~食人鬼~
「――俺が、人を殺す理由?」
彼――ギルバード・イーグルは怪訝そうに首を傾けた。
ここは眠らない都市ロンディオの、その入り組んだ路地の奥にあるカフェバー「キアラ」。
一階は店舗、二階と三階は個性的な住人六人が住むシェアハウスになっている。
昼はカフェ、夜はバーのキアラ。そこで、彼はコック兼バーテンダーとして、日々厨房とカウンターに立っている。
「どうした、ノア?突然そんなこと言って」
ギルさんの長いブロンド髪が店内の証明でキラキラと輝き、琥珀石のような瞳が優しげに細められた。
今年で二十歳になったばかりで、見た目も性格もなかなかの好青年だ。華やかな見た目と高身長も合わさり、この人を見て騒がない女性なんてここの住人以外、いないんじゃないだろうか。
「少し…気になって」
僕はギルさんから視線を外し、カウンターの上に置いた号外に目を移す。
今日の昼間に大通りで配られたその号外には、『行方不明女性の血塗れの衣類を発見!クレイジーコックの犯行か!?』と大きな文字の見出しと現場の写真、詳細がびっしりと書かれていた。
クレイジーコック。
被害対象は性別も貧富も問わず、年代も幅広いし身体的共通点も皆無。使われる凶器は出刃包丁。後日犯行現場に被害者の体の一部と衣類、それと美味しかった、というメッセージが残されたことから、食人鬼・クレイジーコックと名がついた。
「ああ、俺の記事見たのか」
もうすぐ閉店時間を迎える店内には誰もおらず、こんな発言をしてもさして問題はない。
そして、発言の通り彼がクレイジーコック本人だ。
「理由は簡単だな。食べるため、俺自身が生きるためだ」
「その、きっかけってあったんですか?」
シェアハウスに来て1ヶ月がたったが、僕は彼の犯行を犯すに至った経緯を聞いたことがなかった。
普通、人を食べるなんて発想には至らない。
過去に彼の中で何が起こったのか、僕は聞いてみたいと思った。
「きっかけねぇ。まあ、話してもいいかな。閉店時間も近いし、誰もいないし」
そう言ってギルさんは、シェイカーにウォッカと赤い液体を注いだ。
そして、ゆっくりと語り始めた。
「俺が……クレイジーコックが誕生したのは、随分昔の話だよ」
俺は一流シェフの家系に生まれたんだ。
ひいじいさんもじいさんも父さんも、もちろん母さんも皆シェフ。十二離れた姉さんも十離れた兄さんも、当たり前のようにシェフを目指してた。
俺はその末子だ。だから、産まれる前からオレはずっと期待されていた。
だけど蓋を開けてみれば、俺にはいくつか欠点があった。
まず、この瞳の色。
俺の家族や親戚も全員、ターコイズのような深い青い瞳の色をしていた。
だけど、生まれたのは金色の子。
そのせいで、母さんは浮気を疑われた。親戚中に責められ、疎まれ、精神を病むほどだったらしい。
それと、生まれつきの隻眼も欠点だな。
何が原因か知らないが、右目が潰れて産まれてきたそうだ。
そして、極めつけは普通に食事ができないことだ。特に肉が食べられなかった。体が拒絶して、吐き出してしまうのだ。
「どうしてあなたは普通に食事ができないの!?」
ああほら、また母さんの怒声が飛ぶ。
「どうして普通でいられないの!?どうして吐き出すの!?どうして私に苦労をかけるの!?」
涙で潤んだ目が俺を見つめる。怒りで、悲しみで、苦しみで潤んだターコイズブルーの瞳。
「どうしてよ…!?ねえ…、どうしてなのよぉ!?」
「ご、ごめんなさい…、ごめんなさい、ごめんなさい母さん」
泣き崩れる母さんにオレはどうすることもできずに、ただ謝り続ける。
毎回のパターン。毎日のように繰り返される母さんの癇癪。
どうしてなのか、知りたいのは俺の方だ。泣きたいのも俺の方だ。
でも、そんなこと言えるわけなくて…。出来るわけなくて…。
母さんは必死だった。俺をまともにしようと、自分の汚名を雪ごうと、父さんの信頼をもう一度得ようと。
そんな母さんの気持ちを知っていたから、少しでもまともに見られたくて無理矢理口に詰め、飲み込んでは寝込んで、母さんに叱られて泣かれてをずっと繰り返した。
だけど。
「あの子はもうダメだ」
「もう限界よ、あの子の傍にいるのなんて」
「悪魔の化身かなにかじゃないか、汚らわしい」
「気味が悪い、あんな化け物」
あれだけ必死だった母さんも俺が7歳になる頃には諦めていた。他の人達と同じように俺を避けて嘲り、やがて見向きさえもしなくなった。
――母さん、母さんどうして?俺を捨てないで…。
しかし、その中で俺を唯一見てくれる人がいた。
「――ギル」
それは俺の十二離れた姉――ソフィアだった。
「ギル、ああギルどうしたの?こんなに泣いて…。大丈夫よ、私がいるわ」
そう言って俺を抱きしめるソフィア姉。優しくて温かくて、他の親戚とは全然違う。大好きだった。
あの日までは。
俺が十二歳の時、オレはとうとう両親と兄を殺した。
原因はほんのちょっとの罵倒。多分長年積もりに積もったものが爆発したんじゃないかと思う。
その時だよ。俺の中で腹が減るという感情が芽生えたのは。
それまではどんなに食べなくても、腹なんて減らなかったのに。彼らの血に染った死体を見て、俺の腹は大きな音を鳴らした。
自分でもおかしいと思った。でも、止められなかった。
流石に生肉を食べる気にはなれず、試しに血を、床に広がった血を啜った。
美味しかったよ。濃い鉄の味、ほんのり甘くてしつこくなくて…。ああ、これは聞きたくないか。
でも、本当に美味しかった。何もかも初めてで、これが美味しいということなのかと思うと、嬉しかった。
血がこんなに美味しいんだから、肉を食べたらどのように感じるのか。きっと満足という感情も分かるはずだ。
調理するなら何がいいかな?ハンバーグ?ステーキ?それとも…。
そんなことを思ってる矢先だった。
背後でガタガタッと盛大に物音がして、振り返ると腰を抜かし、ひどく怯えた顔のソフィア姉がいた。
だけど、俺は怯えてることに気付かなかった。初めて感じた感情が、空腹感が嬉しくて。やっとまともになれたことが嬉しすぎて。
「ソフィア姉、聞いて!俺、俺なさっき腹が鳴ったんだ!初めてだよ?ねぇ、オレまともになれた?普通になれたんだよな!?」
喜び勇んで駆け寄って、茫然と座り込むソフィア姉の手を握った。だけど、その手は振り払われた。
バチンッ――!
