第十八話
表の混乱とは裏腹に、斎場内は落ち着きを取り戻していた。
王の死により月神女は代替わりをする。
己の王を守り切れなかった神女に、国の行く末を任せることはできないからだ。
とはいえ王位継承とは異なり、代々月神女の継承は粛々と行われる。
特に此度のように王家直系の王子たちの争いであれば尚更だ。オルであろうと第二王子であろうと、アガリエにとっては兄であることに変わりなく、彼女の次期月神女としての立場が揺るぐことはない。
仮に傍流の男子などが謀反を起こした場合、その男子に連なる神女が月神女となるため、斎場においても俄かに騒々しくなるのだが、それも稀な話だ。
王の死はすでに明らかとなっていた。オルが明言したらしい。同時に、世継ぎとされていた第二王子が、王を弑した咎で命を落としたということも。
第二王子の手の者は、謀反人はむしろオルの方であると主張するだろう。しかしそれが正しく真実であることを知るのは、オルを含む数少ない当事者たちだけであり、主たる第二王子を亡くした彼らに分が悪いことは明白だった。
正史は勝者により紡がれるものであり、敗者に弁明の余地は与えられない。
たとえそれがどれほど尊い真実であろうとも。
アガリエは数人の神女を従え、月神女の宮へと向かう。
月神女の宮は斎場の東、太陽が昇る方角に位置する。
主たる月神女を幽閉しているという部屋の前を女護衛が守り固めていた。彼女たちはアガリエの姿を認めると目礼し、戸を開けた。
月神女は静かに座していた。伏せられていた睫毛がゆっくりと持ち上げられる。
彼女が言葉を発するより早く、アガリエは問うた。
「伯母上。月神女の座は、守るべき王を弑してまでも離れがたいものなのでしょうか?」
王の遺体と直接見えた神女なら、その死が呪詛によりもたらされたものであると気づくはずだ。
呪詛は肉体ではなく魂を縛る。魂—―おそらくゼンたちがマナと呼ぶものと同義であるだろう、生物の核たる部分に深く刻まれた真名を傷つけられる苦痛は、筆舌に尽くしがたい。無論それは死に顔にも表れる。
王は病ではなく呪詛により命を落とした。
秘匿されていた王の真の名を暴き、呪い殺したものがいる。
「……何を言うかと思えば。王を呪詛したのはそなたであろう」
「お戯れを。遠からず病魔により玉座を退いたであろう王を呪詛しても、わたくしに利などございません。けれど伯母上は違いますでしょう。オル兄上に、王の呪詛と引き換えに、継承することなく月神女の座にあり続けることを許されたのではありませんか?」
「王の代替わりに伴い、月神女もまた次代に引き継ぐ習わしであることは、そなたも知っておろう。わたくしは……」
「わたくしが伯母上のお立場であれば、王を呪詛し、謀反を起こしたオル兄上を生かしてはおきません」
アガリエは下座に座す。
上座の月神女はすっとアガリエを見つめ、深い眸の奥で静かに笑んだ。
「そなたはほんに賢い娘だのう。二代の王に仕えた月神女など聞いたことがあるまいに、何故に気づいたのだ?」
「簡単なことです。多くの神女に守られている王の呪詛は容易くできることではございません。当代では伯母上か、わたくしくらいのものでございましょう。それに……」
アガリエは吐息のように小さな声で囁いた。
「実はわたくしも呪詛には詳しいのです」
王にかけられた呪詛を一目で見抜くほどには、アガリエも呪詛に精通している。
「そなたはやはり王家に巣食う魔物であったな」
「わたくしが魔物の取り換え子ではないことなど、伯母上にはとうの昔にお分かりでございましょうに」
「いいや。皆の目は誤魔化せても、わたくしの目は誤魔化せぬ。そなたは魔物の子、血濡れの姫チィアカン。そなたに月神女の座を譲ることはできぬ。……さあ、そろそろ息が苦しくなってきたのではないか、妹姫ウタよ?」
「……わたくしのことも呪詛なさったのですね」
「そなたが名付けられた場にわたくしも同席していたのでな。そなたの真の名は最初から知っておった。第二王子と共謀し、王を呪詛した神女として常夜の国ニルヤネリヤへ参るが良い」
月神女は袖で口元を隠す。
だがその愉悦は隠しきれていない。
「哀れでなりません」
「なんだと」
「伯母上の目は、一体いつから曇ってしまわれたのか。己が目が曇っていては、どのように美しい景色であろうと、曇って見えるものでございましょう。それではより良い国造りはできません。おとなしく継承の儀を行ってくだされば、見逃してさしあげたものを」
「……何故だ。そなた、なぜそのように平然としていられるのだ? 呪詛は、たしかに呪詛は、成ったはずだ!」
「思いあがっていては足元をすくわれますよ、伯母上。わたくしの真の名はウタではなかった、ということです」
「馬鹿なっ、王はそなたをウタと名付けた。わたくしはこの耳でしかと聞いたのだぞ!」
「では伯母上の呪詛よりも、わたくしの霊力が勝ったということでしょうか」
アガリエの背後で戸が開き、かしずいた神女が声高に告げた。
「おそれながら申し上げます。三の君が挙兵なさいました!」
腰を浮かし、言葉をなくす月神女に代わり、アガリエは温度のない声音で問うた。
「一の君と対立しておられるのか?」
「さようにございます。二の君のお身内の方々と手を組み、謀反を起こしたのは一の君であるとして、正殿の前で交戦中でございます」
「二の君の身内ということは、我が母の生家ということか。……さぞ見ものでしょうね。戦見物と参りましょうか、伯母上」
「……そなたの仕業か?」
「何のことでございましょう?」
第二王子の母、つまりアガリエの生母は王妃にまでのぼりつめた女性だ。その生家は王妃を輩出するに相応しい名家であり、世継ぎの王子の後ろ盾としても申し分ない財力と権力を備えている。
「オル兄上には後ろ盾となるお身内はおられない。家と家の戦であれば、遠からず決着がつきましょう。そうなる前に事を片付けるべきでございましたね。わたくしへの呪詛が成立しなかった時点で遅きに失した、と言うべきなのでしょうけれど。ひとつ、教えてさしあげましょう。伯母上の目には、わたくしがウタのように見えますか?」
「……そなた、よもや一の姫なのか? ゆえに呪詛が成らなかったと? いつからだ、一体いつから姉妹が入れ替わっていたのだ!」
アガリエの口元が弧を描く。
そして外まで通るほど声高に叫んだ。
「ゼン様!」




