Episode Summer:3 海美子姫
展望台での一件後、俺は咲希と別れ家へと戻った。
「ただいま」
家に上がると、廊下でのぞみと出くわした。
「こーへー、どこ行ってたの?」
「散歩」
展望台に行っていることは秘密にしているので、テキトーに答える。
「ホントに〜。どの辺散歩してるわけ? ちっとも見かけないよ」
つーか、訊ねられる度この答えしかしていないと、さすがに勘ぐられるな……。
「本当だ。見かけないのは、散歩のコースが俺の気分次第だからだよ」
俺はテキトーにあしらってその場を後にする。
しかしのぞみは納得できない表情。
「こーへー……」
俺が部屋に戻ろうとした時、のぞみは何か言いかけたようだが、俺は振り向かなかった。
「さてと……」
部屋の電気をつけ、俺は押入れの前へと向かう。そして押入れを開けた。
展望台で咲希から聞いた夢の話。その話を聞いた俺は、あることを思い出した。
それはかなり昔の話で、田島が舞台となった男女の不思議な話……。
「あった、これだ」
俺は押入れの中から、薄汚いある一冊の本を取り出した。
「これだ、海美子姫……」
俺は本についたホコリを払い、表紙を開く。。
そして読んでいくにつれ、俺の中に眠っていた記憶の断片が、まるでジグソーパズルのように一つの形となって現れてきた。
『海美子姫』
………………
昔、とある小さな漁村に成という若くて美しい女がいた。
成は以前漁師の父と共に暮らしていたが、前の嵐で父は亡くなり、今は一人で生活をしていた。
そんなある日のこと、沖合いに浮かぶ田島の巫女が、成の暮らす村へとやってきた。
巫女によると、最近海の悪神様の機嫌が非常に悪く、そのせいでこの地に天変地異が襲うとのこと。
その悪神様の怒りを鎮めるには、若い女を生贄として捧げなければならない。
そしてその生贄として白羽の矢を立てられたのが成だった。
その話を聞かされた成は当然躊躇った。勿論恐怖もあったが、それ以上に躊躇う理由があった。
成には由三という恋人がいたのだ。
由三は成を救うために田島へと渡り、悪神様を退治する。
その後悪神様は巫女の手により浄化され、「海美子姫」という美しい女神となり海の平和をいつまでも見守り続けた。
………………
読み終わった俺は、静かに本を閉じる。
何だか典型的な勧善懲悪モノの昔話だ……。
「何読んでんだ?」
「うわっ」
突然後ろから声が聞こえ、俺は思わず振り返る。するとそこには吾郎叔父さんが立っていた。
「どうしたんだ浩平。ノックしたのに全然返事しなくて」
「あ、そうなんですか? すみません、ちょっと本を読んでいて」
「何だそれ、エロ本か?」
「こんな薄汚いエロ本があったらヤですよ! これですよ、これ」
俺は海美子姫の本を吾郎さんに手渡した。
「これは……」
「知ってるんですか?」
吾郎さんは本のページをペラペラと数枚めくってみせる。何かを思い出しているようだった。
「ああ、これってこの地方に伝わる魔女の奇跡伝説だろ?」
「え、奇跡?」
俺は「奇跡」という言葉に思わず反応してしまった。咲希との一件もあり、「奇跡」という言葉には敏感になってしまっている。
そんな俺の様子を目の当たりにした吾郎さんは、苦笑いを浮かべた。
「何驚いてんだよ。この辺じゃ有名な話だぜ」
俺はこの辺の人間じゃないから、その話のことは知らない。
「どんな話なんです? その伝説ってのは」
吾郎さんは俺のベッドの上に座り、本を見つめながら話し始める。
「田島に古い神社があるって話、浩平は知っているか?」
その話なら昔じいちゃんに聞かされたことがある。田島には今は誰も住んでいない小さな神社があると。
「俺はその神社ってのはお目にかかったことはないんだが、昔々その神社にはな、一人の巫女さんが住んでいたんだ」
巫女……。海美子姫にも出てきた巫女のことか?
