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12. レヴィ、巧笑する。

 そうして、全員と一通りの会話を済ませたあとは、各々自分の役目に就くという形で、アニカとの距離を取った。


 ラズとラウルが護衛として常には部屋の前に待機し、移動時には少し離れて付き従う。マルセルとレヴィは侍従補佐として、ミリアンとともに給仕したり、来客や出入りの商人との仲介をしたりした。マルティは夜の話し相手だけで、その付き添いであるミシェリとは顔を合わせない方が多かった。


 今はまだ春祭りガザクフリが始まる前でもあり、社交界はまだ静かなのが救いであった。そうでなければ、マルセルなどは率先してアニカをダンスに誘ったであろう。死んでしまう。


 だが、ダンスがなくてもマルセルは相変わらずマルセルであった。


「ねぇ、アニカ姫。今日は一緒に庭を散歩しない? 色とりどりの薔薇が咲き始めたよ。僕がエスコートしてあげるから」


「け、結構です。それより、食事を……」


「ねぇ、アニカ姫。たまには二人きりで抜け出そうよ。こんなに鬱陶しい男たちに囲まれてたら、息が詰まるでしょ? 息抜きの仕方を教えてあげるよ」


「ち、ちか……近いですっ。おお願いですから、それ以上近寄るのは……」


「アニカ姫の髪って、細くて触り心地良さそうだよね。誰かに触らせたことある? ない? なら僕が一番になりたいなぁ。ね、頬ずりしてもいい?」


「ひぃぃいやぁぁぁあっ」


 事あるごとにマルセルが甘い言葉を囁き、アニカが悲鳴を逃げる。毎日、こんなやり取りが繰り返された。


 朝の給仕から始まり、着替えてすぐ、刺繍や勉強の時間、くつろぐはずのお茶の時間でさえも、マルセルの笑顔に休みはなかった。


 アニカが悲鳴を上げる度にラズとラウルが割って入り、レヴィがアニカに離れているようにと間に立ってくれた。しかしマルセルに悪気はないのか、何度そんな状態になろうとも態度を改める気配は一向になかった。


 ラウルの顔には、このやり取りが起こるたびに険が増し、レヴィからは明らかに緊急度が消えていった。


 アニカも慣れなければいけないと分かっているのだが、どうしても鳥肌が立って、本能的に逃げたくなってしまうのだ。お陰で、マルセルとの会話もろくに成立していなかった。


「全然、出来ない……」


 今日も、お茶の時間にミリアンと共に給仕をしていたはずのマルセルに迫られ、一騒動を起こしたばかりである。今はラウルがマルセルを追い出し、部屋にはレヴィとラズが残っている。


 その二人もなるべく壁際に立ってもらい、アニカは肩身も狭く、本日のおやつをフォークでつつく。だがいかんせん喉を通らなかった。


「イアシュヴィリと仲良くなりたいのですか?」


 ティーカップを睨んだまま静止したアニカに、レヴィが苦笑交じりに声を掛ける。最初こそびくっと構えるが、アニカはん、と息を整えるときちんとレヴィに顔を向けた。


「仲良くなりたい、というか、知らないまま怖がってばかりでは、何も変わらないと思うので」


「変わりたいのですか?」


 レヴィが少し意外そうに聞き返す。今までのアニカの態度を見れば、そう思われても致し方ない。


「勿論です」


 と、アニカは珍しく強く言い切った。


「男性というだけで、顔を見た瞬間怖がることが失礼な行為だとは、ちゃんとわかっているんです。それに、男性恐怖症だっていつかは治さないといけないものなら、今、色んな人に迷惑をかけているうちに治さなければとも思うし……」


