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Episode Spring:7  決意の瞳

 一ヵ月後……。

 遠くに田島をのぞむ展望台に、俺はいた。

 砂浜での対峙からもう一ヶ月。どんな凄いことに出くわしてもすぐに忘れてしまう俺だが、あの時のことはまるで昨日のことのように覚えていた。

 というか、忘れようと思っても忘れることができない出来事だった。

 あれ以来、俺は長谷川咲希と話すことはなかった。席は隣だったが、翌日の月曜日にホームルームで学級委員に立候補したのぞみが席替えを強行。俺と長谷川は席が離れてしまった。

 また俺が話す機会を作ろうとしても、のぞみがいつも俺にくっついていたので、それもできなかった。

 そして放課後、のぞみがいないのを見計らって長谷川を探してみても、いつの間にかいなくなっていた。俺は校内を隈なく探してみたがどこにもその影はない。俺は校内を出て学校周辺を探検がてらに色々探してみることにした。この展望台もその途中に見つけた場所。初めて来た時は随分遠くまで来てしまったと感じたが、実際は学校から自転車で十分程度の所だった。

 俺は手すりにもたれかかりながら遠くに浮かぶ田島を眺める。入学してからはや一ヶ月でもうすぐゴールデンウィーク。何だかあっという間に過ぎた感じがする。平日は学校、休日は釣り宿の手伝いという生活サイクル。学校では、まだちょっと話す程度だが友達もできた。でものぞみがいつも一緒だから、男子よりも女子と話す機会の方が多かった。

「田島……、田島の行き遅れ伝説……か」

 田島を眺めているうちに、俺はあの時のぞみが言っていたことを思い出した。田島にまつわる伝説、この辺りではけっこう有名な話のようで、クラスの人間も大体知っているようであった。

