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1. 男の人、怖いです。

 シルヴェストリ王国は、深い森の奥の母なる大樹デダ・ツカリに大精霊フィリラの加護を授かったことから始まったと云われる小国である。


 アイルティア大陸の南西部に位置し、自然豊かな大小の山脈と内海に囲まれた、肥沃な土地を持つ。

 その土地柄ゆえ、古来より数多くの民族が行き交う交通の要衝であり、幾度も帝国をはじめとする他国の脅威にさらされてきた。

 古代の王たちはその度に、母なる大樹の恩恵である不思議の力――魔法を使い、民と土地を守ってきた。


 だが度重なる戦争や森林の開拓により、森が消え、大樹が緑の葉を失うと、王家の持つ魔法の力もまた徐々に弱まっていった。

 現代では魔法やその使い手といえば、やんちゃな子供を言い聞かせる伝承やお伽噺の中だけの存在となってしまった。

 しかし歴代の王たちは、魔法を喪ったあともこの国の民と大樹を守り続け、その信頼はいまだ変わらず続いていた。




 ――のであるが。


「アニカ王女様って、結局どんなお方だったんでしょう?」


 王城ラマズフヴァルの西側に建つトゥヴェ宮の一室にて。

 本日も、何の商談も成立出来ず肩を落とす羽目になった服飾商人を見送ったあと。部屋を片付け始めた侍女たちの一人が、そう呟いた。


 見れば今年城勤めになったばかりの新人が、世話係の先達に困惑顔で尋ねているところであった。


「もしかして、結局一度も動くところを見ていない?」


 手際よく既存のドレスやリボンを片付けていた年嵩の侍女が、少しだけ目を大きくして問い返す。


「はい。結局、毎朝の身支度くらいしか接点がなく……。もう数日で、例の期限も来てしまいますし」


「あぁ、そうだったわね」


 理想と現実の落差に肩を落とす新人に、年嵩の侍女が合点して頷く。


「姫様は、昔はそれはそれはお可愛らしくてね。お髪ぐしも今より金に近くて、本当にお人形さんみたいだったわね」


 当時を思い出すようにしみじみと語る。するともう一人の侍女も触発されたように、手は止めないまま言葉を重ねた。


「お優しくて純粋で、お兄様の嘘を信じてはいつも泣かされていましたね」


「そうそう。王太子殿下はそれが楽しくてまた嘘をついて」


「その嘘がきっかけで、男の子たちに混じって剣のお稽古まで始められて」


「習い事は何でもお上手ではあったけれど、あの頃は剣が一番お強かったわね」


「同い年の中では向かう所敵なしだったとか」


「賢王ヴァシリー五世の再来とか言われてたっけ」


 いつしか二人で思い出話に花を咲かせだした先輩たちに、新人侍女はついていけずに困惑を深めていた。話が進むほどに、皆に愛される優秀な王女様像が出来上がってしまったからである。

 新人はついに信じられないというような色を滲ませて、疑問を零す。


「そ、そんなに凄いお方だったんですか?」


 それは本当にこの扉の向こうにいるはずの人物のことかと、目線が語っていた。二人の先輩は一転、申し合わせたように眉尻を下げて、その視線をなぞる。

 そして。


「「……三年前まではねぇ」」


 手に手に持った刺繍も煌びやかな服飾品を丁寧に畳みながら、ため息も大きく呟いた。




       ◆




「って言ってましたよ」


 侍女たちが小私室をすっかり片付けて無人となったあと、侍女頭であるニコ・メルアは、諸々の報告のために奥の寝室にノックと共に乗り込んだ。


「…………」


 返事はない。姿も見えない。が、いることは分かっていた。

 閉めた両開き扉の前で直立不動のまま、待つこと数秒。


「――ももも、もう、」


 無人に見える室内のどこからともなく、蚊の鳴くような声が上がった。


「子牛の真似ですか? 大変お上手です」


 真顔で相槌を打つ。が、声はそんな冗談に構う余裕もないようで。


「もう商人は帰った!?」


 声に滲み出るその必死さに、もうちょっと茶化そうかと考えていたニコは、数秒物言いたげな沈黙を挟んでから、「はい」と神妙に頷いた。


「今し方、めっきり持ってくる量の減った荷物を引きずって、お帰りになられましたよ」


「ほほ、本当? 男の人は、もういない?」


「本当です。この階の廊下は、姫様のせいでほぼ殿方禁制となっておりますので」


「よ、良かったぁ」


「ちっとも良くはございません」


「…………」


 ぴしゃり、と否定する。

 反論がないところを見ると、自分の我が儘で周囲に迷惑をかけている自覚はあるらしい。

 更に待つと、やっと部屋の景観に変化が訪れた。


 壁と寝台に挟まれた狭い隙間から、ひょこり、と癖の強い赤茶色の髪が現れたのである。おずおず、という表現がぴったりの速度で、次には頭頂部の丸みが視認できる。

 その下も、じれったいほどの速度で順に現れた。


 気弱さを表すように下がった眉に、泳ぎまくっているヘーゼル色の瞳。低い鼻に薄い唇。隠れていた寝台の陰からやっと立ち上がったのは、何故かニコと同じお仕着せを着た、背も低くて肩も細くて胸も薄い、全体的に残念な少女であった。