 自分の反応を見た、周りのひとのことを考える。考え出すと、今のこの状況を、嫌だだけで終わらせてはいけないとひしひしと思う。

 そして同時に気付く。世間話よりも、こういった目的のある会話の方が、躓かずに話せると。


「真面目ですね」


 レヴィが、優しく肯定してくれる。そうなるとまた恥ずかしくて、アニカはどきり、と脈が乱れるのを感じた。


「そ、そんなことありません」


 慌てて俯いて首を振る。と、ふっ、と小さな笑声が追ってきた。


「貴方が男性恐怖症になったのは、そもそも男が原因でしょう。そんな男のために、貴方がそこまで身を削って努力する必要などないと、僕は思いますけどね」


「え……」


 思いがけない突き放した考え方に、アニカは一瞬思考が遅れてしまった。レヴィは、どこか冷めた笑みを浮かべて、続ける。


「僕自身、出生や外見や成績や、様々なもののせいで、いつも周りからの評価に振り回されてきました。あれは、実に意味のないものだと思います」


 レヴィは、最初の談話で自身を庶子だと告白していた。容姿端麗で成績も優秀なレヴィが、けれどその出生ゆえに不遇を受けたというのは、おそらく貴族社会ではよくある話なのだ。アニカも、王立全学校でそんな場面に幾度となく遭遇した。


 アニカ自身、あの中には慇懃無礼と理不尽が嵐のように詰まっていたと思う。レヴィも、ラウルもまた、少なからず辛酸を舐めたのであろう。


「だから、殿下のそのお心は、とても崇高だと思います。ね、メトレベリ様」


「あ? あぁ」


 それまで無言で控えていたラズにも、レヴィは明るく同意を求める。ラズは突然話題を振られて驚きはしたが、真剣な顔で頷いた。


 けれどアニカは、そう言われれば言われる程、心苦しかった。


(私は、そんなんじゃないのに)


 ジーラに励まされ、頑張ろうと思ったけれど、まだ何も成せていない。レヴィの言葉は、自身の情けなさを浮き彫りにされるようで辛かった。


 結局、ほとんど手をつけることなく、お茶の時間は終わりを告げた。


「ついでに、ラウルたちの様子を見てきますね」


 茶器を下げながら、レヴィが告げる。アニカは引き留める手段も理由もなく、その背中を見送った。




       ◆




 第二王女の部屋を退室し、待機していた侍従長に茶器を託したあと、レヴィは一人になって、ふっと息を零した。一度背後の扉を肩越しに振り返り、それからおもむろに前髪を掻き上げる。


 はらりと落ちてきた前髪の下の新緑色の瞳は、まるで瞬きにより感情も一緒に押し流されてしまったかのように冷ややかであった。


「……さて」


 無感動に呟き、廊下を歩き出す。歩みに迷いはなかった。幾つかの部屋の前を素通りし、小間使いや下男が使用する奥の小階段周りにある空間を順に確認していく。

 目的のものは、すぐに見つかった。


「……は、あの王女様でなくてもいいんじゃない?」


 声が聞こえる距離まで近付いて、レヴィはそっと壁の死角に身を隠した。マルセルの潜められた声に、腕組みをして耳を澄ます。


「僕は彼女じゃないと意味がないんだ。だからさ、君は手を引いてくれない?」


「…………」


 問いかけに、返事はない。けれど相手が誰かは分かっていた。ラウルだ。レヴィの位置からでは二人の表情は見えないが、ラウルがどんな顔をしているかはレヴィには手に取るように分かった。


 しかしマルセルはまるで気にせず続ける。


「だんまり? 君がどんな目的でこの話を受けたかは、おおよそ見当がつくよ。どうせ、家の中での立場の改善とかでしょ?」


「……黙れ」


「父親? 母親の方だっけ? まぁ、どっちでもいいけど。将来的に爵位でも狙ってるとか? でも君の上に嫡出ちゃくしゅつの兄が二人もいたよね。目的が爵位じゃないなら、僕が手助けしてあげてもいいよ」