「まあくだらないことほど、興味と関心をひくんだろうな。特にこんな田舎じゃ」

 俺はそんな独り言を呟きながら、しばらく展望台で海を眺め続けていた。


「ただいま」

 太陽が西へ傾いた頃、俺は家へと帰ってきた。

「おう、浩平!」

 玄関で後ろから俺を呼ぶ声が聞こえてきたので振り向くと、釣り道具を抱えた吾郎叔父さんがいた。

「あ、吾郎さん。今帰りですか?」

「おう、今日は久しぶりの大漁だったぞ!」

 吾郎さんは釣り宿の主人であり、釣り船「ゆかり丸」の船長。隔日毎に昼釣りと夜釣りで出船している。時には丸一日海の上ってこともある。

「あれ、今日のぞみはどうした?」

「今日も部活です。GW明けに学内発表会があるそうなんで」

「あ〜、そういやそんなこと言ってたっけ」

 吾郎さん、娘の晴れの舞台くらい覚えておいてくださいよ……。

「じゃあ浩平、俺はちょっと一眠りするわ。そうだ、明日のお客さん、夜釣りから朝に変更になったってカミさんに伝えといてくれる?」

 吾郎さんは眠そうに大アクビをしながら玄関へと入ってくる。

「あ、そうだ」

 靴を脱いだところで吾郎さんは振り返る。

「浩平にお客さんだぞ」

「え?」

 その言葉に俺は外の方へ振り返る。

 するとそこには……

「野島君、気付くの、遅いです……」

 長谷川咲希が寂しそうな表情で立っていた。


 ザー……、ザー……

 夕凪が周りの桜の葉を揺らす。

 遠くに田島を望む展望台に、俺と長谷川はいた。

「遠い……です」

 展望台に着いて、長谷川の第一声がこれだった。

 確かに徒歩でここまで来るのは遠いな……。でもそろそろのぞみが部活から帰ってくる時間だし、誰にも干渉されない場所で思いつくのは、この展望台だけだった。

「ま、まあいいじゃないか。あ、そこのベンチに座って」

 俺は奥にある古いベンチを指差した。

 長谷川は表情を変えることなく、そのベンチに座った。

「野島君は座らないのですか?」

 俺は長谷川の後ろ、展望台の手すりにもたれかかっている。

「あ、いや、別に深い意味はないから。で、用って何なんだ?」

 俺の言葉の後、しばらくの間があった。長谷川とはあまり接触したことはないが、この独特の「間」には慣れてしまった。

「あの、ごめんなさい……」

 長谷川の不意な謝罪に、俺は面食らった。

「あの、池澤さんとのこと……」

「のぞみが?」

「はい、それに、野島君にも、ひどいことを、言ってしまって」

「ひどいこと? お、俺は別にどうもないぞ。どっちかって言うと、訳わかんないほうだけどさ」

 俺は頭をポリポリ掻く。

 長谷川が気にしているのは、どうやらあの砂浜での一件のようだ。

「でものぞみは大変だったな。あの後のぞみの部屋でカンヅメだよ。まあ俺がこっちへ来てから、ずっと俺のこと気にかけてくれてたからさ……」

 のぞみが俺のことをずっと心配してくれている。のぞみの気持ちを俺はヒシヒシと感じている。

 でも、俺は結局のところ過去を振り切ることができずにいる。のぞみには申し訳ないと思うけれど、俺にとって自分の見えない過去は、とてもとても重いものだった。

「どうして?」

 いつの間にか長谷川はこちらに振り向いて、俺の顔をじっと見ていた。

「な、何が?」

「どうしてなんですか? どうして、そこまで、自分の過去に、こだわるんですか?」

 長谷川はあの瞳で俺の瞳を見つめる。まるで俺の本心を全て見透かしているように感じた。

「だって、先月、あんなことがあって、池澤さんのことも、とても傷つけてしまって……。でも、野島君、全然振り切れていない……」

 確かに俺は迷っていた。過去を忘れ池澤家の人たちと共に歩んでいくか。それとも、自分の過去を知るために戻っていくか。

 俺はどう進んでいいか、迷っていた……。

「どうしてですか? どうして、そこまで、自分の過去に、こだわるんですか? だって、辛いじゃないですか、辛い過去を、いつまでもひきずって。あの時、池澤さんが言っていたように、前に進んでいけば、もう瞳を、悲しみに染めることは、ないのに……」

 俺を見つめる長谷川の瞳は、大きく揺らいでいた。その瞳は悲しみと、そして疑問の色を孕んでいた。

「それは……、よく判らないんだ。よく判らないけれど、俺にはとても重いんだ……。自分が自分の過去を知らないっていうことは」

「…………」

「何故なら、俺は大切なものを失っているから。大切な記憶を……」

 俺は言葉を出すたびに、自分の中から何かがこみ上げてくるのを感じていた。

「のぞみはさ、昔の嫌なことなんか忘れてしまえっていうけれど、俺にとって過去を忘れるってことはとても苦痛なんだ」

「野島君……」

 俺は心の中からこみ上げてくるものを、吐き出すように話し続ける。

「俺はみんなが当たり前のように持っている、覚えている記憶がない。俺には小学校以前の記憶がない……。だから、みんな昔の思い出を楽しそうに話しているのを見るのが辛かった。思い出があるっていうことは、それまで生きてきた証があるっていうこと。でも、俺にはそんな小さい時の思い出がないから、まるで昨日生まれたみたいな感覚で自分に奥行きを感じられなくて……、ずっとずっとコンプレックス感じていたんだ」

 すると長谷川がベンチから立ち、手すりにもたれる俺の横に立つ。

「野島君……、過去を背負って生きていくということは、とても辛いことです。でも、過去を捨てるという行為も、とても辛いことです。それは、今までの自分の歩んできた路を、自ら否定することなんだから……」

 そして長谷川は顔を伏せ、話を続ける。

「私も、野島君のようなことではないけれど、辛い過去が、あります」

「…………」

「そして、その過去を、私は、今もまだ、引きずっています……」

 長谷川の言葉、それは先ほどの俺と同じように、心から溢れてくる何かを吐き出しているようだった。

「何故なら、もう同じ苦しみを、味わいたくないからです。私にとって、過去を忘れるということは、とても辛く、悲しいことです……」

 長谷川は地面を見つめながら、淡々と続ける。その瞳には輝きなどなかった。そこにあるのは、底の知れない暗黒だった。

「だから、私は……、野島君に、前に進めとは、言えません。言える資格なんて、ないから……」

 俺も、長谷川にそんなことを言える資格なんかない。

「でも、でも、私は、野島君に、野島君には、前に、進んでほしい……」

 長谷川は手すりを離れ、俺の正面に向き直った。そして俺の瞳をじっと見据えた。

「私は、こんな自分が、嫌いです。過去を振り払うことを恐れ、そして前に進もうとしない自分が……。だから、だから、私と同じような瞳をした野島君が、とても、とても辛いの……。本当はこんなこと、いう資格なんてないけれど、野島君には、自分の辛い過去を糧にして、前に進んでいってほしい……」

