エピローグ 「奇跡」ということ
それから三日後の朝、再び病院の浩平君から電話がかかってきました。
「外出許可が下りたから……」
内容はそのような感じでした。私は少し戸惑いましたが、とにかく病院へと行ってみることにしました。
「よう咲希!」
私が病室へ入ると、パジャマではなく普段着の浩平君が立っていました。
「こんにちは」
「…………」
そして浩平君だけではなく、池澤さんと池澤さんのお母さんも一緒にいました。
池澤さんのお母さんは私の姿を見ると二コリと笑ってくれましたが、池澤さんは口を真一文字に結んでいました。私はそんな光景に少し戸惑ってしまいました。
「ホホ……」
その姿を見て、池澤さんのお母さんが笑う。
「す、すみません……」
「咲希、何で謝ってるんだ?」
本当に、何で謝ってしまったんでしょうか……。
「ところで浩平君、どうしたんですか、その格好……」
すると浩平君はニカッと笑い両手を広げる。
「見りゃわかるだろ、秋の新作だ!」
「それと同じ服を、五月頃見たような気が……」
「き、気持ちの問題だ、気持ちの!」
……………………
何だか、こういう会話を久し振りにしたような気がする……。
私と浩平君の時計は動いている。私は心の中でそう確信しました。
「そんなことはどうでもいいって。電話で話したろ、外出許可が下りたって」
「え、あ……はい」
「というわけで、行くぞ咲希!」
「え、きゃっ」
すると浩平君はいきなり私の手を引っ張り、病室から出ようとする。
「咲希さん」
池澤さんのお母さんから声をかけられる。
「浩平君のこと、よろしくお願いしますね」
池澤さんのお母さんは笑顔で私に話す。手を引っ張られながら私はただ頷くことしかできませんでした。
そして浩平君に引っ張られ病室から出たところで、
「長谷川さん!」
私達の後を追うように、池澤さんも病室から出てきて私を呼び止めた。
でも私は浩平君に引っ張られているため止まることができませんでした。
「きょ、今日だけだからねっ!」
池澤さんの口元は緩んではいましたが、その瞳は笑ってはいませんでした。
それに対しても、私はただ頷くことしかできませんでした。
そして私は浩平君に連れられて、病院を後にした。
「外出許可が下りた」
浩平君がそう言うので、私は以前したように、映画を観たり、食事をしたりというのを考えていました。
でも私のその予想は外れていました。
浩平君は駅に着くと在来線のホームではなく特急列車のホームへと進んでいきました。
私は浩平君にどこへ行くのか訊ねてみました。
「秘密~」
しかし何度聞いてもそのように返されました。
そして本当に訳の判らないまま特急へと乗り込むこととなりました。
新幹線の中で、私は浩平君に特急のチケットを見せてもらいました。そこには行先が書かれていました。
「あれ……」
その行先は、浩平君が以前住んでいた都市でした。
「浩平君、これって……」
「咲希、行ったら判るよ。これは、大事なことなんだ」
真顔で話す浩平君の言葉に、私はただ頷くしかありませんでした。
お昼頃に目的地へと到着しました。ここは日本有数の大都市で、高層ビルが立ち並ぶ街並みを眺めていると、私達の住む町がとても田舎のように感じました。
そこから初めて見る地下鉄に乗り、降りた駅から今度はひたすらバスに乗り、やっとバスを降りたら今度は歩き……。周りの風景は大都会から私たちの町のそれを大して変わらなくなっていました。
「ちょっとここで待っててくれ」
道の途中、浩平君が足を止める。すると私達の左手にポツンと立っている商店へと入っていきました。
何を買いに行ったのだろうかと不思議そうに私が待っていると、ほどなく浩平君は戻ってきました。
そして商店から出てきた浩平君の手には、仏花が抱えられていました。
「さあ、行こうか」
そして浩平君は再び歩き始めました。
この時、私は浩平君が何をしようとしているのか、凡その見当がつきました。
そう、今日は九月二十三日、お彼岸の中日でした……。
私の予想通り、浩平君は小さな霊園へと入っていき、そして一つの小さな墓石の前で足を止めました。
そのお墓はもう長い間、人が訪れていないようで、墓石の周りには墓石よりも背の高い雑草が茂っていました。
野島 美咲
