すべては きせきの ために: 野島浩平
「おにいちゃん、おにいちゃん……」
「ん、どうした? みさき」
「あのね、あのね……、おなかが、いたいの……」
「またかよ、トイレは?」
「ううん、そんなんじゃないの」
「どれどれ、ちょっとみせてみろ」
「…………」
「う~ん」
「どう、おにいちゃん」
「どのへんがいたいんだ?」
「わかんない。すごくおくのほう」
「そんなんじゃわかんないって」
「でも、いたいの……」
「おいしゃさん、いくか?」
「みさき、おいしゃさんきらい……」
「やっぱりか……」
「ごめんね、おにいちゃん」
「おれこそごめんな、みさき。にいちゃん、どうすることもできなくて」
「ううん、いいよ。ありがとう、おにいちゃん」
「ねえねえ、おかあさん」
「何、浩平」
「みさきがおなかいたいって、いっているんだけど……」
「美咲が?」
「うん、ずっとおなかがいたいって」
「…………」
「みさき、びょういんにつれていったほうがいいのかな? おかあさん」
「…………」
「おかあさん?」
「え、ああ……。浩平、美咲は大丈夫よ。そんなに心配しないで」
「ホントに?」
「ええ、本当よ。心配しなくて、いいから……」
「うん、わかった。あれ? おかあさん、おでこケガしてる?」
「え……、ちょ、ちょっとね、角にぶつけちゃったのよ」
「いたくない?」
「ええ、全然痛くないわよ」
「そっか、よかった!」
ガチャッ
「ただいまぁ」
「…………っ」
「あれ、おとうさんだ」
「チッ!」
「わっ!」
バタン!
「わお、ビックリした~。おとうさんどうしたんだろ? いきなりでていって。ひさしぶりにかえってきたのに……」
「…………」
「ねえおかあさん。こんどおとうさん、いつかえってくるのかな?」
「…………」
「あれ? おかあさん……。どうしたの? ち、でてるよ」
「え、あ、ああ……」
「おかあさん、だいじょうぶ? いたい?」
「う、ううん、大丈夫よ。ちょっと、転んだだけだから……」
「いたくない?」
「ええ、全然痛くないわよ」
「そっか、よかった!」
「ねえねえ、おにいちゃん」
「ん、どうした? みさき」
「あのね……」
「ん、なんだ?」
「おとうさん、こわくない?」
「え? おとうさんが?」
「うん。みさきね、おとうさん、こわい……」
「うーん、そうかなあ。あんまりかえってこないから、よくわからないけれど」
「そう、なんだ……」
ガシャーン!
「もういい加減にして!」
「何だと!」
…………
「これ以上、あの子達を不幸な目にあわせないで!」
「ウルせえ!」
…………
「アンタ判ってるの? アンタはあの子達の父親なのよ。 自分がまだ十代だからって甘えてないで!」
「ウルせえって言ってんだろがっ!」
「きゃあぁっ!」
ガシャーン!
「いちいち俺に指図すんじゃねえよ、このクソアマ!」
「痛い! やめて、乱暴しないで!」
ガシャン! ドタン! バキッ!
……………………
「ねえ、浩平」
「なに? おかあさん」
「…………」
「どうしたの?」
「…………あのね」
「うん」
「浩平はお父さんとお母さん、どっちが好き?」
「う~ん……」
「どっちが好き?」
「う~ん、う~ん……」
「…………」
「どっちかっていうと、おかあさんかな」
「……そう」
「おとうさんは、あんまり会ったことないし、よくわかんないや」
「そう……」
「それが、どうかしたの?」
「え、ううん……。何でもないの、何でも……」
「ふ~ん」
「ごめんね、変なこと聞いて。後ね、浩平」
「うん?」
「浩平は、美咲とずっと一緒にいたい?」
「うん! みさきは、いもうとだから!」
「そうね。そうよね……」
ガチャ
「ただいま~」
「ぐっ!」
「ぁ……!」
「あれ?」
「こ……浩平!」
「どうしたの、おとうさんとおかあさん」
「チッ!」
「おとうさん、どうしてバットなんかもっているの?」
「浩平っ!」
「あ、おかあさん。あ! おかあさん、あたまから、ち、でてるよ」
「グッ!」
「浩平! 逃げなさい!」
「え……」
「早く、逃げてっ!」
「え? え……」
ドサ…………
「…………ちゃん」
「え、あっ! みさき!」
「…………いちゃん……」
「みさき、どうしたんだ! ひどいケガじゃないか!」
「浩平、逃げて!」
「……お、おにいちゃん…………」
「みさき! おい、しっかりしろよ!」
「おにいちゃん、いたいよ……。おなか……いたいよ……」
「みさき! みさきっ!」
「いたいよ、おにいちゃん……。いたいよ、いたいよ……」
「みさき、だいじょうぶだ! ほら、おにいちゃんがついてるぞ!」
「おにいちゃん……おにいちゃん……おにいちゃん…………」
「みさきっ! みさきっ!」
「二人とも、逃げてぇっ!」
「おにい……」
「え、みさ……」
…………………………
グシャッ
……………………………………
「え……」
「美咲ぃっ!」
……………………………………
「うわああああぁぁぁーっ!」
……………………
「先生、どうなのでしょうか?」
「う~ん、健康状態には問題ないが、やはりかなりのショックを受けているようですな」
「そ、そうですか……」
「実はな、これはうちの看護士が言っていたんだが、どうやら息子さん、軽い記憶喪失になっているようなんですわ」
「記憶、喪失?」
「ああ、ショックが強すぎたんだろう。かわいそうに……。特にあのことは完全に喪失しているようだ。病室に来てた刑事が頭抱えてたわ」
「そ、そうですか……」
「まあ無理もなかろう。自分の目の前で、実の父親に妹を殴り殺されたんだからなぁ」
「……はい」
「医者の私がこんなこと言っちゃいかんのかもしれんが、この記憶は、戻らんほうがいいだろう。小さな子には惨すぎる……」
「そう、ですね……」
「どっちにしろ、後はあの子次第だ。身体的にどうこうってわけじゃないから、地道にカウンセリングして精神面を回復していきますわ。今お母さんは、自分の左足のことを考えなさい。バットで殴られた左膝は半月版がぐちゃぐちゃだ。こっちの方が長くかかりそうだぞ」
「はい、よろしくお願いします……」
おにいちゃん…………おにいちゃん…………おにいちゃん……………………
おにいちゃん
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かなしいこと、つらいこと
にげだしたくて、とけいのはりをとめてしまった、あのひ
あのひから、ないていたひから、じかんはとまったまま
でも、
まえに、すすんでいきたいと、ねがっているから
たとえ、かなしくて、つらいげんじつが、そこにあったとしても
まえにすすんでいきたいから…………
とけいのはりに、ふれてみた
ねがいを、おもいをこめて
そして、
とけいのはりは、ふたたび、うごきはじめた…………。