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16. 王妃、強要する。

 目を覚ますと、朝であった。


「…………、あれ?」


 寝台の上で上半身だけ起こしながら、記憶の齟齬そごがある、と考える。

 確かラズと二人きりのところへイアシュヴィリ伯爵が現れて、逃げて、それから。


「……どうしたんだっけ?」


 確か窓から逃げる気力もなくて、その場にうずくまったところまでは覚えているのだが。


「自分でベッドに入ったんだっけ?」


 呟いて、それは違う、と思う。そして徐々に思い出した。


「……そうだ、ジーラさんだ」


 夢かと思っていたが、違う。

 確か気を失ったところにジーラが現れて、寝台まで運んでくれたのだ。それで、行かないでとお願いして、アニカが寝付くまでずっと夢現にあれこれ話していた気がする。


「夢じゃなかったんだ」


 不思議なひとだ、とアニカは思う。

 彼女はいつも、アニカが挫けそうな時に突然現れる。そしていなくなる頃には、そっとアニカの背を押してくれるのだ。


 何を話したかは思い出せないが、きっとうつらうつらしながらも愚痴や泣き言ばかり言っていたのだろう。病人の戯言たわごとに付き合わせて申し訳ないと、ここにはいないジーラに頭を下げる。


 しかしお陰で、体も頭も少しすっきりしていた。

 んー、と大きく伸びをして、寝台から降りる。それから少しして現れたのは、何故かミリアンではなくニコであった。


「あれ、ニコ?」


「おはようございます。ご気分はいかがですか?」


「え? 大丈夫、だけど……」


 何故そんなこと聞くのだろうか、という思いでニコの栗色の瞳を見つめる。と、いつもの真顔が一瞬ほっとしたように緩んだように見えた。


「どうかしたの?」


「本日のご予定を申し上げます」


 心配になって問い返すと、唐突に本題が始まった。

 いやに突然だなぁ、と悠長に考えられたのは、そこまでであった。


 がちゃり、と扉の開く音がし、振り向いた瞬間、


「…………」


「…………」


 母が現れた。鬼の形相であった。


「アニカ」


「…………っっっ」


 名前を呼ばれただけなのに、ひぃっ、とアニカは縮み上がった。

 寝台の向こうに隠れたい気持ちを必死にこらえて、目の前に仁王立つ女性――エリザーベト王妃を見やる。


 澄んだ青色の瞳は一切の嘘を見逃すまいとするように鋭く、白い頬は穢れとは無縁と言わんばかりに輝いている。細い肩を流れ落ち背中を覆う黒髪は豊かに波打ち、目の前の女性を一層引き立てていた。


 立っているだけで、威圧感がすごい。その手には、アニカにとって曰く付きの羽扇が、しっかり握られている。


「お、おはよう、ございます」


 震える声でどうにか朝の挨拶を告げる。が、そんなものに用はないと言わんばかりに、ピシャッと羽扇が音を立てた。びくぅっ、と身構える。


「お前、昨日倒れたそうね。男性が怖くて」


「え?」


 叱責が来るかと思っていたアニカは、予想外の言葉に目をぱちくりした。思わず扉の横に控えるニコに視線を向けると、こくりと頷かれた。


 どうやらアニカが倒れたことを、ニコは無論、母にまできっちり伝えられたらしい。その情けない理由までしっかりと。


(婚約者たちじゃなくて、イアシュヴィリ伯爵なんだけど……あ、一緒か)


 どちらも男であった。


「もう平気なの?」


「はい」


 母の気遣わしげな声に、余計申し訳なさが募る。

 言い訳のしようもない。何故母が知っているのかという疑問はなかった。ニコが報告しないわけはないし、そもそも報告しなくても知っているのが母である。

 アニカはすぐさま謝った。


「ごめんなさい……」


「謝るということは、自分の非を認めて心を入れ替えるということね?」


「うっ……」


 あまりの至論に、二言目なのにもう言葉に詰まる。


「で、でも、頑張って、皆さんとお話ししようとは、」


「その結果気絶したと?」


「すみませぇぇんっ」


 反射的に二度目の謝罪をしていた。

 ジーラと話し、もう少し頑張ってみようと思ったことを伝えたかったのだが、母の眼光の鋭さの前に、言い訳じみた言葉は全て引っ込んでしまった。好きで気絶したわけではないのだが。


