変お上手です」
「怖かったぁぁっ」
退場と同時にニコの胸に飛び込んだアニカは、半泣きになりながら訴えた。
「レヴィ様より背が高くて、横幅も胸板も確実に倍はあった! 性別不明と思い込むとか! 無理があるぅっ!」
いやいやと、ニコの胸に額をこすりつけて首を振る。その背をぽんぽんと叩くニコ。
人気の出た出場者には、毎年退場後に観客が群がるものだが、ニコの人払い以上に、仮面を外し上着を女性物に変えるだけで、目眩ましの効果は十分にあった。
特に第二王女と言いながら三年程顔を晒してこなかったアニカに、そもそも気付く者も少なかった。
「怪我の功名ですね」
「ふぇ?」
一人頷くニコに、ひとしきり喚き終わったアニカが顔を上げる。と、次の出場者であるラズが競技場に入っていくのが見えた。
「……ラズ様は、優勝したら何を願うのかしら」
入口の奥に消える背中を見送りながら、ぽそりと呟く。知らず漏れていた声であったが、反応はあった。
「恐らく、メトレベリ様は優勝が目的ではないでしょう」
「目的……」
ラズはニコからの伝言で「今度こそ」と言っていた。つまりアニカとは過去にも対戦したことがあるということだ。
けれどアニカが手合わせしたのは、王立全学校でだけだ。ラズが何をそこまで拘っているのかは分からないが、アニカとの手合わせを気にする者など限られている。
「…………っ」
考えた瞬間鳥肌が立って、アニカは自身の両腕をさすった。やっぱり、少し前進できたと思っても、あの時のことを考えると身動きが取れなくなる。
王立全学校の、同じ年頃の少年。もし、ラズがあのそばかすの少年の仲間だったら。正体を隠して近付いてきたのも、ニコたちが何かしらしたことに対する報復のためだったら。
考え出せば、キリがなかった。ラズの伝言を聞いたあとは、夜目を閉じても色々なひとたちの顔が浮かんで、マルティともろくに会話が出来なかった。
そんなアニカを見かねてか、ニコが話題を変えるように「そういえば」と矛先を変えた。
「姫様は、優勝したら何をお望みですか?」
「それは……もちろん、」
二度と男性と関わらないように、と言おうとして、けれど言葉は続かなかった。
アニカのこんなささやかな望みにも、両親は頓智で答えるのだろうか。男性ということは、父も兄も弟もかとか、降嫁の約束は反故にするのかとか。
(まだ優勝もしていないのに、バカみたい)
魔女クィルシェは蘇らない。それでも、アニカは城から出なければならない。この男性恐怖症が治っても、治らなくても。
「……まだ、分からないけど、とにかく今みたいな強引な婚約の話は、やめてほしいってお願いしてみるつもり」
「そんなことを言うためだけに、この大会に出たのか」
「!」
返ると思っていたニコの声よりも随分低い声が返事をして、アニカは驚いて後ろを振り返った。
そこにいたのは、元々の三白眼を更に険しく細めたラウルであった。背後にはレヴィと、遠まきにマルセルもいる。
ラウルとレヴィは二回戦に出場するため近くにいても不思議ではないが、マルセルは確か直前に不参加を表明したはずだ。アニカたちを観察するような静かな視線に、春祭りの前日のことを思い出して、どうしようもなく全身が震えだす。
けれどそれ以上に、眼前に立つラウルが放つ怒気に、アニカは視線を逸らせずにいた。
「ラウル、さん……」
ラウルはいつも厳しい顔付きをしてはいたが、アニカに対して怒ったことは、多分なかったはずだ。けれど今アニカに向けられる眼差しは、怒りを通り越して、軽蔑しているようにすら見えた。
「婚約者を押し付けられるのが嫌なら、それを言えばいいだけだろ。そんなことのために、こんな大袈裟な話にしたのか」
ずいっ、と一歩距離を詰め、ラウルが非の打ち所のない正論でアニカを詰る。アニカは本能的にニコの背中に隠れてしまった。
けれど背丈はほぼ変わらないはずなのに、放たれる威圧感はニコをものともせずアニカの意思を挫けさせる。