乾いた音。ヒリヒリと痛む手。一瞬、何が起こったのか分からなかった。
「あなたなんて普通じゃない!触らないで、この…化け物!」
怒りと恐怖で歪む顔。母さんと同じ瞳。あんなに優しかったのに。
――アナタハイマ、ナンテイッタ?
俺の中で何かが壊れる音がした。黒いものがドロッと底から湧いてきた。
バケノモ?ナニイッテルノ?オレハヤットマトモニ…。マトモニナレタノニ…。
そこからはよく覚えていない。
気付いたときにはもう、ソフィア姉は血溜まりの中で横たわっていた。
大好きだった。大好きだったのに。やっぱり俺は化け物だったんだ。裏切られた。憎い。憎い、憎い憎い憎い憎い憎い。
可愛さ余って憎さ百倍とでも言うのかな。
憎いてたまらまかった。でも同時に物言わぬことがどうしても愛おしくて。
俺の中に残ったのは複雑すぎる感情と、どうしようも空腹感だった。
その時だった。俺は閃いたんだ。
どうしようもなく憎くて愛おしいこの人たちを俺の一部にしてしまえば、ずっと一緒にいられる。もう一度愛せる。
我ながら名案だと思った。
それからは想像の通りだ。全て食べた、今までを取り返すように。何日もかけて。
柔らかなブロンドの髪も、ターコイズブルーの綺麗な瞳も、白い肌も、流れる血さえ残さずに。
食べながら俺は、愛した人と一つになれる喜びを感じていた。
その時からクレイジーコックは生まれたんだ。
「まあ、これがきっかけと理由かな」
話が一段落し、ギルさんはシェイカーの中身をグラスに注ぐ。
「俺が最初の犠牲者は、ノア、お前と同じく家族。さっきの話に付け足すとするなら、凶器は包丁。俺はあの時に固執し、執着してるのかもな」
「固執に執着……それが凶器を変えない理由なんですね」
「そうかも、な」
ゆっくりとグラスに口をつけて、そして優しく笑った。
それからカウンターから身を乗り出し、僕と視線を合わせる。
「なあ、ノア思わないか?」
僕はその目をじっと見返した。
「形は違えど、一瞬でも愛した人と一つになれるなんて幸せだと、快感だと。はは、俺を化け物と罵っていた者でも物言わなくなるのなら、愛おしい…!そんな愛おしい人が俺の、自分の体の一部として共に生きるんだ!ああ、なんて最高なんだろうか!」
さっきまでとは違い、ギラギラと光る金の隻眼。優しいかった笑みは狂気の笑みへと変わり、興奮で頬が紅潮している。
ああ、やっぱりこの人も狂っている。
そう言われると分からなくはないのだ。きっと嬉しいだろう。幸せだろう。愛おしくてたまらないだろう。
――でも、でも僕は……。
「…すみません」
その絞り出した一言で彼は僕の考えを察したらしい。
目に見えて残念そうに、眉を歪めた。
「そうか。…そうだよな、お前人間食わないもんな。ごめんな」
「いえ、すみません」
僕は自分のことは何も分からないから。
「ノアは悪くねぇよ」
また彼は優しく笑う。
どれが彼の本性なのだろうか。
優しい彼か、それとも狂った彼か。いや、どっちもか。
彼はその差がかなり激しいから、たまに分からなくなる。
まあ、どっちでもいいのだが。
「まあさ、ノアも分かるといいな。……自分の両親殺した理由」
やっぱり、と思った。
彼は、僕が彼に聞いたその真意を分かっていたのだ。
僕が両親を殺した理由を知りたがっているということを…。
「……はい」
僕の微かな答えを聞き取り、ギルさんは僕の頭を優しく撫でた。
撫でられ慣れない僕が戸惑っているのに苦笑して、グラスを揺らす。
そして、鉄の匂いが混じるカクテルを飲み干すのだった。