Episode Spring:1 再会
「ふぅ、やっと着いた」
都会ではまず見られないディーゼル鉄道から降りた俺は、目の前の古びた駅舎を眺める。そして駅舎から出ると、少年時代の思い出に出てくる景色が、まるで再現VTRのように広がっていた。
俺がまだガキだった頃に来た時と全然変わっていない景色。多少古ぼけていたり、「貸店舗」と貼られたシャッターが下ろされていたり、キレイなコンビニができていたりするのは、ちょっとしたご愛嬌。
駅前のロータリーへ出ると、真ん中の植え込みに植えられた大きな桜が目に入る。足元に視線を落とすと桜の花びらが無数に散らばっており、見上げると桜の木はピンク色よりも緑色が多くなっていた。
俺は昨日まで住んでいた所の桜を思い出す……。
「向こうはまだ五分咲きだってのに、さすが南国は咲くのが早いね」
俺……野島浩平は今、生まれた所から何百キロも離れた九州の南の端っこに立っていた。
ここが俺の新しい生活を送る場所だ。
「こーへー!」
桜を見上げていると、遠くから俺を呼ぶ声が聞こえてきた。それは聞き覚えのある、どこか懐かしい感じのする声。声のする方へ視線を送ると、ポニーテールの女の子がこっちへ向かって走ってきていた。
「のぞみ!」
俺はこちらへ走ってくる女の子に向けて手を振った。
程なくして女の子は桜の木下まで辿り着いた。
「こーへー、久しぶり!」
女の子は俺に向け、笑顔でVサインを作った。
この女の子の名前は「池澤のぞみ」といって俺のいとこ。詳しく説明すると、俺の母親の妹にあたる人の娘。歳は俺と同じで十六才。性格は至って明るい。
「ゴメンこーへー遅れちゃって! ちょっと寝坊しちゃった」
「いや俺は全然構わんぞ。今電車で着いたところだし」
「そっか、よかった〜」
のぞみは申し訳なさそうな表情から、一変して嬉しそうな表情になる。
「でも寝坊ってどういうこと? もう昼の三時だぞ?」
俺の問いに今度は困ったような表情となる。
「昼寝か?」
「…………」
のぞみは無言で、バツが悪そうに目を泳がせている。
「違うのか?」
するとのぞみは苦笑いを浮べる。何だか様子がおかしい。
「何時から寝て、結果寝坊したんだ?」
しばしの沈黙の後、
「八時……」
「朝の八時?」
徹夜で何かやっていたのであろうか?
するとのぞみは俯き加減で首を振った。
「そっちじゃなくて、その……二十時の方の八時」
のぞみは俯いたまま答えた。
「はぁ?」
どういうことだ?
「昨日ね、今日からこーへーが来るからお部屋の掃除をしてたの。こーへーの使うお部屋ってお姉ちゃんがお嫁に行く時に荷物を整理して以来、誰も部屋に足を踏み入れていなかったの」
整理って、多分お姉さんのいらない荷物を押し込んだだけだろ……。どの部屋を割り当てるつもりなのかは知らないけれど。
「だからゴミやホコリ、何だか得体の知れない生物の屍骸とか、全部片付けなきゃいけないわけじゃない。物凄く大変なのよ!」
何だよ、得体の知れない生物って……。
「昨日はね朝の七時から始めたの。掃除っていうか、正直ちょっとした修羅場だった、うん!」
拳を突き上げて力説するのぞみ。よく見るとその腕には絆創膏が数枚貼られていた。
「とにかく色々あって、ようやく終了したのが夜の八時!」
何だか、ヤな予感。
「そして全精力を使い果たした私は、その場で力尽きてしまったの。そして気が付いた時は何ともう昼の二時五十分!」
のぞみ、お前は一体どんな掃除をしていたんだよ?