「相変わらず……ここまでお膳立てをしてもなお、どんな殿方でも怖いというの?」


 実際には婚約者候補たちではなくイアシュヴィリ伯爵がきっかけだったのだが、それまでの気苦労や寝不足の原因は、間違いなく彼らであろう。どうにか反論を絞り出すが、


「そ、そこまでは……ミリアンさんや、マルティとは少し話が出来るようになったし」


「では手を繋げるのね」


「無理ですすみません……」


 あえなく撃沈した。


 最終目標は並んでおしゃべり、ではない。手を繋ぎダンスを踊り、婚約式をして最後には一緒の家で暮らすことである。

 母と自分の目指すものが違い過ぎて、アニカは反論にすら意味がないと思い知らされた。


 落ち込むアニカを見下ろして、母は複雑な溜息を零す。


「まだ始まって一週間ほど。今すぐ結果を出せとは言わないわ。けれど、お相手にも無限の時間があるわけではないのよ。期限は残り一週間と思っておきなさい」


「はい……」


 あと一週間で何かを変えられるとはとても思えないが、アニカには頷くしかない。もし出来なかったらどうなるのだろう、という疑問は、すぐに続く言葉が解決した。


「もしその間に一人の殿方を選ぶか、男性恐怖症が治せなかった場合、春祭りガザクフリ武闘大会コンヴェントシアに全員で参加してもらうわ」


「はい……はいぃっ?」


 それはもうほぼ不可能です、と思いながら聞いていたら、とんでもない単語が出てきて声が裏返ってしまった。


 春祭りの武闘大会と言えば、騎士団から王立専学校の有志まで、腕に覚えのある者たちが参加して優勝を目指す剣術大会のことである。一般市民からも参加を募り、五日間かけて予選から本戦までが行われる。


 始まりはおよそ五百年前。シルヴェストリ王国最悪の魔女と呼ばれた女王クィルシェを討った監視者アクレットラト・イアシュヴィリを称えたのが起源とされており、古代から続いていた春の豊穣を祝う祭りと混ざって、今の形になった。


 優勝者には褒美として、国王が何でも一つ願いを叶えてくれるということになっているが、何でもというだけあって実は頓智問答の側面も強い。

 過去には平民出身の参加者が優勝し、爵位を願い出たところ、「では功績を立てる機会を与えよう」と返されたこともある。余談だが、その平民は本当に戦に出て戦功を上げ、副将軍にまで上り詰めた。


 ほとんどは頓智問答に負けて副賞の賞金と名誉を得るだけだが、それでも本気な参加者も半数はいる。そのせいか、参加条件に性別はないが、女性の優勝者が出たという話は聞いたことがない。


「まま待ってください、お母様! それでなぜそんな話になるのですかっ?」


 関連性が一つも見えず、思わず問い詰める。と、冷たく見下ろされた。


「チャンスを与えようと言っているのよ」


「え?」


「武闘大会の褒美は、優勝者の願いごとを何でも一つ。もしお前が優勝したなら、その時はどんな願いも聞くことができる」


「そ、それってつまり……」


 話の行く先が見えてきて、アニカは驚いた。まさか、母はアニカが優勝したなら、今回の婚約者問題を終わらせてもいいと言うのだろうか。

 母が許すなら、アニカはきっと願うだろう。


 そっとしておいてほしい、と。出来るなら一生、男性とは関わりたくない、とも。


 母はそれをずっと許さなかったはずなのに、一体どういった心境の変化であろうか。

 しかしその疑問を口に出す前に、母の強い言葉がそれを押し留めた。


「現状に不満があるのなら、自分の実力で打破なさい。何もしないことが、最も愚かしい」


「……はい」





 嵐のように現れた母は、嵐のように去っていった。

 残ったニコは、恭しく低頭したまま剣帯と短剣を差し出した。


「……藁人形ツァヴィは?」


 受け取りながら、駄目元で聞いてみる。やはり首を横に振られた。


「のちほど、婚約者候補の殿方にも大会参加の希望が伝えられます。それぞれ、この一週間に優勝を目指し励まれるでしょう」


「そう、だよね」


 ニコの言いたいことは分かった。

 彼らが鍛錬するように、もう三年も引きこもっているアニカにも練習が必要である。だが一人で出来る練習には限度がある。


 アニカはまだ残る戸惑いをおして、まず大事なことを確認した。


「ちなみに、ニコは相手してくれる、とか」


「ありません」


「ないよねー」


 ささやかな望みは儚く散った。


「練習相手が必要であれば、婚約者候補の中からお好きにお選びください」


「そんなこと言われても……」


 部屋着に剣帯を着け、抜き身の短剣を手の中でくるくると弄びながら嘆息する。当日は仕舞いっぱなしの長剣を使う予定だが、それには手合わせが必須だ。


 ニコが相手してくれないとなると、ラズかラウル辺りだろうか。


(……出来る気がしない)


 新しい希望が見えたはずなのに、前途はやはり多難であった。




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