21. アニカ、男になる。
翌日は、朝から春祭りの祝砲が蒼天を震わせた。
春祭りの初日は、ラマズフヴァル城の謁見の間に多くの貴族が訪れ、国王王妃両陛下に今日の良き日と春の訪れを言祝ぐことから始まる。
国王はもとより、王妃も贅を極めた豪奢なドレスと華やかに揺れる髪飾りや金糸の上着をなびかせ、挨拶に声をかけてくる貴婦人がいつも以上に後を絶たない。
いつもは斜に構えた王太子ですら、今日ばかりはチョハと呼ばれる丈の長いコートに細身のロングブーツという正装である。両肩の端から礼装のマントを翻す姿は、黙っていれば美丈夫に見えないこともない。
(見てないけど)
結局、アニカは昨日の二つの出来事もあり、部屋に籠って誰とも会わないまま、自室からそれらの喧騒を聞いていた。
春祭りが始まるとなると、その一月前くらいから城内で働く人々は慌しく、ぴりぴりしてくる。それでもいざ祭りが始まれば、城内に籠っていた緊張は一気に祝賀の雰囲気に変わり、人々の顔も明るくなる。
窓から見下ろす南庭も、庭師がこの日に完璧に合わせた薔薇の花々が一面に咲き誇り、無数に行き交う人々の笑顔を一層綻ばせている。
(見てないけど)
更に進んで城門をくぐれば、伝統的な民族衣装をまとった踊り子や観光客がそこかしこに溢れているはずだ。大通りの両脇には無数の天幕が立ち、様々な料理や歌を振る舞って道行く人々を手招きする。
民家の軒先には魔女クィルシェを模した色とりどりの人形が厄除けとして飾られ、最終日にはあちこちの広場で豪快に火にくべられるのだ。
その火が燃え尽きる瞬間を共に見た男女は、末永く幸せになるというジンクスもある。
(見てないけど。というか、もう二度と見に行けないかも……)
子供の頃に姉と一緒に少しだけ見物して回った頃の記憶が懐かしくて、しんみりと思い出す。あの時、毎年市井の十二歳以下の少女の中から選ばれるという春の花嫁が自分よりもよっぽどお姫様らしくて、純粋に目を輝かせて見上げていた記憶がある。
しかし男性恐怖症を治す見込みがない今となっては、町に下りることなど夢のまた夢であろう。
ニコも、事情を聞いているのかどうか、昨日一声かけただけで、剣の稽古も婚約者候補と話すことも強要しなかった。
けれど最終日の本戦に向けて、一日目から無所属の一般部門の予選は始まっている。そして明日と明後日の二日間で、騎士団や学校出身者の予選も行われる。
掛布にくるまっていられるのも、この一日だけだ。
(明日には……)
明日には二日間の予選、それを勝ち抜けば四日目と五日目には本戦に出場しなければならない。
しかも本戦が一対一の勝ち抜き式に対し、予選は組ごとに分かれての全員参加型の乱戦形式だ。対戦相手の九割は恐らく男であろう。
それを考えるだけでまた一層気が滅入った。
「姫様。明日のお衣装をお持ちしました。ご試着なさいますか?」
昼頃、ニコが寝室の扉をノックした。アニカは重い体を引きずってニコを招き入れた。
ニコは、誰から聞いたのか、あのあと寝室に顔を出すと、無言で寝台のシーツを全部剥ぎとって出ていった。そして新しい寝具を持ってきてベッドメイキングが完了するまで、一言もアニカに事情を聞いたりはしなかった。
結局、夜にマルティが扉をノックする寸前まで、アニカはニコにしがみついてしゃくり上げていた。ニコは、今までのようにただ「大丈夫です」と言って、アニカが落ち着くまで背中をさすってくれた。
ただ側にいてくれるだけのことが、どんなに心強いか。
改めて、ニコと離されたらやっぱり死んでしまうと、アニカは思った。
「王立全学校時代に着用していた物と同じ型で整えました。その方が、動きやすいでしょう」
「……ありがとう」
言われた通り、もそもそと着替える。
男性用の立ち襟の制服を基本に、前合わせの丈長の上着や幅広の腰帯で女性らしさを出した作りだ。今までのドレスよりも断然動きやすいが、気持ちは塞ぐばかりであった。
「私に、出来るかしら……」
「では、どなたかをお選びになりますか?」
手に持った狐の面を眺めながら呟くと、すかさずニコが無情な提案をねじ込んできた。昨日の優しさは既に時間切れらしい。
だがそれに文句を言うよりも先に、脳裏にラズの顔が浮かんで、アニカは慌てて首を横に振った。
「そんな……簡単にできたら、こんなに悩んでないわ」
「…………」
ニコの物言いたげな視線には応えられず、アニカは再びドレスに袖を通す。その横で大会用の服を畳みながら、ニコが「そう言えば、」と切り出した。
「メトレベリ様が」
「っ!」
「何度もお話をしたいと、姫様への取次ぎを希望されていましたが」
「だだダメ! 絶対ダメよ!」
「はい。絶対に誰も通すなとのことでしたので、それはもうこっぴどく追い返しました」
「そこまで!?」
出し抜けに頭の中にいたひとの名前を呼ばれ挙動不審にもその場に飛び上がったアニカだが、続く言葉の容赦のなさに思わず声を上げていた。ニコがこっぴどくというからには、アニカの想像以上に冷たく容赦なくボロボロに追い返したに違いない。
想像した途端、ラズに悪いことをしてしまったと思う。
昨日、ニコがマルセルの触れた寝具を全て取り換えてくれたのは、他でもないラズが報告してくれたからだろう。それが計算でも善意でも、アニカには有り難かった。
でもやはり、ラズがジーラであることを隠し近付いたことを思い出すとまだ怖いし、許せないし、当然の対応、のはずだと思う。
けれど。
「そういう意味じゃ、なかったんだけど……」
「では、どういった意味合いで?」
「どうって……」
ニコに追及されても、胸の中のもやもやした感情は、うまく言い表せなかった。会いたくないのは本心だが、このままずっと会わないままというのは、それもまた望んでいないような気が、する。
「ジーラさんに会いたい……」
悶々と考えていた末にぽそりと出てきた自分の声に、アニカは驚いて口を塞ぐ。しかしニコにはしっかり聞こえていたようで、栗色の瞳にじぃ、と見つめられた。
「ジーラ、ですか?」
「あっ……」
正体を知る前なら何の抵抗もなく聞けたであろうが、今はとても相談できない。
ニコにからかわれるという心配よりも、男性が女性の服を着ていたという事実を許可もなく他人に吹聴するのは、嫌なことをされた相手でもさすがに憚られた。
(趣味……じゃない、ものね?)
