Episode Summer:5 デート
何やかんやで、俺は咲希を映画に誘ってしまっていた。
咲希と商店街で出会ってから約一時間後、俺と咲希は隣町の駅前にいた。隣町とは言っても、ここは田舎。電車で三十分以上かかる。
しかし三月までは、隣町へ行くのに十分もかからなかった街で生活していた俺にとって、これはちょっとしたカルチャーショックだった。
「え〜と、映画館は……」
俺は駅前の案内板で映画館の場所を探す。ここは一応「市」なので、駅前は開けており人通りも多い。
「こっちです」
俺が案内板と睨めっこしていると、咲希が俺の手を引っ張る。
「知ってるのか?」
すると咲希は頷く。最初から聞けばよかったな。
「ここから歩いて、十分程です」
「そうなんだ、行ったことあるのか?」
「地元ですから……」
まあ隣町とはいえ、地元には変わりないか。
俺は咲希に映画館までの道を任せることにし、案内板の前から離れた。
咲希の言う通り、駅から歩いて十分くらいの所に目的地の映画館があった。映画館は駅前から続くアーケードの中にあり、周りには色々なお店が軒を連ねている。
「田舎だからもっとボロいのを想像していたけれど、意外と小綺麗だな」
「はい、一昨年改装したそうで……」
俺は映画館前の上映予定表と映画のチケットを確認する。上映時刻まであと三十分くらいある。
「中途半端に時間が余ってるな。なあ、どうする?」
俺は咲希の方へ振り返った。
すると、
「あれ、いない?」
先程までそこにいたはずの咲希の姿がない。
「おーい、咲希ーっ!」
俺は辺りを見回してみる。咲希はともかく、俺はこの辺りには全く土地勘がない。はぐれてしまったら厄介だ。
「おーい! 咲希どこだーっ!」
俺は道の真ん中まで出て咲希の姿を捜す。
すると向こうの方に、テクテクと歩いていく咲希らしき後姿を発見。
この短時間に何であんな遠くへ行けるんだ?
俺は見失わないよう、咲希の後を追いかける。
「おい、待てって!」
俺が咲希の背中に追いついた時、咲希は急に立ち止まった。
「おい、いきなりどこに行くんだよ。はぐれたらどうすんだよ?」
「…………」
咲希は俺の言葉に全く無反応。
一体いきなり何だってんだ?
俺は咲希の立ち止まった向こう側を見る。
「……あ」
そこには頭にハチマキをまき、楽しそうに踊っているタコの絵があった。
「あの、たこ焼き三十個入り二折、お願いします。あ、青海苔は普通、鰹節は大盛で」
…………、
咲希さん、マジっすか?
パクパク……
「…………」
パクパクパク……
「…………」
パクパクパクパク……
「…………」
パクパクパクパクパク……
「あのさあ、咲希」
「ふぁい?」
…………
「いや、悪い。何でもないや」
たこ焼きを購入してからずっとこんな調子である。咲希はたこ焼き屋から映画館に戻るまでに一折完食し、映画館の休憩所でもう二折目に手をつけている。
「あのさあ、せめて座席に着くまでガマンできないのか?」
「はい、大好物ですから」
つまり、できないってことか。
咲希は俺に視線を向けることなく、たこ焼きに集中している。しかもここまで飲み物を全く飲まず食べている。見ていると胸焼けしてくる絵ヅラだ……。
パクパクパク……
「…………」
俺はここで、ちょっとしたイタズラを思いつく。
それは、
「一個頂き!」
俺は咲希のたこ焼きの折から、たこ焼きを一つ摘んで口の中へと入れた。
「う〜ん、外はカリカリ、中は生地がトロ〜リとしているな。そして青海苔と甘辛いソースのコンビネーションが絶妙だな」
実際の所、味は普通だったが、あえて大袈裟に言ってみる。
その時、俺は刃のように鋭く突き刺さるような視線を感じた。
咲希が俺のことをジッと見ている。
「さ、咲希?」
見ている、というより明らかに睨み付けている。まるで俺が親の仇になったかのようだ……。
「許さない……」
咲希の周りの空気が、ゴゴゴ……と音を立てて蠢いているような気がした。
「許さない」
何で二度言うか……。
しかしとてつもなくヤバい雰囲気だってことは理解できるぞ。
「そ、そんな怒るなって! そ、そうだ、あとで俺がたこ焼きおごってやるからさ!」
俺はとっさにそんなことを言ってみる。
でも、こんなんでおさまるような雰囲気じゃないよなあ……。
「え、ホントですか?」
すると咲希の瞳から怒りの炎が消えた。逆に瞳が潤み始め、頬が紅潮している。
「…………」
「どうしたのですか?」
「い、いや、何でもないです」
たこ焼きのパワー、恐るべし!