 アニカ・ココイトゥイ・バチュリア、十五歳。

 シルヴェストリ王国の、由緒正しきバチュリア王家直系の第二王女である。


 この、社交界で引く手数多となるはずの肩書を、しかし全力で台無しにしているものがそこにはあった。びくびくした態度でも、侍女用のお仕着せでもない。


 両手に力強く握られた人形ひとがたをした何か、であった。


 少女が持つようなお人形にんぎょうでは、勿論ない。

 それは全身が麦藁むぎわらでできており、可愛らしいドレスの代わりに関節各所を細い麻縄で縛りあげられた、不気味なばかりの物体であった。しかも足らしき部分には、天井の梁にでも打ち込むような特大の釘が刺さっている。


 ニコはそれを視認しても、悲鳴を上げるどころか眉一つ動かさず、世間話の延長のようにこう聞いた。


「して、今回はどなたに見立てておいでだったのですか?」


 この問いに、部屋の主は初めて常人に追いつく速度でバッと立ち上がった。得意満面、例の気持ち悪い藁人形をぐっと顔の前に突き出す。


「もちろん、さっきの商人に決まっているわ。これ以上私の方に近寄らないで早く帰ってって念じていたの!」


「道理で、あの商人、足を引きずりながら帰っていくなと思いました」


 しかめつらで頷く。

 本当は、単純に年頃の王女という格好の大口顧客を相手にしているのに、ここ数年一向に売り上げが出ないことへの嘆きなのだが、親切に教える気は更々ない。


 案の定、突き出したボロボロの藁人形をまた胸元に抱え込み、「えっ」と狼狽えた。


「ほ、本当に効いたの? やだ、そんなつもりじゃなかったのに」


 藁人形といえば、海を隔てた東方諸島では相手を呪うための呪具の一種だ。という売り込みで出入りの商人から買ったくせに、では一体何のつもりなのかという突っ込みは、もうしない。


「悪いことをしちゃったわ。明日には治っているかしら……」


「……まぁ、多分、きっと」


 すっかり落ち込んだ女主人に、ニコは仕方なく適当な相槌を打つ。新しい商談でも成立すれば、たちまち元気になるであろう。


「良かったぁ。でもそれなら、もうあの商人はここには来ないかしらね?」


 ね? と嬉しそうにはにかむ少女に、ニコはついに溜息をもらして具申した。


僭越せんえつながら、王族の私的空間である寝室に無断で入ってくるような不届き者は、そうそうございません」


「あら、でもニコはいつも勝手に入ってくるじゃない」


「…………」


 本気の真顔で、心底不思議そうに返された。


 ニコは一瞬押し黙ったあと、お仕着せのドレスの裾を後ろ手でそろりとまくし上げた。そこから現れたのは、十代後半の輝くばかりの太ももーーに取り付けた剣帯であった。五本並んだナイフのうちの一本をしゅらん、と右手で引き抜く。

 そして。


「……それは、姫様が、お返事なさらないからでしょう!」


「ひゃ!」


 シュッ、と主めがけて投げつけた。狙い通り、獲物は藁人形を貫いて壁に突き刺さる。


「と、突然なにするのっ」


 気の抜けた悲鳴を上げて寝台の上に逃げたアニカが、壁に突き刺さった手の平大のナイフを指さして叫ぶ。

 だが主の非難など聞き飽きているニコは、構わず剣帯から追撃のナイフを二本、抜き取った。


「突然ではありません。いい加減その男性恐怖症を治してくださいと、散々申し上げておりますでしょう!」


 そしてシュタタッ、と今度は二本いっぺんに寝台上の主に投げつけた。が、今度はアニカは避けず、右腕を大きく振りかぶる。

 カンカンッ、と鈍い金属音が立て続けるに上がり、ぽふ、とナイフが寝台に落ちる。アニカが、藁人形とともに隠し持っていた小ぶりの金鎚で弾いたのだ。


 ニコは構わずナイフを投擲し続ける。


「わ、私だって治したいけど!」


 カキン、カキン!


 涙目になって抗議しながら、アニカは弱腰の口調とは正反対の俊敏な動きで叩き落していく。


「男の人って聞くだけで鳥肌が立って、怖くて震えちゃうんだものっ」


 シュッ、カキンカキンッ!


 飛び交うナイフから逃げながら、昔の稽古の癖で、アニカはお仕着せの前掛けの下に隠していたものに手を伸ばす。


「仕方ないじゃない!」


 短剣である。装飾など一切ない、実用一辺倒のそれを振りかぶる。


「仕方ないなんておっしゃって何もなさらないから、もう王妃様とのお約束の日が目前に迫っているのですよ。どうなさるおつもりですか!」


 迫る短剣を横に転がって避けながら、床に落ちたナイフを拾って更に投げつけるニコ。その首元めがけ、アニカの追撃が迫る。


「どうするって!」


 ザン!

