17. アニカ、立ち聞きする。
「っていうことがあったんですよぅ」
母に武闘大会出場を強制された午後。
侍従長のミリアンに部屋にこもると伝えたアニカは、当たり前のように窓から抜け出し、北の庭園にいた。
短剣を突いたり放り投げたりしながら、基礎練習の感覚を呼び起こす。そこにふらりとジーラが現れ、半泣きで飛びついた。
しかしなぜか悲鳴を上げて逃げられ、アニカはごめんなさいと事情を説明したのである。
「それで、ドレスに不釣り合いな剣帯なんかしてるのか」
「いつもはジーラさんが着るような前掛けの下に隠れるようにしていたんですけどね」
「ちょっと待て。王女なのにお仕着せを着るのか?」
「いざという時に顔を隠すのに、前掛けが丁度良かったんです。だけど今、取り上げられちゃっていて」
「絶対、侍女の前掛けはそのためにあるわけじゃないと思うぞ」
冷めた目で見られたが、今のアニカはそれどころではなかった。
大会に抵抗はないが、対戦相手はほぼ全員男である。しかも基本は剣が多いが、武器は自由だ。遠距離戦でしかける者もいれば、接近戦を得意とする者もいる。
「打ち合わないで勝てる方法はないでしょうか……」
「打ち合わなくて勝てるのは女王クィルシェくらいだ」
「ですよね……」
ずっと魔女クィルシェのことは苦手だったが、今ばかりは魔女の力だけでもこの身に顕現しないかと都合のいいことを考える。が、当然花壇の若葉はそよとも動かない。
更にずーんと沈んでいると、ジーラが見かねたように言葉を続けた。
「打ち合うのが嫌なら、回数を減らせばいいだろう。それこそ、分裂していた東西を再統一した賢王ヴァシリー五世みたいに」
確かに賢王ヴァシリー五世は、当時帝国の植民地として支配されていた祖国を取り戻すため帝国勢力と戦う中、一太刀で三人ずつ倒したという逸話を持つ剣豪としても有名である。
しかし彼は四百年前の人物でありながら、馬の耳にまで背が届くほどの巨漢であったという記録がある。十五歳でも更に小柄なアニカには、圧倒的に腕力が足りていなかった。
「腕立て三百回から始めようかしら……」
「何故そうなった!?」
現実的な可能性の第一歩として思案したのだが、何故かジーラに驚かれてしまった。小首を傾げて、自分の思考回路を声に出す。
「一振りで三人は無理でも、一太刀目で相手を倒せば、向かい合っている時間が減ると思って」
「……女が真剣にそんなこと考えるなと言いたいところだが、殿下なら出来そうな気がするから困る」
「だって、名案ですよ! 相手が動く前に仕掛けて、それで仕留めちゃえばいいんですから!」
元々男性が怖くなったのも、打ち合う間に不意を突かれ、押し倒された結果であった。それが怖くて手合わせも出来なくなったのだから、大会ではそれをされないように先手を打てばいいだけだ。
「さすがはジーラさんです! いつでも私に光明を与えてくれます!」
「そんなものを与えた記憶は一度もない」
込み上げる感銘にジーラの手を取ろうとしたら、ひょいっと逃げられてしまった。
(謙遜されるとはさすがジーラさん)
一人納得するアニカ。しかし続く言葉に、アニカは嫌でも現実を突き付けられた。
「じゃあ、三年前よりも強くなってるんだな?」
「うっ」
三年前までは、アニカは同年代の子供たちの中では常に上位であった。それでも大の大人では大抵押し負けた。あの時よりも腕力はついたかもしれないが、技術に関しては確実に衰えている。
「それが、練習相手がいなくて……」
結局問題が堂々巡りして、アニカは再びベンチに沈む。
「ニコ・メルアは、確か一緒に王立全学校で剣技を受けていただろ」
ジーラが思い出したように言った言葉に、アニカは少なからず驚いた。アニカのことは王族でもあり覚えている者も少なくないが、ニコに関しては技術は高かったのだがあまり話題にならなかったはずである。
「よくご存じですね」