小さな墓石には、そう名前が彫られていました。
浩平君は花と水の入ったバケツを足元に置いた。
「これが俺の妹、野島美咲の墓だ……」
浩平君が小さな声で呟く。そして墓石の前にしゃがみ込みました。
「なあ咲希、少し頼みがあるんだけど」
「はい?」
「一緒に、美咲の墓、掃除してくれないかな?」
浩平君は少し申し訳なさそうな口調で言いました。
私はそれに対し二つ返事でOKしました。
一時間後、美咲さんのお墓はすっかりキレイになりました。浩平君が雑草を抜き、私が墓石を水で拭いて、お花を供えました。そして最後に浩平君が墓前に線香を供え、一緒に手を合わせました。
「恩返しだよ、美咲。ありがとう、ありがとう……」
手を合わせている間、浩平君はそう呟いていました。私も同じ想いで手を合わせていました。
「さて……」
しばらくして、じっと手を合わせていた浩平君が立ち上がりました。
「行くか、咲希」
「はい……」
私は浩平君の後に続きました。
「これから、どうするのですか?」
私の問いに、浩平君は少し苦笑いをしました。
「実はさ、これから会いに行くんだよ……母さんに」
浩平君の意外な言葉に私は驚いた。
「まあ驚くわな……。でも会っておきたいんだ。もっと美咲のことが知りたい。俺が覚えている美咲は、泣いて苦しんでいるだけ……。でも絶対それだけじゃなかったと思うんだ。楽しかった思い出だって、きっとあるはずなんだ。それを母さんに聞かせてもらうんだ」
「浩平君……」
「進ませてやりたいんだ、美咲も……。哀しい人生だったで、終わらせたくないんだ」
私は浩平君の瞳を見た。もうその瞳に悲しみや苦しみなんかありませんでした。
そこにあるのは、強い決意でした。
浩平君は、前に進んでいる……。私はそれを肌で感じました。
「あのね、浩平君……」
「ん、何だ?」
私は「あること」を浩平君に切り出した。
「実はですね、私も今度久し振りに会うんです、お母さんと……」
「え、そうなのか?」
「はい……、先日お母さんから久し振りに連絡がありまして、色々と話しました……。何故、私のことを避けていたのかも」
「咲希……」
「お母さん、お父さんが亡くなってから、私を育てることに一生懸命になりすぎて、育児ノイローゼになってしまっていたそうなんです。それが私を避けていた理由でした」
「咲希…………」
「でもお母さんも、それ自体が重く圧し掛かっていたそうです。このまま自分が大切にしなければいけないことから目を逸らし続けてもいいのかって……。もしかして、まだ私がずっと泣き続けているんじゃないかって……」
思わず涙目になってしまった私の肩を、浩平君は優しく抱いてくれました。
「咲希のお母さんも、前に進みたかったんだろう。でも一度停めてしまった時間を再び動かすことは簡単じゃない。そのきっかけを掴めず、長い間苦しんでいたんだろうな……」
「はい……」
私は涙目で頷きました。
「でも進みたいって思い続ければ、必ずその願いは叶う。俺たちの奇跡のように」
「浩平君……」
私は浩平君の胸に顔をうずめる。
「奇跡は、やっぱり人を幸せにするために、起こるんだよ」
この浩平君の言葉が、私の心の奥底まで響いてきました。
私は今まで、奇跡は人を不幸にするもの……奇跡なんか起こってほしくないって思い続けてきました。
でもそれは私が時間を停めてしまったから、前に進むことをやめてしまったから……。何気ないことでも、そういう風に感じてしまっていたのです。
奇跡は人を幸せにするために起こる……。
でもそれは前をしっかり向いていないと、それを実感することができないもの。
私はそう思います……。
「そろそろ行こうか」
浩平君が私にそう促しました。
「そう、ですね」
私は浩平君の胸から離れた。
そして浩平君は空になったバケツを持って歩き始めました。
「あの……、手をつないでも、いいですか?」
ちょっぴり恥ずかしいけど、私から思い切って言ってみました。
すると浩平君は、
「ああ、いいぜ」
そして私に左手を差し出してくれました。
そして、私は初めて浩平君の手を握った……。
「さ、行こうぜ!」
「はい!」
そして私達は歩き始めました。
私と浩平君は、着実に前へと進んでいる。
今、新しい時間が刻まれていく。
私達の奇跡が生んだ、新しい時計の針によって……。