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15. ラズ、介抱する。

 来客を放って主人を追いかけても、ラズに出来ることはない。その想いが次の行動を躊躇わせた。

 その背に、声をかけられた。


「もし」


 こんな時に野次馬根性かと嫌気が差したが、振り返った男の目は、アニカの消えた寝室ではなくラズを真っ直ぐに見つめていた。


「……何でしょうか」


「貴殿、名前は」


「……ラズ・メトレベリと申します」


 突然興味を向けられ、ラズは警戒しながらも正直に名乗る。さらにイアシュヴィリ伯爵が何事か口を開こうとした時、


「父上?」


 マルセルの声が割って入った。見ると廊下の向こうから戻ってきた姿を捉える。


「マルセル」


 イアシュヴィリ伯爵が振り向き、二人が扉の前で向かい合う。ラズはこれ幸いとばかりに一礼し、静かに小私室の扉を閉めた。

 親子の会話を邪魔しては悪いという以上に、とっととアニカの様子を確認したかったからだ。


 だが。


(仲は悪いのか?)


 扉を閉める寸前に見えたマルセルの顔は、いつもアニカに迫るような陽気なものとはかけ離れた、厳しいものであった。

 その僅かな疑問の間に、扉の向こうで会話が始まってしまった。


「何故王女のもとを離れた」


「四六時中ってのは、無理があるでしょう」


 ひそめられた父親の叱責と、げんなりしたように応じる息子の声。やはり仲は良くなさそうだが、立ち聞きも良くない。

 離れて、寝室に入るかどうするか、と考える。その間にも二人の会話は進む。


「それでも、他の候補者たちに出し抜かれないよう、最もそばにいて印象を残すのがお前の仕事だろう」


「やっていますよ。毎日口説いてる」


「一族に恥ばかりかかせるその唯一の特技で、篭絡ろうらくしてみせると言ったのはお前だぞ」


「落としますよ、必ず」


 その先の会話はなく、代わりに重い靴音が遠ざかるのが聞こえた。


(あいつがあんなにしつこいのは、家からの圧力のせいか)


 ラズにも圧力はあるが、あれは兄姉たちが面白がっているだけで、両親は半分も期待していない。意味合いがまるで違うだろう。


(全員訳ありか)


 それも仕方ない、とラズは思う。

 王族に関する占断は重要機密だが、アニカが降嫁する話は前々から知られている。王族との関わりを強くしたいと考える貴族たちの間では、アニカは“外れ”であった。


「はぁー。全く、嫌になるね」


 声と共に扉が開き、マルセルが入ってきた。

 しまった、とラズは焦る。

 悠長に考えていたせいで、行動の機会を逸してしまった。


「ねぇ、君もそう思わない? メトレベリの」


 金髪を掻き上げながらこちらに歩いてきたマルセルが、気だるげに同意を求める。ラズは、まともに会話するのはこれが初めてかもしれないと思いながら首を傾げた。


「さぁな。うちは、あまり期待されてないもんで」


「あー。それも分かる。見限られてるよね」


 本気とも冗談ともつかない顔で、マルセルが応じる。そうだな、と返すわけにもいかず無難な言葉を探していると、続けて声を掛けられた。


「ねぇ。君って問題児なんだって?」


 突然の話題転換に、ラズは一瞬押し黙る。

 だが、いつかは誰かから言われるだろうことは覚悟していた。知らず険しくなるラズの視線など気にも留めず、マルセルは笑顔で続ける。


「少し前、王立専学校で片っ端から喧嘩を売っては、いけ好かない相手をぼこぼこにしていたって聞いたけど。血に飢えてるとか?」


 相手の事情も背景も鑑みず、単純な好奇心で聞いてくる相手を、ラズは鬱陶しいとは思えども、どうでも良かった。

 こういった連中はいつでもどこにでもいる。好意の皮をかぶって、退屈しのぎの面白い話を聞くくらいの気持ちで近寄ってくる。

 真剣に相手をする価値はなかった。


「かもな」


「適当だねぇ。一部では評判最悪みたいだけど」


「三男だからな。いざとなれば切って捨ててくれと言ってある」


「へぇ。あっさりしたものだね」


 言いながらも、マルセルの受け方もまたあっさりしたものであった。事実も理由も、ラズに話す気がないと察しているからだろうか。


(不気味な奴だ)


