Episode Spring:6 対峙する瞳
「…………」
朝の砂浜、俺とのぞみ、そして長谷川は向かい合っていた。俺のズボンと長谷川咲希のスカートから、海水が雫ととってポタポタと滴り落ちている。
「あ、あの……」
まずのぞみが口を開く。
「長谷川さん、何でこんな時間に田島にいたのかな? 知ってるよね、島の伝説」
恐ろしいってほどでもないが……、
のぞみの問いかけに、長谷川は表情を変えることなく頷く。
「いつから、いたの?」
「昨日の、夕方から……」
長谷川の回答にのぞみは少し驚いていた。あんな何もない島で女子高生がたった一人で一晩過ごそうなんて普通考えない。
「で、何をしてたの? あんな何もない所で」
何故かのぞみは長谷川に詰め寄るような形で問いかけていた。しかものぞみの眉間にはシワが寄っている。
「…………」
長谷川は、今度は何も答えない。そしてさっきまでの無表情が、まるで困惑しているように見えた。
「おい、のぞみ……」
「こーへーはちょっと黙ってて! ねえ、何してたの?」
のぞみはさらに詰め寄る。何だか怖いぞ……。
「言えません……」
詰め寄ってくるのぞみに困り果てたのか、長谷川は視線からのぞみを外す。
「何でよ?」
「言えません……」
「何でよ!」
「い、言えません……」
のぞみはさらにさらに詰め寄る。
「おいのぞみ、もうよせって!」
俺はこれ以上ほっとけないと思い、のぞみと長谷川の間に入る。長谷川はかなり困惑している様子で、のぞみは顔が紅潮していた。
「もういいだろ、本人が言いたくなっていってることを……。何興奮してんだ!」
「そ、そんなんじゃないもん!」
俺はのぞみを後ろへ下げる。本人は否定していたが明らかに冷静さを失っている。こんなのぞみを見るのは初めてだ。
「ご、ごめんなさい、野島君……」
長谷川は俺に向かって頭を下げる。
「何で謝るんだよ。何か俺に悪いことでもしたのか?」
「そ、そういうわけでは……」
「じゃ、別にいいだろ」
俺は長谷川に向かって笑みをみせる。
「なあ、俺は別にあんたが田島で何をしていたかなんて興味ない」
俺は表情を戻し、長谷川の瞳を見据える。
「でも俺はあんたに用がないわけじゃない。むしろ聞きたいことが山ほどあるんだ」
「…………」
長谷川は俺の言葉に俯いてしまう。しかしすぐに顔を上げ、俺の瞳を見る。
「じゃ、一つ聞いていいか? 山ほどある中で一番の質問」
「はい……」
長谷川の返事に、俺はずっと胸につっかえていたことを訊ねる。
「昨日の校門のこと、覚えているよな? あの時こう言ったよな? あなたも、大切な人、失ったことある……って」
「…………」
長谷川の瞳が少し動く。まるでどこまでも深い湖に小石を投げ込んだ時にできる小さな波紋のようだった。
「なあこれはあくまでも俺の推測だ。もし違ってたら謝るよ。はっきり言ってシャレになんねえから」
「…………」
「でも聞くぞ。あなたってことはさ、長谷川も昔大切な人を失ったことあるのか?」
俺の言葉に長谷川の瞳が大きく揺らぐ。湖に大きな石を投げ込んだ時の波紋のように。
「俺が昨晩全然眠れなかったのは、長谷川の瞳が気になって気になってしょうがなかったからなんだ。俺が昨日校門で涙を流した時、長谷川の瞳が涙越しに目に入った。その時、長谷川の瞳は……、何か、泣いているように見えたんだ」
俺が言葉を投げかける毎に、長谷川の瞳は揺らぎ続ける。
「それで今朝、鏡で自分の顔を見た時、気付いたんだ。同じだってってこと……。あの時長谷川は瞳いっぱいに悲しみを含んでいた……」
「…………」
