第三話
それから数日、ゼンは神と崇められながら日々を過ごした。
やりにくいことこの上ないが、どれだけ説明しても、誰もゼンの言葉に耳を貸してくれない。
しかしそれも無理からぬことではある。
なんと言っても彼らの主たるアガリエがことあるごとにゼンを神として讃えるのだ。主が神と呼ぶのに、臣下が声高にそれを否定することは難しいだろうということは、今ではゼンにも理解できる。
あの夜と同じで、そんなことをしても誰も喜ばないから、誰もゼンの言葉は聞き入れないのだろう。
それでも違うものは違うのだから、地道に説得を試みることはやめられない。
それにアガリエは意図的にゼンを神に祀り上げようとしている。
何故なのか。
「神を召還した神女として名を上げたいのでは?」
タキは当たり前のようにゼンとは別行動を決め込んでいた。
どうやら今日は書庫を見つけ、目ぼしい書物や巻物をいくつか借りてきたようだ。もともと読書家ではあるのだが、嬉々として――表情が乏しいので、心底楽しんでいることはゼンにしか伝わっていないだろう――巨木の枝に腰かけ、手元の巻物に夢中になっている彼を見ていると、本業を忘れているのではないかといささか不安になる。
ちなみに、ゼンが神なら相棒のタキはどうなるのかと疑問に思っていたが、どうやら神の使者という立ち位置で認識されているらしい。
本人はそれを不満に思うどころか都合が良いと考えているようで、公の場では発言を控え、常にゼンの半歩後ろに控えている。実に堂に入った神使ぶりだ。
それなのに二人きりになった途端これだ。何を問いかけても上の空の返答に苛立ちが募る。ゼンは軽快な足取りで枝を渡り歩くと、タキの手から巻物を取り上げた。
「神使殿はお暇そうで、ほんとーに良いご身分ですね。少しは手伝ってもらいたいんですけどー」
「暇は暇ですが、まあ、それでも神様ほどではないと思いますけど。神様は朝餉を食べたあと、そのあたりを散歩して、あとは愚痴しか言ってませんよね」
「うっ」
「働いてほしいのなら、まず神様には東の神女様と和解してもらいたいものです。僕が彼女の立場だったとしても、今の不貞腐れたきみには願いを言う気にはなれませんよ。彼女の言っていたことの、どこがそんなに気に喰わなかったんですか?」
どこが、と言われて、ふと考えてみた。
巻物を手慰みにしながら思案することしばし。
「……どこがって言うか、あの性悪そうな作り笑いかな。え? タキは思わなかった? 感じ悪って!」
「正直思いました。が、きみの態度もどうかと思いましたよ」
ぐうの音も出ない。
「それで? 彼女が頭を下げて謝罪でもすれば、許して願いを叶える気になると?」
「それは……、違うような」
「ではどうするつもりですか?」
ゼンは今もまだアガリエの本当の願いを聞くことができないでいる。
結局あの夜はアガリエに碌に言い返すこともできず、もちろん閨に飛び込むことなどできようはずもなく、その場に居づらくなって逃げたのだ。
我ながらなんとも情けない。
せめてタキだけでも残って彼女と話をしてくれたら良かったのだが、彼にはそんな気はさらさらなかったらしい。後からついてきたどころか、おとなげない、と軽く説教までされてしまった。
枝に腰を掛けて、何を見るでもなく、ただ遠くに目をやりながら思案にふける。
マナ使いは誰かの願いに呼応して現世を訪れる。
ゼンを呼んだのはアガリエだ。これは間違いない。
ただ彼女が告げた、王の病を治して欲しいと言う願いは嘘だ。言葉に心が伴っていないことがすぐに感じられた。
マナ使いとてすべての願いを聞き届けられるわけではない。
呼応するのは、数多ある祈りの中の、ほんのわずか。
それなのにどうしてアガリエはマナ使いを前に心を閉ざすのだろう。
「やっぱり性根が腐ってるのかな」
「ゼン」
たしなめるタキに、どうしても反発したくなる。
「だってさ、自分の旦那を金づるとしか思ってないような奴だし。でもだからきっと金は持ってるんだよな。地位もある。まだ若いし健康そうだから、不老不死が欲しいなんて欲もないだろうし、美貌は……よくわかんないけど、心底欲しいと思ってる様子もないし。ああ、根性を叩き直して欲しいってのならまだわかるけど」
「やれやれ、本当に気が合わないみたいですね。きみにしては珍しい」
「だって! 人を馬鹿にしたような笑い方も、相手の気持ちをないがしろにする態度も気に食わない。みんなを騙して、なんで平気でいられるんだろ……」
思い出すだけでも腹立たしい。
きりきりしていると、無意識に巻物を握りしめていたらしい。気づけば隣にいたタキに取り上げられる。
