07
遅れてすみません。
ゆっくりと進みます。
07
『――特徴は肩にかかる程度の黒髪に青い瞳。黒いローブを羽織った少女と言うことだ。大深海に向かったという目撃情報があったから、お前らが【大門】で見張っといてくれ』
『分かりました』
断続的に光る石のような物体は『伝達石』。
声に魔力を含ませることにより、一定の距離を開けた相手に音を届けることができる優れた魔道具の一種である。
見た目は只の石ころにしか見えないけれど、使用時には少し光ったりするから、ちょっとばかり綺麗だと思ったり思わなかったり……。
そんな『伝達石』からたった今、私の上官――憲兵隊長バルボーグ・クロッゾより命令が下った。
なんでも、昨夜の殺人事件における重要参考人を見つけたから話を聴いといてくれ、とのことだった。
「……はぁ、めんどくさいすっねぇ」
私は朱色に染まる自分のポニーテールを撫でつつ、溜息をついた。
春先だというのに、妙に熱い気温をもたらす太陽を茹だるように見上げ、眼を細める。
「クロッゾ隊長は直ぐに極刑にするから嫌なんすよねぇ……」
ジワリと滲んだ汗をつまむようにそばかすの散った頬を搔き、小さく呟いた。私的にはほんの吐息感覚だったけれど、隣の人物は耳ざとく聞き取り、何故か蠱惑的な笑顔を浮かべた。
「あらぁ、ロッコちゃん、滅多なこと言うもんじゃないわよぉ? 確かにクロッゾちゃんもやり過ぎなところはあるかもしれないけれど、そのおかげでこの街の犯罪率はびっくりするくらい低いんだからぁ……ね?」
「まぁ、そうっすけど」
腑に落ちない。隣の人物の言動もそうだけれど、その容姿にも、著しく納得しかねる。
ちらり、と眼球だけを動かして隣を見る。
【大門】前の寄宿舎出入口にて屹立する上官を一言で表すならば―――美女。私みたいなちんちくりんからは到底手の届かないような『美の化身』がそこにはいる。
腰元まで流れる鮮やかな黒髪は風に靡くたびに花のような香りをまき散らし。彫刻のように整った顔立ちに、スレンダーな体型でさえ、一本の鞭を連想させるようで、しなやかに美しい。
純白の騎士服が最も絵になる彼女―――訂正、『彼』の名は、カタリーナ・ボルン。
ボルン子爵家の次男である。
そう、次男、つまりは男である。いや、正確にはトランスジェンダー……。もっと簡単に言うと、ただのオカマだ。
―――だから、納得いかない。
オカマなのに、どうして私より美人なんだ。
おまけに、17の私より7つは年上なので、一々姉面をしてきて、何となく腹が立つのだ。
今も私がむすっとしているのを感じ取ったのか、年長者が見せる「やれやれ困ったな」的な表情で苦笑しているのも、そこはかとなく腹が立つ。
「もぅっ、ロッコちゃんもそんなに拗ねないの」
「別に拗ねてないっすよ」
「うふふ……そっかぁ、拗ねてないのねぇ」
口に手を当て、余裕綽綽と微笑む姿にいら立ちが増し、ついつい私の口は正直になる。
「カタリーナさんも、そのわざっとらし女口調止めたほうが―――」
「あぁ?」
「ひっ……!」
途端に発された低い声に、私は反射的に身を一歩引いた。隣を見ると、鬼のような形相で私を見るオカマの姿が……。その眼力はまさにモンスター。きっと私を睨み殺そうとしているに違いない。
「す、すみません! 冗談っすよ、冗談!」
「そうぉ? まぁ、今回は許してあげないことも無いけれど、言動には気を付けなさい」
「あ、あははは……そうするっす」
一見、嫋やかに微笑むカタリーナさん。その迫力のある笑顔が妙に怖い。
なんとなく話を変えねばと思った私は、言葉を選ぶように口を動かした。
「カタリーナさんは、今回の件、例の『疾走事件』と関係あると思いますか?」
「うーん、どうかしらねぇ?」
と、カタリーナさんは、小首を傾げ、妙に色っぽい声を出す。
『疾走事件』とは、長らくの間、バタルグラデを賑わせている行方不明事件のことである。
失踪者は老若男女多岐にわたり、確認されているだけでも80人を超えている。その被害者――全員の姿は忽然と消えているのみで、証拠は一切残っていない。
長い人では、姿を眩ませてからもう8年は経つというのに、未だに遺体の一つも発見できていないのであくまで『疾走事件』。
当初は、事件の早期解決を謳う『憲兵隊』の操作が暗礁に乗り上げていることに、住民や貴族から不満・不安の声が上がったが、今となってはほとんど聞かない。
事件自体が都市伝説化されているということもあるが、何より被害者の大半の日常生活における素行がよくかったことが、市民の安心に繋がっているのだろう。
そういった点を加味すると、私はこの事件の犯人をそんなに憎めない。もっとも、仮にもメンツを踏みにじられた憲兵隊の中には、犯人をどうしようもなく憎んでいる奴もいるらしいけれど。
「今回の事件が『それ』と関係あるかはわからないけれど、見つかった遺体は随分、特徴的だったみたいよ?」
こともなげに言うカタリーナさんの様子から、彼女は『疾走事件』にそれほど深い思い入れはないようだ。