その後、俺たちは座席に着いて映画を鑑賞した。
映画はどこにでもあるような恋愛モノの洋画。主人公とヒロインが偶然に出会い、くっついたり離れたりを繰り返すものの最後はくっつき、めでたくハッピーエンドとなった。
これをケンと観に来ることになっていたら、周りの客にあらぬ想像をされていたことであろう。
よくよく考えると、俺と咲希が二人で遊ぶなんてことは初めてだ。春に出会ってから、展望台で一緒にいることはあっても、遊んでいるという感覚はなかった。今こうやって咲希と映画を観に来ているという状況が、まるで別次元の物語のように感じられた。
上映中、俺は隣の座席に座っている咲希を何度か見た。咲希は俺が売店で買ってやったたこ焼きを片手にスクリーンの方を向いていた。
暗くてよく判らなかったが、その時の咲希の瞳は、とても楽しそうなものに見えた。つい数時間前に咲希と商店街で偶然出会うまで、俺は咲希の喜怒哀楽のうち「哀」の部分しか見ることができなかった。しかし俺はこの数時間の間に残りの感情を見ることができたのだ。
こうして見ると、咲希はどこにでもいる普通の女の子。
俺と同じく、悲しい過去を背負って生きているなんて、とても見えなかった。
「浩平君」
「へっ?」
不意に名前を呼ばれる。
「あの、映画、終わりましたよ」
気が付くと、場内は明るくなっていた。周りの観客も座席を立ち上がっている。
「あ、ああ、そうだな。行くか」
「はい」
俺たちも席を立ち、場内を後にする。
「せっかくここまで来たんだから、この辺ブラブラしていこうぜ」
「そうですね」
映画館から出た俺たちは、アーケード内を散策することにした。
俺は初めての場所だし、何があるかな?
ぐぅ〜……
「…………」
どうやら行き先は決定したようだ。
「なあ咲希」
「……はい」
「あれだけたこ焼きを食べて、まだお腹がなるのか?」
俺の横で咲希がお腹に手をあてていた……。
「それとこれとは、別ですから……」
咲希は俯き加減でボソッと呟く。所謂別腹ってやつですか。
「すみません……」
「いいよ別に。俺だって朝から何も食ってねえし」
でも腹が減ったという感覚はない。咲希のたこ焼きを食べている姿を見ていると、お腹いっぱいになってしまったのだ。
「あそこの喫茶店に入ろうぜ」
俺は左手にある喫茶店を指差す。咲希も頷き、俺たちは喫茶店へと入った。メニューは俺がカレーライスで、咲希がピラフだった。
喫茶店を出た後、俺たちはゲーセンやペットショップに入ったりした。
特にペットショップでは子犬を抱っこさせてもらったりする。
「このトイプードル、可愛いですね」
「そうだな、ぬいぐるみみたいだ」
咲希は生後三ヶ月程のトイプードルを抱き寄せる。
「食べたら美味しいでしょうか?」
「食うな!」
「冗談です」
この時、かなりシュールではあるが、俺は咲希の冗談を初めて聞いた。
そんなことをやっているうちに、太陽はだんだんと傾いてくる。
「そろそろ帰ろうか」
「もぐもぐ……、そうですね」
アーケード近くの公園のベンチで、俺は咲希にそう促す。
咲希はこの日何箱目かのたこ焼きを食べながら立ち上がった。
「あの、どうして、私を、誘ったのですか?」
「え?……」
帰りの電車を待つホームで、咲希が俺に訊ねてきた。
「村田君が急用で行けなくなった、というのは判りますが、でも、私なんかより、池澤さんとかの方が、楽しかったのでは、ないですか?」
咲希はやや目を伏せながら訊ねてくる。
「すみません、変なこと、聞いてしまって。でも、その……」
咲希の表情には何故か不安が伺える。視線もあっちへ行ったりこっちへ行ったりしている。
「今日、私と一緒で、楽しかった……ですか?」
「…………」
何故咲希がこんなことを聞いてきたのか、俺にはよく判らない。遊びに行って、こんなこと聞いてくるヤツなんて、今までいなかった。
でも、俺は……、
「もうすぐ電車来るな」
「はい……」
………………
…………………………
「ああ、楽しかったよ」
「え……」
俺が答えると、咲希は俺の顔を見る。見ると咲希の口は半開きになっていた。
「ホント言うとさ、最初はのぞみを誘おうかなって考えてたんだ。でもその途中で咲希を見つけてさ、何かさ、夢中でたこ焼き食っている姿を見たら、誘ってみたくなったんだよ」
咲希は恥ずかしいのか、頬を赤くして目を伏せた。
「とにかく、今日一日楽しかった。それは嘘じゃないよ」
そして咲希は再び俺の顔に視線を合わせてくる。瞳が少し潤んでいるように見えた。
その瞳には。悲しみや苦しみといった感情は、全く感じることはない。
「ありがとうございます、浩平君」
咲希は俺が今まで見たことのない、満面の笑みを見せてくれた。
それは幸せ……。
今咲希の瞳から感じるのは、誰もが普通に持っている、ごくごくありふれた感情。
俺は今日咲希を誘って良かったと思う。今日だけで咲希の色々な面を見ることができた。
昨日までの咲希は悲しみと苦しみがいっぱいで、支えていないと壊れてしまいそうだった。
でも、今日の咲希は、
たこ焼きを食べている時は、とても子供っぽくて、
楽しくて笑っている時は、とても可愛くて、
怒った時は、とても怖く始末に負えなくて、
そして今俺の横で満面の笑みを見せてくれた咲希は、とても愛らしくて、
俺の中にあった、長谷川咲希のイメージが変化していった。
そして、
帰りの電車がホームへ滑り込んでいく中、俺は自分の中に一つの想いが形成されたことを感じたのだった。