つーか掃除する前はどんな状況だったのか知りたい……。
「お前、風呂は?」
するとのぞみは一歩後退する。
「ハハ……」
そして苦笑い。いかにもバツが悪そうな様子。
「そのままで来たのか? きったねえな」
「う、うるさいわよ!」
のぞみは頬を膨らませソッポを向いた。さっきから見ていて、よくもここまで表情がコロコロと変わるものである。のぞみと会うのは一年半ぶりだが、こういうところは全く変わっていない。
「…………」
「な、何よう?」
のぞみは口を尖らせる。よく見たら頬が少し赤くなってる。
「お前、相変わらず変わってないなあ」
俺はのぞみに向かってこう言おうと思ったが、やめた。のぞみはこういう類のことを人から言われるとムキになって怒る。のぞみは「変わっていない」と言われるのが大嫌い。特に胸のことをタブー中のタブー。顔や体格は年齢とともに成長してきてはいるが、胸は相変わらずフラットなままだ。
「べっつに」
俺は笑いをこらえながら、のぞみへ言葉を返す。
「もう何よ、ニヤニヤして!」
俺の反応をみて、のぞみはますます頬を膨らませる。その姿はまさにフグだ!
「そんなことより早く行こうぜ、俺の新生活が始まる所へ!」
「う〜、ごまかそうとしてる〜」
俺とのぞみはロータリーを時計回りに歩き始める。しかしのぞみは依然としてふてくされたまま。
「ほらさっと行くぜ。吾郎さんと恭子さんも待ってるんだし、お前も血と汗と涙に汚れた身体を風呂で流したいだろ!」
ポカッ!
俺の後頭部にのぞみのグーパンチが飛んできた。けっこう痛い……。
「もう、何てこと言うのよ!」
のぞみの顔は真っ赤になっていた。
(やっぱ、変わってねえわ……)
俺は後頭部を抑えながら、そう確信した。
「アンタ、四月からは姉さんとこに世話になってね」
俺が母にこう素っ気無く言われたのは、三月始めの雪が降る朝だった。
母は俺が六才の時に二度目の離婚をした(らしい)。因みに一度目は俺が生まれる二年も前、母がまだ十七才の時。つまりは母子家庭で、俺と母の二人で暮らしていた。
俺は父親の顔を知らない。離婚する直前まで一緒に暮らしていたらしいが、俺は全く覚えていない。だから小さい頃、父親参観や運動会の時なんかはよく虐められた。みんなにはいるお父さんが、俺にはいないから……。でも俺は「父親」とはどんな存在か判らなかったから、周りに何と言われようともピンとこなかった。
母が離婚を決意した理由は、父親の暴力だそうである。事実その暴力により母の左膝は九十度以上曲がらなくなってしまっている。因みに一度目の離婚理由も暴力らしい。
「向こうに行っても、別に心配しなくてもいいからね」
それが母の俺に言った……俺が最後に聞いた母の言葉。母は見送りをアパートの玄関でスポーツ新聞を片手に済ませた。俺が別れの挨拶をしても、その返事はなかった。
そして俺はこの数日前にのぞみの母である恭子さんから、何故俺が母と別れなければならないかを教えてくれた。
「浩平君、お母さん、再婚するんだって……」
その一言で、俺は全て理解した。何でも相手は年下のホストらしい。要は年下ホストの気をひくために俺の存在が邪魔になったということ。しかも最初から恭子さんに面倒を見させようと考えていたわけでなく、どこかの施設に入れてしまおうと考えていたらしい。それをみかねた恭子さんが手を挙げたのだ。当然、養育費等はない。むしろ母は妹である恭子さんに多額の借金をしているらしい。
「ゴメンね浩平君。情けない姉で……」
恭子さんは受話器越しに何度もそう言った。でも
正直俺はどうでもよかった。母の事、母が俺を施設に入れようとしていた事、母が俺を恭子さんに押し付けようとした事、母が俺を邪魔者扱いした事。その全てがどうでもいい事だった。
でも俺を拾ってくれた恭子さんをはじめとする池澤家には感謝している。
「フッフフフ〜ン」
俺の横を歩くのぞみは鼻歌を歌っている。
「何だか楽しそうだな」
のぞみは一瞬不思議そうな表情を浮べたが、すぐ笑顔に戻る。
「当たり前じゃない。だってこれからずっとこーへーと一緒、晴れて今日から池澤家の一員だよ! 嬉しくないわけないじゃない!」
俺の言葉に、のぞみは嬉しそうに声を弾ませる。
そして俺とのぞみは歩き続けた。俺の新しい、「俺がいてもいい場所」へ……。