Episode Spring:4 瞳
「あなた、私と、同じ瞳、してる……」
家に帰ってからも俺はずっとその言葉の意味を考えていた。食事の時も、のぞみたちと談笑している時も、トイレの時も風呂の時も、心の端っこのどこかにその言葉はあった。
長谷川咲希……、彼女は一体何者?
夜も更け電気の消えた真っ暗な部屋の中で、俺は眠れずにいる。時計を見るともう日付が変わっている。明日も学校だからもう寝たいのだが、やっぱり彼女のことが気になって目が冴えてしまっている。
俺の頭から離れないのは言葉だけではなかった。
あの瞳だ。何故かは判らないけれど、俺は彼女の瞳が気になっていた。目を逸らそうとしても逃れることができない。それどころか自分からあの瞳に引き付けられ、そして吸い込まれそうになるのだ。
う〜ん、気になる……。
ま、まさか、恋しちゃった?
…………
う〜ん、何か違うよな。
…………
結局俺は殆ど眠ることなく朝を迎えてしまった。
目覚ましのアラームが鳴る前にスイッチをオフにする。そして制服へと着替え洗面所へと向かった。
洗面所へと続く廊下で恭子さんと会う。
「あ、おはようございます」
「おはようございます。あら……」
「ん、何すか?」
「目元、すごいクマになってますよ」
「え?」
俺は洗面所の鏡で自分の顔を確かめてみる。
ホントだ……。殆ど眠れてなかったからなあ。
「どうかしたんですか?」
鏡には恭子さんの心配そうな表情が俺の後ろに映っている。
「え? いや何でもないですよ」
俺は鏡越しに笑顔をつくってみせる。
「ならいいんですけれど」
すると恭子さんの表情も緩む。
「おふぁよ〜」
のぞみも起きてきた。昨日の朝と同じく寝ぼけ顔だ。
「お〜い、もうトイレで寝るなよ〜」
「ふあぁいぃ……、って、もう寝ないもん!」
どうやらパッチリ起きたようだ。
その後俺とのぞみは朝食を済ませ学校へと向かった。自転車で昨日と同じ道を昨日と同じように走る。ただ今日は昨日と違い時間的な余裕がある。
今日は健康診断と進路指導ガイダンスがあるので、まだ授業は行われない。高校二年の一学期に進路相談と言われても全然ピンとこないのだが、これのおかげで今日も昼までなのだから、まあ話くらいは聞いておこう。
「健康診断、やだな……」
学校に着いてからのぞみがポツリと呟く。
「何が? 体重か?」
「それもあるけど……、何か全体的に。だって健康診断って、男のお医者さんに裸見られちゃうんだよ」
そうか、健康診断の医者ってそんな羨ましいポジションなのか!
「俺も医者目指そうかな……」
「え、こーへー何か言った?」
「いや、何でもないぞ」
危うくのぞみにドン引きされるところだった。
健康診断は何事もなく終わり、ガイダンスもテキトーに聞き流しているだけだった。ガイダンス終了後、今日はのぞみの部活もないので一緒に帰ることにした。
「少し太ってた〜、おまけに去年から背が全然伸びてない!」
自転車置き場に行くまでの間、俺はのぞみのボヤキを延々聞かされていた。
「このままじゃヤバい! 夏に向けてダイエットしなきゃ!」
とのぞみが一人血気盛んに意気込んでいる。俺には別にどうでもいい話だ。
「じゃ、帰ろうぜ」
俺とのぞみは自転車を手で押しながら校門へと向かう。人通りが多いので乗ると人にぶつかりそうになるので少し危ない。
「あ……」
校門にさしかかった時、俺は思わず自転車を止めた。
何故なら、そこにあの長谷川咲希が静かに佇んでいたからだ。
「…………」
長谷川咲希はまるで誰かを待っているかのように、その場で留まっている。
「どうかしたの?」
急に立ち止まった俺に対し、のぞみは不思議そうな表情。
「え、いや……」
リアクションに困った俺は目を逸らす。
その時、逸らした視線が長谷川咲希の方へと向き、偶然にも彼女と目が合ってしまった。
「…………」
俺と目が合っても、彼女の表情が変わることはない。
「長谷川さんがどうかしたの?」
のぞみは俺の視線の先にあるものを辿ったのだろう。横から訊ねてきた。
「いや、別に。あの子のこと知ってんのか?」
俺はのぞみに何気なく長谷川咲希について聞いてみる。俺は長谷川咲希を知ってから、ずっと彼女のことが気になっていた。しかし俺は長谷川咲希がどのような人物か全く知らない。
「う〜ん、一年の時も同じクラスだったけれど、よくわかんないなあ。私もあんまり話したことないし、それに……」
「それに?」
するとのぞみが俺の耳元に顔を近づけてきた。
「長谷川さんって私たちより一つ年上なの。何でも一年の時に殆ど学校に来なくて留年しちゃったんですって」
