Episode Spring:2 懐かしの新居
駅前の道を十分程歩くと、海沿いの道へ出た。この道を南へずっと歩いていくと、三階建ての建物がみえてきた。
そして屋上に設置されている看板には「釣り宿 ゆかり」と書かれてあった。
「こーへー、着いたよ〜」
のぞみはそう言いながら門をくぐる。
この釣り宿、これがのぞみの家であり、俺がこれからお世話になる所である。
「デカくなってる……」
新しい我が家を見た俺の第一印象がそれだった。前にここへ来た時は二階建ての古びた木造の建物だったのに、いつの間にか鉄筋コンクリートの建物になっていた。何でも以前この辺りが舞台となったTVドラマが撮影した際、この「ゆかり」が使用されたのだ。ドラマが終わって後も取材や観光客が押し寄せ、こんな田舎の民宿であるにも関わらず大繁盛をみせたのであった。
「こーへー、早く早く!」
建物をボーッと眺めていると、中からのぞみが手招きしている。俺はそれに気付き、誘われるように中へと入った。
「これが、あの釣り宿……」
俺は目を疑った。普通釣り宿の玄関はそこらへんの民宿と同じく、民家のそれと大して変わらないはず。しかも「ゆかり」はそれに加えてかなりボロかったはずだ。
「何で釣り宿の玄関にシャンデリアがあるんだよ?」
俺が最後に「ゆかり」を訪れてから数年経った今、「ゆかり」の玄関はちょっとした高級旅館のロビーのようになっていた。
俺はふと視線を足元へ落とす。
やたら足元がフカフカすると思ったら、床が絨毯になっていた。しかも赤い……。
俺の知っているあのオンボロな「ゆかり」は、オンボロな面影が全く無くなっていた。周りを見渡してみると、いかにも高価そうな絵が飾られていたり、へんてこりんなタヌキの置物があったりと、どこかの社長室のようになっていた。不況不況と言われるこのご時世、「ゆかり」だけバブル時代を満喫しているようだった。
「こーへー、どうしたの?」
俺が周りを見渡してポカンとしていると、のぞみがキョトンとした顔で覗き込んできた。
「あ、いや……随分変わったなって……」
「そうかな? まあ最近この辺で立て続けにイベント事があったからねぇ。特に最近は釣り客だけじゃなくて一般の観光客さんもお見えになるから、色々と整備しなくちゃいけないってわけよ」
のぞみは非常に自慢げな表情。俺は再び足元の真っ赤な絨毯に視線を落とす。
「これでもお父さんとお母さんは、ちょっと物足りないみたいなこと言ってたけれど」
これのどこが物足りないのか聞いてみたいところだ。でも、聞くのがちょっと怖い……。
「行こっか」
のぞみはポカンとしていた俺の手をとり外へと引っ張る。
「おい、行くってどこへ?」
「どこって母屋に決まってるじゃない」
のぞみは当たり前のように答えた。
「母屋って、この上に住んでるんじゃないのか?」
俺の知っている「ゆかり」は二階が宿泊スペースで、一階が家族の居住スペースになっていたはず。
「うん、二年前に新しく家を建てたの」
のそみはそう言いながら俺の手を引っ張った。
どうやら「釣り宿ゆかり」は今バブルど真ん中のようだった。
「いらっしゃい、浩平君」
これまた豪華な母屋の玄関をくぐるとそこにはのぞみの母親で、俺の母の妹にあたる恭子さんが出迎えてくれた。
「お久しぶりです。今日からここでお世話になります」
俺は恭子さんに向かい頭を下げる。
「あらあら、そんなことしなくてもいいのも。これから浩平君は池澤家の一員になるのだから、堅苦しいことは抜きにしましょう」
恭子はそう言ってオホホと笑う。
この恭子さん、もう四十を過ぎているが見た目はとても若く、二十代と間違われるくらいである。のぞみには既に嫁に行った姉がいるが、あと少ししたらおばあちゃんになるかもしれないなんてとても思えない……。恭子さん自身も自分の若さを自覚しているようで、のぞみの話によると、たまに鏡を見てニヤニヤしているらしい。
「俺の荷物届いています?」
俺はほとんどの荷物をあらかじめ宅急便で送っていた。今日俺が持ってきたのは身の回りの物を入れたリュックサックのみである。
「ええもう届いているわよ。浩平君の部屋、片付けたばっかりだからそのままになっているけれど」
「部屋のことはのぞみから聞きました。色々と大変だったみたいで」
「ええまぁ、長い間使っていなかったもので、オホホ……」
恭子さんは苦笑い。先ほどのぞみが言っていたことを恭子さんも体験したようだ。
ん、でもちょっと待てよ?