でも、もし趣味だったら悪意ではないのかも、と一瞬考える。すぐにまさかね、と否定はしてみるものの、こればかりは本人に聞いてみないと分からない。
そして浮かんだのは、ジーラが教えてくれた言葉だった。
『何を考え、それぞれの状況でどう動くかを知るものだろ』
アニカが相互理解について悩んでいた時にかけてくれた言葉。まだ誰に対しても、全然実践できていないけれど。
(ラズ様が何を考え、どう動くのか……)
ジーラだったら、少しだけだが分かるような気もする。けれどラズに置き換えると、よく分からない。二人は、同一人物のはずなのに。
考えれば考える程頭がこんがらがってきたアニカに、ニコは更に余計な情報を与えくれた。
「ちなみに、話すのが無理なら伝言をと頼まれておりますが、お聞きになりますか?」
「伝言?」
一瞬、実は趣味なんだ、と言われるかと思い、目で続きを促す。それが失敗であった。
「『俺は今度こそ殿下に勝って、必ず優勝する』だそうです」
「!」
予想外の強い宣言に、アニカは僅かに浮き上がった心が再び地に沈むのを、否応なく感じてしまった。
◆
武闘大会は、王家の東の森に面した円形競技場で行われる。
ラマズフヴァル城は小高い丘の上にあり、競技場もその斜面を活かすように観客席が階段状に作られている。
普段は軍の演習や馬上槍試合などに使われるくらいであまり人気がないが、この日ばかりは貴賤の別なく大勢の人が出入りしていた。
周囲や町の中心部に続く道には無数の天幕が並び、春の花が咲き乱れ、出番のない時間は皆自由に祭りを満喫している。
が。
「ここここここわくないいいいぃぃっっ」
「残念ながら全く説得力がございません」
ニコに誘導されて出場者の受付を済ませ、出場する組の待合天幕に顔を出したアニカは、速攻で回れ右をして人のいない隅で震える声を上げていた。
今年の参加者は全部で百五十八人。
予選ではそれぞれ十人前後で一組とし、一般では六組、貴族では二日間で十組の試合が行われる。
合計三日間の予選でその十六人に残れば、四日目からの勝ち抜き戦への参加資格を得る。
ちなみにニコにお願いして聞いてもらった女性参加者の割合は、一割程度らしい。
(聞かなきゃ良かったぁ)
久しぶりに引っ張り出してきた愛用の長剣を抱えながら、アニカはその場に蹲る。
男性服を着ている分余計に小さい印象が強くなり、その姿はどう見ても弱そうであった。同じ組の参加者にこんな姿を見られたら、開始と同時に集中攻撃されるのは目に見えている。
しかしこれもニコにとっては予想通りの始まりであったらしい。
ニコは欠片の動揺も見せず、後頭部で一つにまとめた馬の尻尾のような主の後ろ髪を見下ろしながら、「姫様」と呼びかけた。
「姫様は今、面で顔を隠し、服装も真っ平らでまるで男性のようです」
「……いま一瞬他意を感じたのは気のせいかしら」
思わず、怖くないと言い聞かせるのを止めて、自分の膨らみの見当たらない胸をさする。
確かに、男性らしい精悍な服に、奇妙な狐の面で顔の上半分を隠した姿は、少しも女性らしさはない。どちらかというと中性的というか、少年的というか。
(あ、自分で自分を落としてしまった)
ずーん、とショックを受けるアニカには気付きながらも、ニコは淡々と話を続ける。
「姫様を女性だとすぐに気付く者は、そうそう現れないでしょう。しかし代わりに、弱そうな少年だとは思われるでしょう。侮られて開始と同時に集中攻撃を受けないためには、姫様が常に男性らしく威風堂々と振る舞う必要がございます」
「……そんなの、出来たら苦労しないよ」
「いえ、折角その変な面をつけているのです」
「変って、選んできたのはニコでしょ?」
自分の狐も相当だが、ラズの可愛らしい兎は、アニカのためという以上に絶対面白がっていたと思う。
が、やっぱりニコは気にしない。
「実戦慣れしていない相手を倒すくらいであれば、仮面の狭い視野で、更に相手の腹と足元だけを注視するようにしても、姫様には問題ないでしょう」
「お腹と足元……」
「そうです。一見しただけでは性別の分からない、腹と足です」
ぐっ、と親指を立てられた。
「…………ニコ!」
飛びついた。
「そうよね! 男性だって頭が認識しなければいいんだわ! そして女だってバレる前に全てを片付けてしまえば、一切の問題は発生しないッ」
「そうです、姫様。一世一代の役者となって、この四日間は男になりきるのです!」
再びの光明が、アニカの頭上に輝いた。