「留年?」
「うん、だから接しにくくて……。何となくだけれど」
そう言ってのぞみは苦笑いを浮べる。昔から人見知りを全くしないことで有名(?)なのぞみが接しにくいと言うのだから、一般人はかなりカラミ辛いだろう。それに一つ年上……、言われてみれば、確かに俺たちよりも大人っぽいな。
「あ……」
のぞみが声を上げる。
「どうした?」
「こーへー、後ろ」
のぞみの言葉に、俺は振り返った。
すると、そこには……、
「…………」
一度見たら頭から離れない、あの深い瞳の持ち主。長谷川咲希が、そこにいた。
突然の対面に俺は戸惑う。彼女は俺の瞳をずっと見据えている。
「え、え?」
俺の横で、望みが状況を把握できずにいる。尤も、今の状況が把握できていないのは俺も同じだが。
「…………」
長谷川咲希は無言で俺の瞳を見続ける。俺は彼女の顔を見ていたが、どこにその焦点を合わせていいのか判らなかった。もし彼女の瞳に焦点を合わせると、あの深い瞳にずるずると引きずりこまれてしまいそうな感じがする。
「あ、あの」
とにかく俺はこの不思議な状況を打開したかった。だから何か言おうとした。でも肝心の言葉が見つからない。
俺は本当に不思議だった。自分で言うのもなんだけれど、前の学校では女子にそこそこ人気があったと思う。だから女子を前にすると緊張して何も話せなくなるような男ではない。なのに、今長谷川咲希を前にして、全く言葉が出てこない。
「同じ……」
しばらくの沈黙の後、長谷川咲希が口を開く。
「やっぱり、同じ……」
俺には彼女の言っていることの意味が全く判らない。同じって、一体何が?
「こ、こーへー……」
のぞみが心配そうに声をかけてくる。のぞみは俺と長谷川咲希の一挙手一投足を、まさに固唾を飲んで見守っていた。
「…………」
ずっと俺の瞳を見据えていた長谷川咲希であったが、しばらくして視線を下に落とす。俺は彼女の表情を伺おうと、合わせて視線を下げてみた。
「え?」
彼女の表情を見た時、俺は戸惑った。俺の顔を見つめている時いたって無表情だったのに、今の表情はとても苦痛に満ちたもののように見えたのだ。
「どうして……」
「えっ」
長谷川咲希は突然口を開いた。
「どうして、どうして……」
そして彼女は顔を上げ、再び無表情で俺の瞳を見つめる。
「あなた、私と、同じ瞳、している」
長谷川咲希は俺に聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟く。
「あなた、私と、同じ……」
「え、な、何が?」
俺には何のことかさっぱり。勿論、俺の横にいるのぞみも同じだ。
「あなた……」
突然、長谷川咲希の表情が曇る。
「あなた、昔、大切な人、失ったこと、あるでしょ……」
「……え?」
大切な人って、一体、どういう意味なんだ?
判らない、全く判らない。
しばらくその場に沈黙が流れる。何だか周りがザワザワしている感じがする。
「そう、やっぱり、そうだったのね……」
「え、や、やっぱりって?」
俺は思わず声を上げる。自分の心の中にある疑問の絡まりを抑えきれなくなったからだ。
「やっぱり、あなたも、失っていたのね。大切な人……」
「な、なあ、それってどういう……」
俺が長谷川咲希に言葉の意味を問い詰めようとした、その時。
「こーへーっ!」
突然のぞみが声を上げた。
俺はその声に思わず反応し、のぞみの方へ振り向いた。
その時、
「えっ」
俺の目の前をキラキラと光る雫が横切った。
「こ、こーへー……」
振り向くと、のぞみが何とも言いようのない表情で俺の顔を見ている。のぞみの後ろには、何故かちょっとした人だかりができていた。
「ど、どうしたんだよ」
俺がのぞみに言葉をかけようとした時、
キラッ……
またしても雫が俺の視線を横切る。
俺は地面を見つめる。すると雫が次々と地面に落ちていった。
「え……」
俺はまさかと思い、自分の頬に手をあててみる。
「こーへー……」
のぞみが何か言っていたが、何を言ったのか俺には聞き取れなかった。
「これ、涙? 俺、泣いているのか?……」
手をあてると、俺の頬はとても湿っていた。
そう俺は泣いていた。瞳から溢れ出た涙は俺の頬を湿らせ、そして頬をつたい雫となって地面へと滑り落ちていく。
「何で俺、泣いているんだよ? なあ、なあ、何でだよ!」
涙は止めようと思っても、何度も何度も拭いてみても、枯れることなく溢れ続けるのだ。
そう、まるで大切な人を失ってしまった時のように……、