「恭子さん、一つ聞いてもいいですか?」
「ん、何かしら?」
「この家って二年前に新築したんですよね?」
「そうよ、裏の畑を取って」
「つまりこの家でまだ新しいんですよね? なのに何でそんな短期間でひどい有様になったんですか?」
「ひどい?」
恭子さんは俺の質問に不思議そうな表情。
「三年分のゴミとかホコリとか、得体の知れない生物の屍骸とか?」
つーか、二年前に新築したのに、何で三年分なんだ? 今気付いた……。
俺の質問に対して恭子さんは、
「オホホ……」
笑った、何だ今の間は……
「じゃ、今から浩平君の部屋に案内するわね」
そう言うと、恭子さんは奥へと入っていった。
「さ、浩平君」
「あ、はい」
恭子さんに促され、俺も奥へと進んだ。
「ここよ」
一階奥にある扉の前で恭子さんは立ち止まり、そして扉を開けて中へと入った。俺も恭子さんに続いて中へと入る。
部屋に入った俺は、まず部屋の中を見わたしてみた。
「ここって……」
ここは二年前に新築されたはずだったが、俺はこの部屋に初めて入った気がしなかった。たしかに見覚えのある、懐かしい匂いのする部屋だった。
「ここ、じいちゃんの離れ……」
俺の言葉に、恭子さんはニッコリと微笑む。
「そうよ。家を新築する時に取り壊そうと思ったんだけれど、何だが偲びなくてね。結局取り壊さずに新築した家とくっつけることにしたの」
「そうだったんですか」
この離れ、四年前に死んだじいちゃんが使っていた部屋。
じいちゃんはこの辺ではかなり名の知れた漁師だった。元々は息子である吾郎さんが恭子さんと結婚する際、二人の部屋として建てられたものだったが、じいちゃんが漁で怪我をして足が不自由になって以来、じいちゃんがこの部屋を使うことになったらしい。
俺が小学生の時にここへ来た際、この部屋でよくじいちゃんに遊んでもらった。ここがじいちゃんの離れだと気付いた瞬間、じいちゃんとの思い出が堰を切ったかのように溢れてきた。
「でも、今日はここにお布団敷けないわねぇ」
恭子さんが困惑の表情を浮べる。
「え、何でですか?」
「だって荷物まだ片付けきれてないのよ。掃除機もかけてないし」
俺はもう一度部屋をみわたす。
確かに荷物の入った段ボールが積まれたままの状態だが、夜までに片付けられない量じゃない。
「これくらいなら全然大丈夫ですよ。一時間もあれば片付きますよ」
「そうかしら? 浩平君大丈夫?」
不安気な恭子さんに向かい、俺は笑顔で腕まくりをしてみせる。すると恭子さんは笑顔をみせてくれた。娘ののぞみと同じく表情がコロコロ変わる人だ。
「それじゃぁ、私は夕飯の支度を始めますから、できたら呼びますね」
「わかりました。あの、恭子さん……」
俺は部屋を出ようとした恭子さんを呼び止めた。
恭子さんは一瞬キョトンとした表情をみせたが、すぐ笑顔に戻る。
「…………」
「?」
「い、いえ……、何でもないです、スミマセン」
すると恭子さんはクスッと小さく笑い、部屋を後にした。
この時、俺が恭子さんに言おうとしたこと、それは感謝の言葉。
親に捨てられたこんな俺を拾ってくれたこと、それについて一言礼が言いたかった。
でも恭子さんの笑顔を見た時、喉まで上がってきていたその言葉が、何故か急にすっこんでしまった。
「今日から池澤家の一員だよ!」
そして俺は、ここへ来る途中に聞いたのぞみの言葉を思い出した。
マッハで部屋を片付けたつもりだったが、段ボールに入った荷物を整理し掃除機をかけ終わった頃、外はもう真っ暗になっていた。最後の段ボールの束をゴミ捨て場に持っていったところで、俺を呼ぶ恭子さんの声が聞こえてきた。