「そ、それは……でも、言えなくて……」
「決めたのは妃殿下だろう。たかが母親に、嫌だというだけのことが言えないのか」
「い、言いたいです、けど……怖いというか、」
「何でもかんでも怖いか。やってみもしないうちから」
口を開く度に苛立ちが増すラウルに、アニカは返す言葉もなかった。
母に対して強く言えないのは、確かに怖いというのも勿論ある。だがそれ以上に、提示された猶予期限に母の期待に応える成果を出すことが出来なかった、その負い目の方が強くあるのだと思う。
母は過程よりも結果を重んじる。それは王族として必要な姿勢だとは理解している。そして、アニカは出来なかった。その上で発言権があるなどと思える程、アニカは分を弁えていないわけでもなかった。
「母親の言いなりにもなれないなら、あの眼鏡野郎じゃないが、婚約の話を粛々と受けたという第三王女の方が、余程覚悟が決まっている」
ニコの背中で押し黙ってしまったアニカに、ラウルが忌々しげに嘆息して吐き捨てる。あまりの反論の余地のなさに唸ったアニカはけれど、その中に聞き逃せない単語が入っていたのに気付き、思わず声を上げていた。
「え、それって、サーシャのこと……?」
ラウルの視線が怖くて、代わりにそっとニコを見上げる。と、小さく頷かれた。
「二週間程前のことだと思いますが、まだ意思の確認が行われた程度だとはお聞きしました。ラシャ様などは、その日のうちに妃殿下に直談判に行かれたと伺っています」
初耳であった。
部屋から出ない分、城内の噂にも疎くなるのは致し方のないことだが、九歳の妹にまでもうそんな話が出ていることが驚きだった。
(だから、ラシャはあんなことを……)
そしてやっと、双子の弟の不可解な行動に少しだけ得心が行く。きっと兄か母になにごとか吹き込まれたのだろう。
そして同時に、九歳の双子ですら頑張っているのに、今もニコの背中にしがみついて震えている自分がどうしようもなくダメでグズな人間に思えて、辛かった。
「今年は、俺が優勝する」
「っ」
「こんな下らんことを言う奴に負ける謂れはない」
ラウルの覚悟と、アニカのそれでは、きっと比べ物にならない。そう思ってしまう時点で、気持ちで負けているということを、アニカは嫌になるほど思い知らされた。
反論など、微塵もない。
すっかり委縮してしまったアニカの耳に、その時、ふっ、と場違いな笑声が届いた。驚いて視線を上げると、それまでラウルの後ろで黙していたレヴィが、皮肉げに口元を歪めてラウルを一瞥していた。
「君がそれを言う?」
「……何だと」
「君だって、父親に直接言えないから、こんな回りくどい手段を使って望みを叶えようとしているくせに」
「黙れ」
「親に素直にものを言えないのは、結局君も同じだと思うけどね」
「黙れ!」
アニカの前では初めて見せるレヴィの挑発的な態度に、ラウルの鋭い怒声が飛ぶ。そのあまりの剣幕に、アニカは自分に向けられたわけでもないのにびくりと縮こまった。
一触即発の雰囲気で睨みあう二人からは、学生時代からの仲の良さ以上に、好悪だけでは説明のできない因縁めいたものを感じさせて。
アニカは、剣の稽古が始まる前に立ち聞きしてしまった二人の会話を思い出していた。
あの時のレヴィは、ラウルを強く心配していた。それが何のことかは分からなかったが、今の話を聞く限り、ラウルが家名のアルベラーゼを名乗らない理由と同じところに原因があるようだが。
だがそれ以上に、アニカにはあの時のレヴィの切なげな表情の方が気にかかった。なぜラウルを挑発するのかは分からないが、それがレヴィの本意だとは思えない。だが。
「黙らせたいなら、次の対戦で僕を倒せばいい。君には簡単なことだろう。試合形式なら」
「…………」
最後の一言に、ラウルの雰囲気がひりつくほどに変わる。
それが決定的に、二人の意志を違えさせた。