 捌ききれなかったアニカの短剣が、ニコの左頬脇の床に突き刺さった。柄を握っていたアニカの手から、ゆっくりと力が抜ける。


「それで解決策が浮かんでたら……、恐怖症になんてなっていないわ」


 すっかり覇気の消えた声でそう呟いて、アニカが両膝を着く。そうして前掛けの下に隠した剣帯に短剣を戻す姿に、三年前まで王立全学校の実技で負け知らずだった面影は微塵もない。


 男性が怖い。


 ただその一点をどうしても克服できず、アニカは学校にも行けなくなり、侍従や下男すらも避けて通るようになった。

 今や家族である国王や兄弟に会うことすらも、極度の緊張を強いられる有り様だ。


 原因は分かっていた。

 王候貴族の子弟たちが通う歴史あるギロツァヴト王立全学校で、剣科の実技練習を受けていた最中であった。

 本来なら男子しか受けない科目ではあったが、アニカは兄の助言もあり、特別に志願していた。

 当時十二歳だったアニカは、同年代の男子を押しのけて、最も優秀であった。それが周囲の反感を買った。


 手合わせの時に、大勢の男子生徒たちに取り囲まれる中、倍もの体格差があるような男子に押し倒されたのだ。

 女のくせにとか、王女だから手加減されてるのを分かっていないとか、そんな陰口を叩かれるくらいなら我慢できた。

 けれどあの時の、子供から少年になりはじめた体つきや乱暴な手つき、荒い息遣い、何より周囲からの無数の目が、十二歳のアニカには死ぬほど怖かった。


 あの時の恐怖が、男性を見るたびにいまだに蘇るのだ。

 父も兄も弟も、みんな優しいことは分かっている。それでも、震えて冷や汗を流す体は言うことを聞いてはくれなかった。


(逃げちゃだめだって分かってるけど……体が勝手に怯えるんだもの)


 自分一人では、どうしようもなかった。


 家族は、当然心配した。

 ラマズフヴァル城の陰の実力者と呼ばれ、常に泰然自若としている母でさえ、最初は心配してアニカの望み通り男性を遠ざけてくれた。しかしそれも二年も経つ頃には、変化がないとみた母が、新たな手段にうって出た。


『一年以内に、その男性恐怖症を克服なさい。翌年同日までに克服できていなかった場合、母は強硬手段に出ます』


 重そうな羽扇はねおうぎをぴしりと突き付けられて、血も涙もなくそう宣告されてから、早一年近く。

 ニコとともに様々なことを試し、行き詰まるたびに、息抜き代わりにこうして体を動かした。だが結局、同室で挨拶を交わすのが限界だと分かっただけで、母の望むような成果は出せなかった。


 そして約束の期限はもう明後日に迫っていた。


 母の強硬手段。どう甘く見積もっても荒療治の気配しかない。

 当日をどうやって逃げ切るか。

 ここ最近のアニカの思考はそのことばかりであった。


「姫様……」


 ニコも、そんな主の精神的不安をどうにか取り除いてやりたかったが、全ての努力は徒労に終わっていた。


 ぺたり、と床に座り込んでしまった主に向かい合うように、ニコも床につけていた背中を起こし、その場に座る。


「ですが、ご自身の寝室で常時隠し武器を携帯してすみっちょに潜むのは、政情不安なお国の王太子ですらなさいませんので、いい加減お控えください」


 そして諫言かんげんした。

 わっ、とアニカが床に泣き伏した。


「これがないと、怖くて部屋から一歩も出られないんだもの!」


「残念ながら、今でもほとんど出ておられません」


 しかつめらしい顔をして言下に否定する。

 だが例の期日が近づいている今、現状を維持するのは難しい。侍女頭であるニコのところにも、その予兆は既に現れていた。


「ですが、二日後には持っていた方が良い状況になるやもしれませんね」


 床でうじうじしている女主人の癖毛を眺めながら、意味深に呟く。と、アニカが驚いたように顔を戻してきた。


「そ、それってどういうこと?」


「このままですと、わたくしともお別れということです」


「それはイヤよっ。ニコと離れたら死んでしまうわ!」


 神妙な顔で伝えると、アニカが悲鳴のような声を上げて抱きついてきた。その反応に、ニコは感極まったように「姫様……!」と肩を抱き返す。そして。


「それは精神的にですか? それとも、物理的に、ということでしょうか」


 実に冷静に糾弾した。


「何を言っているの、ニコ。両方よ」


 アニカもまた、ごく真剣に応えた。


「…………」


「…………」


 閑話休題。


「それでも、王妃様はすると言ったら必ず実行されるお方です」


 来るべき日に備え、重々しく覚悟を促す。すると今度はしおしおと青菜が萎れるように、アニカがその場に突っ伏した。


「……千尋せんじんの谷って、本当は這い上がれないって知ってた?」


「まだ落とされてはおりません」


 前途は多難であった。



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