何故かホッとした気分になった私は、誤魔化すように矢継ぎ早に問う。
「どんな特徴があったんすか?」
「なんかね、遺体の心臓の一部が切り取られてたみたいよ」
「し、心臓……。なんでまた。持ってったんすかね?」
「さぁ? そんなの犯人にしかわからないでしょうよ。でもまぁ、こんなにわかりやすい特徴と証拠を残してんだから、今回のは例の『疾走事件』とは関係ないんじゃない? 今まで一つも証拠を残してこなかった人が、そんな簡単にミスをするとは思えないし」
「なるほどっす……」
たしかにそうだ。
今回の件と『疾走事件』で関連しているのは、被害者の素行が良くなかったと言う点に限られる。
首をぶった切られ、心臓も切り取られて見つかった探索者の名前は、えと、たしか、フラメルさんとかそんな感じだったか。クラン・バナナ連合に属していた彼は酒を飲むと悪酔いする質で、クランリーダーからもよく飲酒を控えるように言われていたらしい。
事件当夜は、その言いつけを破った上で、酒場で少女に絡んでいたらしいけれど……。
「黒髪に青目の美少女っすか……」
今回の事件における、重要参考人の特徴。奇しくもその少女が、フラメルさんとやらに絡まれていた当人らしいけれど。
「いくらなんでも、殺しますかね……」
少女が善良な市民だとして、酔っ払いに絡まれた報復に殺人しちゃう、なんてのはいくらなんでもアクティブに過ぎる。
今回の件とその少女は、関係ないんじゃないかな、とわたしが思ってしまうのは、希望的観測も含まれているのだろうか。
「うぅむ……」
仮に少女が犯人だった場合、おそらくは隊長バルボーク・クロッゾの手によって極刑が下される。
隊長の正義は良い意味でも悪い意味でも平等で、故に残酷である。
『生きるために』盗みを働く孤児と、『リスクを求めて』窃盗をした探索者を平等に裁く。
理論上は問題ないのかもしれないけれど、私はどうも納得いかない。
そもそも私が騎士になったのは、『弱き者』を助けたいと思ったからだ。
幼い頃、孤児だった私は盗みを繰り返し、時に怪しい商売人から商品を盗んでしまい、殺されかけたことがある。
傷つけられ、あるいは、嬲り殺される。
――――そう思った時、一人の騎士が私を助けてくれたのである。
あの日見た大きな背中と、私の頭に乗せられた、予想外にちっぽけな、でも暖かい手。その温もりが忘れられず、私は遮二無二勉強し、騎士になったのだ。
弱き者を助けたい。
あの時の私みたいなロクデナシにも手を伸ばせるようなヒーローになりたい、と、そういった強い想いを胸に、日々鍛錬に励んでいるのだ。
だから今回の事件だろうが疾走事件だろうが、件の少女が犯人だったとして、『何か並々ならぬ事情があるのでは』と、ついつい考えてしまう。
「今回の犯人も、見つかったら、クロッゾ隊長にやられちゃいますかね?」
不安は息のように口から溢れる。
つい漏れ出た本心に、「あ、やば」と私が口元を手で覆うも時すでに遅く。耳聡く聞き取ったオカマは、しかし慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「まぁ、絡まれたくらいで報復したって言うんならそうなるかもしれないけれど。もし、他に理由があるなら、私からクロッゾちゃんにも頼んでみるわよ」
「そうっすか……」
「ふふっ、ロッコちゃんは優しいわねぇ」
カタリーナさんが、不出来な妹にするように頭を撫でてくる。
正直、ムカつく。
「ちょっ、なんスカ、やめてくださいよ」
「あらあら、可愛い、照れちゃってぇ」
「照れてないっすよ! てか、マジでやめろこの男女っ!」
「あぁ⁉」
「す、すいません」
腹の底をつくような低い声に、即座に謝る私。素が出た時のカタリーナさんは、泣きたくなるくらい怖い。
あ、なんか視界が霞んできたっす……。
般若の顔を見ないように、それとなく目元を拭っていると―――――ゴゴゴゴゴゴっ、と重苦しい音を立てて、【大門】が開かれた。
「来たみたいね」
カタリーナさんの言葉に感化されて、私は門の方を見て―――言葉を失った。
そこにいたのは、筆舌し難く美しい、一人の少女だった。肩にかかる、柳の枝のように流麗な黒髪が風に靡き、女神のように繊細な顔立ち、そこに浮く、青い二つの光が私たちの方を射抜く。
「――――っ」
あまりの様相に、私は言葉を失いかけた。情けなくも、そこにいる少女が話に聞いていた『重要参考人』の特徴と酷似していたことなど、すっかり気づかなかった。それくらいに、その存在は美しかったのだ。
『あれは【人間】ではない』
真っ先に、そんな言葉が頭に思い浮かんでしまうくらいに。
呆然とする私の前を、例の少女が横切っていく。そこでようやく特徴の類似性に目がいくも、喉が乾いて思うように声が出せない―――ふと、その時。
「ちょっと、いいかしら?」
私の隣にいる騎士、カタリーナ・ボルン憲兵隊副隊長が、声をかけた。
「…………なんでしょうか?」
やや間をおいて、少女が振り向く。
これが、私と彼女―――いや、彼、探索者・クトルーとの出会いだった。