「! あ、あぁ」
「ニコも私と同じくらい強いのですが、今回ばかりは練習相手を婚約者候補の中から選べと言われて」
「なるほど、それでか」
ジーラがふむと頷く。ようやくアニカがここまで落ち込む理由が分かったという感じだ。そんなジーラの仕草を見て、アニカはずっと気になっていたことを聞いた。
「……ジーラさん、付き合ってくれませんか?」
「は? ……はぁぁぁあッ!?」
ぐりん、とこちらを向いたジーラが、一拍遅れてベンチから飛び上がった。珍しく顔を赤くし、目を白黒させている。
「おおおまっ、つき、付き合うって、」
「ジーラさんも、剣を学ばれているんじゃないですか?」
「いきなり何を――は? 剣?」
「体つきもしっかりしてるし、何より動きにキレがあるというか……だから、剣の練習に付き合っていただけたらと」
はにかみながら、お願いする。
ジーラと剣の練習ができれば、合間に相談もできるし、一石二鳥である。そう思って提案したのだが、見上げると、
「……え? えっ?」
ずももももっ、と効果音がしそうな面相で、ジーラが腕を組んで仁王立ちで見下ろしていた。
どこでジーラの怒りを買ったのかが分からず、今度はアニカがジーラを見上げながら目を白黒させる番であった。
「あのっ、あの」
威圧感が凄いのだが、何がいけなかったか分からないアニカには謝罪も言い訳も出てこない。
そんなアニカがいい加減憐れに見えたのか、ジーラは長い沈黙の果てに「はぁぁ」と大きな溜息をついて腕組みを解いてくれた。
「お――ワタシは、練習相手にはなれない。その侍女頭が言う通り、婚約者候補の中から選べ」
「そうしたいのは、山々ですが……」
「相互理解、なんだろ?」
もう怒気はどこかに消えたのか、ジーラは真剣な眼差しでその言葉を口にする。そうなるともう、アニカも頑張らなければと思い、「……はい」と小さく頷いた。
◆
ジーラにああ応えたものの、いざトゥヴェ宮が近付いてくると、どうしていいか分からなかった。ニコに相談して全員に集まってもらい決めるか、それとも一人一人可能性の高そうな相手から直談判していくか。
(どっちもハードルが高すぎるわ……ッ)
想像しただけで胃がキリキリしてくる。しかしこのままここで悶々としていても、またニコに探させてしまうだけだ。
ミリアンが気付く前に部屋に戻ろうと足を動かした時、外回廊の陰に見知った人影が見えて、アニカは咄嗟にいつもの癖で物陰に隠れた。
(あれは……レヴィ様と、ラウルさん?)
背中まで届く艶やかな赤みがかった髪に隠れるように、少し低い位置に癖の強い黒髪が見える。内緒話でもしているのだろうか、アニカの位置からは二人の距離が随分近いように思えた。
(大会のことでも話してるのかな?)
ラウルは警護をお願いしたこともあり、それなりに剣の腕は立つはずだ。けれどレヴィは、立ち姿こそ隙がないが、実力のほどはよく分からない。
(二人も、叶えたい願いがあるのかな)
参加を強要されても、特に願いがなければ無理して勝つ必要はない。その点に関しても、全員に話を聞く必要があるかもしれない。
それはそれとして。
(どうしよう……まだどっか行かないかな)
二人がいる場所の前を通らなければ、部屋には帰れない。しかし前に一度ラウルの話を盗み聞きしてしまった罪悪感もあり、二度目はしたくなかった。のだが。
「アニカ様ー?」
遠く、ニコの呼ぶ声が風に乗って聞こえてきて、アニカは仕方なく進むことを決意する。城内に続く扉へ向け、立ち並ぶ列柱の陰を一つずつササッ、ササッと移動する。
(こそ泥みたい……)
自分の部屋に帰るのに、さすがに少々間抜けだな思いながらも何とか扉を圏内に捉える。と同時に、二人の声も聞こえてきた。
「……たいだな、僕は。きっと良いことにはならない」
「貴様の意見など聞いていない」
「知ってる」