「あんな奴の願いなんて、ろくでもないに決まってるのに、やっぱり叶えないと駄目なのかなあ」
「それがマナ使いの宿命ですから」
「……とりあえず王様の病を治して任務完了ってわけには」
「ゼン」
「いかないよな」
がっくりと項垂れる。タキは時々頭が固いと思う。
ふいに回廊の方から名を呼ばれた。
見やると、ひとりの神女が慌てた様子で立っていた。庭を見ては困ったように肩を落とし、また走り出す。
「おーい、ここ、ここ! こっち! どうしたの?」
枝に膝を引っかけて、だらりと上半身を逆さに垂れる。
目が合うと、ひぃ、と神女は悲鳴をあげたが、腰を抜かす直前に相手が神であることに気づいたらしい。苦労して驚愕を飲み込むと、さらに青くなった顔で告げた。
「神よ、どうぞ宮へお戻りください。アガリエ様がお呼びでございます」
「アガリエが? なんで?」
嫌だ、という感情がそのまま表情に出てしまった。
問い返されることは想定していなかったのだろう。慌てふためく神女に、タキが申し出た。
「承知致しました。すぐに参りますので、アガリエ様にもそのようにお伝えください。ゼン様、私もお供してもよろしいですね?」
「それって拒否権ある?」
「拒否してみてもいいですが、後悔しても知りませんよ」
「……わかったよ」
ゼンは渋々重い腰を上げた。
世の中、思い通りにいかないことばっかりだ。
*
通されたのはアガリエの私室だった。傍仕えたちが忙しなく出入りしている。ゼンとタキの存在に気づくと皆一様に一礼するが、やはりどこか落ち着きがない。
不思議に思いながらも控えの間で待っていると、程なくして奥の部屋からアガリエが現れた。
珍しく神女の装束ではない。旅装束だ。
「どこかに行くのか?」
「王が危篤であるとの知らせが届きました。わたくしはこれより王都へ参ります」
「危篤って……。そんなに悪かったのか」
「伝令によれば、急に悪化したのだとか。わたくしも慌てて出立の準備をしているところなのです。間に合えばよいのですが…っ…」
アガリエは声を詰まらせ、目尻に浮かぶ涙を隠すように顔を伏せた。折れそうなほどか細い肩が小刻みに震えている。
無理もない。王は、彼女の実の父親なのだ。
マナ使いに親はいない。
けれど父親が大切だという感情を理解することはできる。
「アガリエだけでもいいなら、先に連れて行ってあげられるけど?」
「馬は用意してありますが……」
「馬より速いよ。一人だけならなんとか乗せられる。タキは後からみんなと一緒に来たらいいし」
「仕方ないですね。それでかまいませんよ」
「よし、決まり」
ぐずぐずしてはいられない。ゼンはアガリエの手をつかむと外に飛び出した。
何事かと周囲が騒々しくなることも気にせず指笛を吹く。
ぴい、と空気を裂いた音は左程大きくもなかったが、それで充分だった。
露台を囲む石壁の上に、どこからともなく一匹の猫が降り立つ。
艶やかな毛並みは銀青色。尾は二つ、だ。
「魔物……?」
「あ、わかるんだ?」
「ゼン様、ここにいては危険です」
「大丈夫だって。マヤーは俺の育ての親っていうか、友達っていうか、まあ、そんな感じの仲だから。な、マヤー」
素知らぬ顔で猫は大きく伸びをする。瞬く間に鱗に覆われた手足が伸び、その背中が異様に膨らんだかと思うと、ゼンやアガリエよりも大きくなった。
魔物の出現に、屋内で事の成り行きを見守っていた神女たちから悲鳴が上がり、隊士の怒号が飛び交う。
「? 騒がしいな。いやあ、マヤーは相変わらずかっこいいな。会えて嬉しいよ。みんなも喜んでくれてるみたいだし」
「皆は喜んでいるわけでは……」
「え?」
「……いいえ、何も。マナ使いが魔物を使役なさるとは、わたくしも存じ上げませんでした」
「使役って、大袈裟だな。友達なだけだよ。ほら、アガリエは前に座って」
「まさかとは思いますが、魔物に乗っていくのですか?」
「そうだけど。何か問題でも?」
アガリエがなぜ困惑しているのかがゼンには理解できない。
マヤーはすらりと伸びる足先を露台に下ろし、ゼンの腰あたりに体を摺り寄せた。喉元に腕を回して豪快に撫でてやる。ぐるぐると鳴く声に喜びを感じ取り、ゼンも嬉しくなる。
アガリエのことを考えれば鞍や手綱を用意した方がいいのだろうが、あいにく今は手元にない。ゼンは先にマヤーの背にまたがり、アガリエに向かって手を差し伸べる。
「しっかりつかまって、俺から離れないようにね」
アガリエは諦めたように嘆息した。
「それはわたくしの台詞です。どうかわたくしの手を放さないでくださいね」