 その時、長谷川の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。まるで自分が持つ辛い過去に対する想いが、心の堤防を決壊したように……。

 涙は長谷川の頬をつたい、地面に雫となって落ちていく。

 その時、俺の心の堤防も決壊した。

「長谷川、俺も、俺も同じ気持ちだよ」

「え……」

「俺も、長谷川が自分と同じ瞳をしていると知った時、何だか判らないけれど、辛かった……。俺も辛い過去なんか忘れちまえって言える立場じゃないから」

 この時、俺は自分の頬を涙がつたうのを感じた。でも俺は言葉を止めなかった。

 止めたくなかった。

「でも、でも、そんなのはウソだ!」

「の、野島君……」

「そんな理由、ウソだ! 本当の理由は、ただ怖いだけなんだ。今まで前に進んだことがないから、進もうと思ったことがないから」

「…………」

「頭では、ちゃんと判っている。何いつまで昔のことにこだわってんだって。本当に大切にしなきゃいけないのは今なんだってことも。自分がどうしていいか判らないなんてことはない。答えはもうずっと前から出ているんだ! なのに、なのに……」

 言葉とともに、俺の瞳から涙がとめどなく溢れてくる。でも止まれなんて思わない。止まってしまったら、自分の想いを解放できなくなると思ったから。

「本当は、前に進んでいきたい。でも、進めない。進んでいくことが、怖いんだ……」

 俺は頭を抱え、その場に座り込んでしまった。もう、立っていられなくなった。

「野島君……」

 すると長谷川が俺に向けて手を差し伸べてきた。

「私とじゃ、だめですか?」

 長谷川の言葉に、俺は顔を上げる。そこには長谷川の決意に満ちた瞳があった。

「私も、怖いです……。野島君と同じように、前に進んでいくことが」

「長谷川……」

「私も、判っていました。野島君と、同じように。前に進んでいくということが、私の答え。でも、それはとても怖いこと。そんなこと、したことから……」

 長谷川の瞳は一瞬潤むものの、そこから涙は出てこない。

「でも、私は、野島君となら、進んでいけるかもしれない。もしかしたら……」

 俺は長谷川の手を取り立ち上がる。そして再び自分の瞳を長谷川の瞳と重ねる。

「もしかしたら、二人で、進んでいこうとしたら、一人でいるよりも、少しは、怖くないかと、思います」

「長谷川、お前……」

「私も、野島君も、前に進んで行きたいって思っているから、きっと、進んでいけると、思います。もし、辛いことがあって、立ち止まることが、あるとしたら、お互い支えあって、辛いことを共有して、そして、また進んでいきましょう」

 最後に、長谷川は今まで見たことのないような笑みを見せた。そういえば長谷川の笑顔なんてもの、初めて見た。

 長谷川の言葉に、俺は思わず目を反らず。何だか愛の告白をされたようで、何だか照れくさかった。

 長谷川はそんな俺の顔を不思議そうな表情で覗き込む。

「い、いや何でもない。そ、そうだな、二人とも同じ想いなら、乗り越えていけるかもな」

「うん!」

 長谷川の笑顔を横目で見ながら、俺は再び手すりにもたれかかる。

 この時、俺は長谷川にウソをついていた。

 本当は判らなかった。俺は本当に自分の過去を乗り越えていけるかを。でも、俺には長谷川の提案をのむ以外、選択肢はなかった。

 俺と長谷川が同じ瞳をしているなら、もしかしたら長谷川は俺のことを頼っているのではないか?

 長谷川も過去の呪縛から逃れたいため、俺に助けを求めているのではないか?

 そう考えると、俺には断ることなどできなかった。同じ瞳を持つ者同士、見捨てるようなことはとてもできない。

 そして俺が自分の過去へ辿り着くためには、長谷川の存在が必要なのかもしれない。


 サー…………

 海からの潮風が展望台の木々を優しく揺らす。その風は、心地よくて暖かい。

 一ヶ月前、俺がこの地へやって来た時よりも、風は暖かくなっていた。

 もう夏が近い……。

 俺は海の方へ振り向く。

 俺が見た海と空は、初めてこの展望台から見た景色に比べて、濃く、深く、澄みわたっていた……。


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