「殺されたいのか」


 その言葉よりも早く、ラウルが腰の剣をマルセルの首筋に押し当てていた。しかしマルセルは軽く両手を上げて肩をすくめる程度で、まるで動揺を見せない。どころか、すぐ拳一つ分に迫ったラウルの鋭い眼光を直視して、へらりと笑ってみせた。


「黙ってたら交渉にならないでしょ?」


「貴様と交渉する気はない。その綺麗なつらを失いたくなかったら、今すぐ黙って引き返せ」


「僕だってこんな話はしたくないよ。でも僕にも一族の中の立場ってものがあってね。適当に切り上げるわけにもいかないんだ。……君だって、似たようなものでしょ?」


 まるで挑発するように、マルセルが自ら顔を近付けて耳元で囁く。ラウルが一瞬怯んだのを、レヴィは確かに見た。


(ラウルの苦手なやり方にもう気付いたか)


 女の周りをふらふらしているだけのようにも見えたが、目敏く観察力が高いことは何となく予想していた。

 マルセルは年齢こそ二歳上だが、王立専学校時代からその浮名はよく耳にしていた。それでも女に刺されたというような話を聞かないのは、それだけ周囲の心理を上手く把握していたということに他ならない。


(次は僕かな)


 イアシュヴィリ家は王侯貴族専門の占術師で、伯爵ながら資産家である。ラウルやレヴィの素性を探ることなど朝飯前であろう。


 さて、いつ邪魔しに行こうか、とレヴィが思考を次に移した時、ラウルがすっと剣を引いた。それでも、人を射殺せそうな目つきの悪さはそのままに吐き捨てる。


「それでも、貴様の言に従う義理はごうもない。二度と近寄るな」


 カチンと納剣し、ラウルが踵を返す。苛立たしげな足音が近付いてきたが、レヴィはその場から動かなかった。静かに目を閉じていると、すぐ近くで数秒足音が止まる。


「……フン」


 忌々しげな鼻息がすぐ鼻先で聞こえたが、それだけであった。そっと瞼を押し開けると、つんつんと跳ねた黒髪がちょうど目の前を通り過ぎる。


(あとで一言かけないとうるさそうだな)


 胸中で一人苦笑する。そうしていると、今度は変わらず優雅な靴音が近付いてきた。仕方なく視線を向ける。


「順番待ちかな?」


「いいえ」


 にこやかな金髪碧眼の美男子に、レヴィもにこりと微笑み返す。それを嫌味だと承知しているだろうに、マルセルは笑みを崩すことなく体を近付けてきた。甘ったるい香水が鼻につく。


「君とも、ゆっくり話がしたいと思っていたんだ」


「話? 脅迫の間違いでは?」


「つれないことを言うね。僕はいつだって対等な話し合いを望んでいるのに」


 そう話す間にも、マルセルは自然に距離を詰めてきた。そしてレヴィの胸に流れていた髪の一房を掬うと、軽く口付けられた。その瞬間甘い香水が一層強く香って、一瞬視界がくらりと歪む。


(……何だ?)


 しかしそれは次の瞬きの後には消えていた。気のせいかと、触れられた髪をざっと背に払う。


「面白い冗談ですね」


 そして、貴様の笑い方は気色悪い、とラウルに言われた笑みで冷たく切り捨てる。それでもマルセルは気分を害した風もなく、すっと顔を上げた。マルセルとは身長差が少ないから、その意図の読み取れない碧眼がすぐ目の前にくる。


「君とは、楽しく会話ができるような気がしていたんだけど、僕の思い違いかな」


 第二王女の婚約者の座には固執していないように見えると言いたいのだろう。それは、確かに間違いではない。だが正直に答える義理もないので、適当にはぐらかす。


「そのようですね」


「君の望むものはなんだい?」


 それでも、マルセルは食い下がってきた。その声のあまりの艶めかしさに、成程、とりこになる女性がいるのも頷ける、とレヴィは思う。


 だからレヴィもお返しに、とろけるような極上の冷たい笑顔で、正直に答えることにした。


「貴方には、決して用意できないものですよ」




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