序章
たすけて。
声が聴こえる。
たすけて。
遠く、深く、揺れる波間から。
響く祈りの声。
どうか、どうか――、と。
心を穿ち、脳髄を射るかのような、切なる祈り。
『魔の女王』
リウ王国正史において初の女王が即位。
在位三日。
国を腐敗させ、己の私利私欲のために数多の民を虐げたとして、魔の女王チマジムと呼ばれる――。
*
細波が押し寄せる白い砂浜。朗々と響くのは祈りの言葉。
集うのは女ばかり。まだ幼さの残る面立ちの少女もいれば、日焼けした肌に深い皺を刻んだ老女まで、年の頃は様々だ。皆一様に生成りの装束をまとい、額には布を巻いている。頭上高くに結い上げた黒髪に挿しているのは魔を払うとされるユウナの葉で、その様子から彼女たちが神に仕える神女だとわかる。
寄せては返す波打ち際には手製の祭壇があった。
一人の神女が祭壇の前に進み出て、しずしずと膝をついた。他の女たちもそれに倣う。
今日の海は凪いでいる。
宵闇に染まっていた海の果てが次第に白み、またたきの次の瞬間には世界に色が増えていた。太陽が昇る。滴る涙のように海に光が射し、その眩しさにアガリエは目を細めた。
神に捧げる祈りの言葉はいつも同じ。馴染んだ言葉は呼吸するのと同じように彼女の唇から紡がれる。
その声が、ふいに途切れた。
波間に動く黒い影。
異変に気づいた神女たちが目を見開き身構える。
だが、そんな彼女たちに反して、影が発した声はあまりにも軽かった。
「ああ、ようやく着いたー」
若い男の声だ。
太陽を背にするがゆえに隠れていた男の表情が次第に明らかになる。
人の男だ。年は十代後半か。全身ずぶ濡れで、海の中から忽然と現れたが漁師ではないのだろう。体つきが華奢だし、何よりまとう衣に傷みがなく見るからに上質な作りだった。
彼は荒々しい音を立てながら砂浜へと歩を進めていたが、やがてぴたりと止まった。
「あれ? もしかして邪魔しちゃった?」
「……神よ」
「は?」
突然駆け出したアガリエに、神女たちも、くだんの青年も目を丸くして戸惑っている。
海水を吸った着物の裾が重い。それでもアガリエは彼に近づこうと必死だった。足がもつれて転びそうになる。そんな彼女を青年の腕が支えた。
「大丈夫か?」
「神よ! よくぞお出でくださいました!」
いや、あのさ、と何かを言おうとした青年の声を遮り、アガリエは声高に叫んだ。
「神よ。どうか我らをお救いください!」
ご覧頂きありがとうございます。終章まで完結済みの作品ですが、マイペースに投稿していく予定です。どうぞ気長にお付き合いください。