とても腹が減った……。
そう言えば昼前に駅の立ち食いソバ屋でかけそばを食べて以来何も食べていない。俺は一目散に母屋へと向かった。
夕食は居間で俺と恭子さんとのぞみの三人。今晩吾郎さんおじさんは夜釣りのお客さんがいるため帰ってこないそうであった。これにより吾郎さんへの挨拶は明日以降にずれこみそうだ。
夕食が終わり風呂に入った後部屋に戻った。のぞみが一緒にTVを観ようと誘ってくれたが、明日から新しい学校へ行くための準備をしなければいけなかったので断らさせてもらった。
俺は部屋に戻ると段ボールから出しておいた教科書類を確認し、本棚へと整理する。のぞみによると明日は始業式だけだから教科書は使わないそうだが、部屋の隅に本を山積みしているのはちょっと格好悪い……。
「ありゃ、入らねぇや」
本の整理を続けていると困ったことが起きた。教科書類はだいぶ整理できたが、俺が持ってきた雑誌やマンガ類がおさまりきらなかったのだ。何せ私物の殆どを捨てずに持ってきたのだから、本類だけでもかなりの量がある。
「しょうがないな。残りは紐でくくって押入れに入れとこうか」
俺は残りの本類を紐でくくり、押入れへと入れた。押入れは事前にのぞみたちが片付けてくれたのだろう、布団が一組と衣装ケースが二つあるだけだった。
「ついでに布団も出しておくか」
布団は持ってこなかったのでこっちで用意してもらった。ここは一応旅館なので布団類は山程あるらしい。
俺は押入れから布団をベッドへと運び出す。ちゃんと干してくれていたようで、「お日様の匂い」がした。
ドサッ
布団を持ち上げた時、俺の足元に何かが落ちた。布団をベッドに置いてから確認してみると一冊の古い本が落ちていた。
「何だこれ?」
俺は本を手に取り押入れの奥を覗いてみる。すると奥の方にこれと同じような古本が二、三冊あった。おそらくのぞみたちが押入れの物を整理した際に搬出し忘れたものだろう。
俺は手に取った本の表紙を見てみる。
『海美子姫』
海美子姫……。そういえばこの本、見覚えがある。確か昔じいちゃんに読んでもらったことがある。この辺に伝わる民話かなんかで、内容は確か……、
「こーへー!」
「うわっ!」
パジャマ姿ののぞみがいきなりドアを開けて入ってきた。
「な、何でそんなビックリするかな」
部屋に入ってきたのぞみは俺の反応に少し驚いていた。
「あのなあ、ノックもしないでいきなり入ってきたら、誰だってビックリするだろうが」
するとのぞみは口をとがらせる。
「え〜、私ノックしたよ。ノックしても返事がないから、仕方なく入ったんだよ」
「え、あ、そうなのか? わ、ワリい……」
全然気付かなかった……。
「もう、しょうがないんだから」
するとのぞみは手に持っていた物を俺の前に出す。
「明日始業式だから、こーへーの新しい制服持ってきたの」
のぞみが持ってきてくれたもの、それは俺の真新しい制服だった。
「おお、サンキュ!」
俺はのぞみから制服を受け取る。そう言えば制服のことをすっかり忘れていた。
「始業式は八時四十分からだから、八時に家出るからね。くれぐれも寝坊しないでね」
のぞみは人差し指を俺の顔の前に突き出してくる。
「わかってるよ! のぞみもな!」
「私は寝坊なんかしないも〜ん!」
ウソ付け。今日してたじゃねえか……。
「じゃ、私はそろそろ寝るね。おやすみっ」
のぞみは手を振りながら部屋を後にする。相変わらず楽しそうなヤツだ。
「ったく、どんな内容か思い出せなくなっちゃったじゃねえかよ」
俺は海美子姫の本を押入れへと戻し、ベッドへと潜り込んだ。
遂に、明日から新しい学園生活のスタートだ!