アニカにかける時とは随分温度の違うレヴィの声と、苛立ちを抑えていないラウル。距離は腕一本分も離れていないのに、その雰囲気は酷く険悪に見えた。
耳を塞ぐのもどうかと思いながら更に一本列柱を進むと、ラウルの眉間に寄った皺が見えた。明らかに怒っている。
気付けば、頭は会話の内容を理解しようとし始めていた。
「だったら口出しするな」
「するよ。君が、自分のことを後回しにしようとするから」
「ふん。意味が分からない。どっちでも結果は同じだ」
「同じにはならないよ。父君からの提案は自発的だが、陛下へのお願いではただの圧力だ。それがどんな結果をもたらすか、想像できない君じゃない」
反論を封じるようなレヴィの言いように、ラウルが初めて一瞬の間を空けた。その時の表情は怒りというよりも、見透かされたような不機嫌さに、アニカには見えた。
「……結果は同じだ」
「君の母君にとっては、だろ」
自覚していることを白状するようなラウルの声に、かぶせるようにレヴィが言う。瞬間、ラウルの赤茶色の瞳がレヴィを射殺さんばかりに睨んだ。
「貴様は黙ってろ」
それは今までの苛立ちとは違う、明らかな敵意であった。正面から向けられたわけでないアニカですら、ぞっと頬が冷える。それでも、レヴィの声は変わらなかった。
「黙らないよ」
「話にならんな」
言下にラウルが切り捨てる。そして瞼を伏せ、そのまま歩き去ろうとしたその腕を、レヴィが取った。無理のない力でラウルを再び振り向かせ、と同時に反対の手を柱につけて逃げ場を奪う。
「なにを」
「黙ったら、君は僕を見なくなるだろう?」
ラウルの怒声は聞かず、レヴィが強く囁く。その声があまりに切なくて、アニカはどきりとした。見てはいけないと思いつつ、二人の額の距離は、もう拳一つ分ほどもない。
(どどど、どどどうしようっ。確かに、相手は異性とは限らないって言ってたけどっ)
咄嗟に、最初の話し合いで異性が苦手という話をした時のレヴィの言葉が脳裏を走った。
愛を語らう、異性ではない別の相手。まさかそれがラウルなのかと、思わず両手で顔を覆った時、
「ふざけるな」
バシッ、と高い衝撃音が列柱の間に走った。ラウルがレヴィの鳩尾に躊躇なく拳をめり込ませたのだ。
しかしその音から、レヴィが手の平で受け止めたのだと知る。それでも衝撃を全ては逃せなかったのか、レヴィが僅かに体を折る。その間に、ラウルは一瞥もなく再び歩き出し、建物の向こうに消えてしまった。
(だ、大丈夫かな?)
怪我はしていないと思うが、ラウルが見えなくなって暫くしても、レヴィはそのままであった。けれど男性恐怖症以前に、盗み聞きしていたアニカに声をかける資格もない。
それに、うちの一人がいなくなって、扉への難易度は下がったはずだ。諦めて進もうかと思った時、やっとレヴィが身じろいだ。ふふ、と自嘲気味の笑声が漏れる。
「みっともないところを、見られてしまいましたね」
誰にともなく呟かれた言葉なのに、アニカは先程以上に心臓が跳ねるのを感じた。自戒というよりも、まるでアニカの存在を承知して発されたもののように聞こえたからだ。
(もしかして気付かれてた!?)
そうだとしても、今更慌てても取り返しはつかない。アニカはレヴィの背中を注視しながら、振り返った瞬間に謝ろう、と決めた。けれどその意に反して、レヴィは髪を掻き上げる仕草をしたあと、ラウルとはまた別の方に歩き出してしまった。あ、と思う間にも、その背が遠ざかる。
「謝る機会を、逸してしまったわ……」
二人のやり取りがあまりに深刻で、たとえ偶然でも、聞いてしまった罪悪感は強かった。
婚約者候補たちがそれぞれの事情と目的を抱えてアニカの前に現れたことは、無理からぬことだとは分かっている。だからこそ、本人以外からそのことを知るのは、失礼だと思った。
「……でも、謝れないぃ……」
謝ろう、と言えない自分を、アニカは泣く泣く罵った。