 しかし自分からそれ以上会話を膨らませるつもりも毛頭ない。

 そのまま黙っていると、そのままマルセルがラズの前を通り過ぎ、寝室の扉に手をかけた。


「あっ」


 つい現状を忘れかけていたラズは、咄嗟にマルセルの腕を掴む。男でも色気があると思える碧眼が、つぅ、とラズを振り返った。


「僕、女性専門なんだけど?」


 気色悪い誤解をされた。くわっと目を見開く。


「バッ、違ぇよ! 今なかに殿下がいて」


「だから行くんでしょ」


「だから、今ちょっと調子が悪くて」


「へぇ。じゃあ尚更お慰めしないとね」


 相変わらず会話が成立しない。その間にもラズの手を振り切ったマルセルが、扉を押し開こうとした時、


「入ってこないで!」


 今にも泣き出しそうな声が、そう叫んだ。


 さすがのマルセルも異常を感じたのか、ラズと目を見合わせる。しかしこのまま放っておくこともできない。とラズが考えるよりも先に、再びマルセルが扉を開けようとする。


「やめろ」


 ラズは迷わずその前に体を滑り込ませていた。額がぶつかりそうな至近距離で、二人が睨みあう。


「君に命令されるいわれはない」


 マルセルの珍しく低く凄んだ声に、ラズも本能的に身構える。だが一触即発のその場は、がちゃり、と反対側の扉が開いた音に引き留められた。


「イアシュヴィリ様」


 顔を出したのは、今までどこにいたのか、侍女のニコ・メルアであった。


「申し訳ありませんが、こちらへ」


 低頭したまま、マルセルを廊下へ呼び出す。急用でも言付かったのだろうか。ともかく、事を荒立てずに済んだ。


 安堵していると、二人が廊下の向こうに去っていく寸前、ニコ・メルアと一瞬目が合った。


(なんだ?)


 頷かれたような気がして怪訝に思うも、確かめる間もなく二人は去ってしまった。ラズは少しの逡巡の末、寝室に続く扉に向かって声をかけた。


「殿下。ラズです」


 余計に怖がらせるかもしれないとも思ったが、いつまでも隣室に男がいると思って怖がらせるのも可哀想でたる。

 返事はなかったが、ラズは続けた。


「イアシュヴィリはメルア殿と出ていきました。自分も部屋の外で待機して、他の者は入れないようにしますので、安心して休んでください」


 一気に伝えたが、やはり返事はなかった。というか、動く気配がしない。不安になったラズは、念のためと更に言葉を重ねた。


「殿下? 了解なら、扉を一度ノックしてください」


 待つ。ノックはない。躊躇は一瞬だった。


「殿下!?」


 何もかもが嫌になって、またいつものように窓から逃亡したのだろうか、という予想は、更に悪い方に裏切られた。扉を開けて三歩も行かない所で、アニカが床に倒れていたのだ。


「殿下! アニカ殿下!」


 慌てて駆け寄って抱き起す。きつく眉根を寄せて瞳を閉じたその顔は、紙のように白かった。何かの病気かとも思ったが、婚約の話を受ける時に至って健康体と聞いている。

 次に考えたのは、極度の精神的疲労だった。


(だが、どっちか分からないまま放っておくのは危険だ)


 侍女に頼んで、侍医を呼んでもらうか。しかし、その間だけでもアニカを床に横たえるのは忍びなかった。

 ご免、と心の中で一言断ってから、意識のないアニカを横抱きに抱える。


(軽い)


 いつもぶつかってばかりだったからか、気合を入れて持ち上げた体は予想以上に軽かった。子供の頃は手を伸ばしても届かないような存在に思えたのに、今は一歳下という以上に小さく思える。


(毎日、怯えて震えているからか)


 不思議な気分であった。子供の頃には守るという発想すら出ない程に強かったアニカを、今は守らなければと考えている。


(……阿呆か。この中で一番やる気がないのは俺だろうが)


 おかしなことを考える自分に反論しながら、そっとアニカを寝台に降ろす。それから、聞こえていないと承知で、眠る主人に断りを入れる。


「殿下。今から侍医に来てもらうように頼んでくる。辛いだろうが、もう暫く辛抱してくれ」


 そしてそっと横たえた体の下から腕を引き抜いた時、


「……まって」


 か細い声が呼び止めた。ぎくっ、と動きが止まる。まさか気付いたのか、という動揺はけれど、続く言葉で違うと知れた。


「少し、疲れただけだから……ジーラさん、いて……」


 途切れ途切れに紡がれる言葉はどこか夢現ゆめうつつで、見れば目はまだ開いていない。


(あ、声か)


 なるほど、意識が混濁する中で呼び止めたのは、ラズではなくジーラの方だったのか。と知れて、ラズは無意識にチッと舌打ちする。


(ん? なんで舌打ちが)


 いやそれよりも、とラズは悩んだ。

 病人の大丈夫は基本信じてはいけないが、アニカがジーラにいてほしいと望んだことを無下にも出来ない。ラズは散々悩んだ末、人目がないことを確認してから三つ編みをくしゃりとほどいた。



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