「長谷川と初めて会った時からずっと気になっていた。それは自分と同じ瞳をしていたから、俺と同じ悲しい瞳……。どこまでも深くて、底が知れないくらいの悲しみの過去を経験した瞳だってことに気付いたんだ」
俺は揺らぎ続ける長谷川の瞳をじっと見据える。でも長谷川も揺らぐ瞳で俺の瞳を見据え続けていた。
「でも、俺には判らなかった。俺自身の過去が……。俺は、俺の過去が知りたい。もし俺の考えが正しければ、長谷川は俺と同じく過去に大切な人を失くしたことがあるということ」
「…………」
「なあ教えてくれないか。昔、何があったのかを」
俺の言葉に長谷川は瞳を曇らせ顔を伏せる。まるで涙が出るのをこらえている様だ。でもそれは俺も同じ。俺は自分の過去にふれようとした時、涙が溢れそうになるのだ。
「……わ、わからない」
聞こえるか聞こえないかくらいの声で、長谷川は話しはじめる。
「野島君の言うとおり、私も昔、大切な人を、失った……。とても、とても、悲しかった……」
「やっぱり……」
俺は思わず顔を伏せてしまった。
そしてここから長谷川の語気が少し強くなる。
「でも、でもそれは、私だけに起きた、悲しい出来事……。私と野島君は、同じ瞳を、しています。私も、初めて会った時から、それを感じました。私と同じ、悲しい過去を、経験しているって……。でも、それは結果がそうであって、そこまでのプロセスは、違うと思います……」
「プロセス?」
俺が顔を上げると、そこには長谷川の瞳があった。
「同じくらいの悲しみを、経験していても、悲しみの過程まで、同じになるなんて、ありえません」
「そ、それは……」
俺が話そうとする前に、長谷川が言葉を被せてくる。
「ありえません……、奇跡でも、起きない、かぎり……」
「き、奇跡?」
俺は長谷川の言った「奇跡」という言葉の意味が理解できなかった。
そして俺はその意味を訊ねるため口を開こうとした、その時……、
早朝の砂浜にパンッという乾いた音が響いた。
横を向くと、のぞみが平手を振りかざしていた。
今のパンッという乾いた音、それはのぞみが長谷川の頬を張ったものであった。
「もう、もういい加減にして!」
のぞみの瞳には怒りと、涙がいっぱいに溢れている。
「もうこれ以上、こーへーのことを苦しめないで! お願いだから……」
のぞみの言葉に、長谷川は張られた頬を手で押さえるだけで、何も答えなかった。
「昔何があったか知らないけれど、あなたの過去の話にこーへーを巻き込まないで!」
のぞみは今の感情を全て吐き出すかのように叫んだ。それとともに瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
「こーへーはね、前に進むの! 悔しいけれど、こーへーの悲しい気持ち、わかってあげられなくてすごく悔しいけれど……、でも、でもこーへーは前に進むの! だから今ここにいるの!」
のぞみの言葉が俺の胸に突き刺さる。そして知らない間にのぞみの心を傷つけていたという事実を知った。俺はとてつもない嫌悪感に襲われた……。
のぞみの心からの叫びに、長谷川は頬を押さえたまま、何も言わなかった。顔を伏せ、言われるがままであった。
のぞみはそんな長谷川の態度に苛ついているようにもみえた。
「もう……、こーへー行こっ!」
のぞみはいきなり俺の腕を取り、海岸沿いの道へと通じる階段へと引っ張った。
後ろ髪を引かれる思いではあったが、俺はのぞみの手を振り解かなかった。今それをやったら、のぞみと俺の関係が一気に崩れていってしまいそうで怖かったから……。
「…………」
のぞみに手を引っ張られている中、俺は長谷川の瞳を一瞬捉えた。
それは、とてもとても、悲しげな瞳……。
少女には抱えきれないくらい、悲しみの色を滲ませていた。