「それで?」
俺は続きが聞きたく、吾郎さんを急かす。
「その巫女さんはな、いつも変な占いや儀式をやっていたんで、村のみんなから気味悪がられていたんだけれど、その巫女の予言がよく当たるってことで、ある面では信仰の対象にもなっていたんだ」
「そうなんですか?」
「ああ。んである日のこと、その巫女はこの地をとんでもない天変地異が襲うって予言したんだ」
天変地異? ここまでは海美子姫の内容とほぼ同じだ。
「それで当時の村長が巫女に相談したところ、巫女は海を鎮める護摩行を行う必要がある。そしてそれには若い女を生贄として捧げなければならないと言ったんだ」
「生贄……」
「そうだ。んでその生贄に村の若い女が選ばれたんだが、実はその女には婚約者がいたんだ」
生贄に選ばれた女と、婚約者の男。その二人が海美子姫に登場する成と由三というわけか。
「それで、婚約者の男はどうしたんですか?」
「ああ、生贄の話を聞いた男は、怒って巫女を殺してしまったんだ」
「こ、殺しちゃったんですか?」
本を見終わったのか、吾郎さんは俺に海美子姫の本を手渡す。
「問題はその後だ。巫女は死ぬ間際、生贄の女に呪いをかけてしまったんだ」
呪い? 何か話が急展開だ……。
「それを知った村人たちは動揺した。さっきも言ったが巫女は村人たちから気味悪がられていたからな。一部の人間が、呪いを受けてしまった女も殺そうとしたんだ」
「何かひどい話ですね。それでどうなったんですか?」
「女は婚約者の男と一緒に田島まで逃げた。しかし追ってきた村人たちに婚約者の男は殺された。女を守るためにね」
ここらへんが海美子姫の本と違うところか。本ではハッピーエンドっぽく描かれているが、この話ではバッドエンドだ。
「女の方はどうなったんですか?」
すると吾郎さんの目が輝きだす。何だ?
「ここからが凄いんだって。村人たちが逃げた女を追っている時、突然大地震が起きたんだ」
「地震ですか? じゃあ巫女の予言ってのは」
「ああ、ピッタリ的中したってわけだ。しかも地震が起きたことにより大津波が発生。しかもそれが村の方へ向かってきた!」
まさに最悪の状況だ。その時の村はさぞパニック状態であったろう。
「さあさあ! そして大津波が村に襲いかかろうとしていた、その時!」
吾郎さん、ちょっとテンション上がり過ぎですよ……。
「巫女に呪いを受けた女が田島の崖の上に立っていた。そして女はまるで大津波に自らを捧げるかのごとく、海へと飛び込んだ!」
「飛び込んだ?」
「そうしたらだ、不思議なことに今まさに村へ襲いかかろうとしていた大津波が、跡形もなく消え去ってしまった」
おいおいマジかよ。つまり……、
「巫女の予言どおり、女が生贄になることで津波を防いだってことですか?」
俺の言葉に吾郎さんは頷く。
「そうだな。事実他の地域で大地震と大津波があって、物凄い被害が出たっていう記録が残っているんだけれど、田島周辺の地域には地震に関する記録しか残っていないんだ」
俺は突拍子のない話に言葉を失う。
んなアホな……。
「その後自らの命と引き換えに村を守った女の霊を慰めるため、女の霊を海美子姫と名づけ、田島に小さな祠を建てたそうだ。尤も、今となってはその祠がどこにあるのか判らないんだけれどな」
「え、そうなんですか? 村を救ったのに……」
「人はな、恨み事はいつまでも根に持つけれど、受けた恩は時間が経つにつれて忘れていくものなんだよ。あ、俺は違うけどな!」
吾郎さんは慌てて言い直す。俺はそんなこと考えてもいなかったけど……。
「それから、現在に至るってカンジなんですか?」
「ああ、確か明治時代に外国の民俗学者がこの地方を訪れた際、この話を聞いて魔女の奇跡伝と名付けたらしい。何でも呪いを受けた女の追われ方が、ヨーロッパの魔女狩りのそれと似ているらしくてな」
吾郎さんの話が本当なら、これがこの地域に伝わる伝説の真相というわけだ。
と、いうことは……。
俺は海美子姫の本を見つめる。
「じゃあ、この本は……」
「その本はな、俺の親父が書いたんだよ」
「へっ、じいちゃんが?」
「それはな、昔親父がこの地域の昔話をするために大地震の民話を元にして書いたものなんだ。俺もガキの頃はよく読んでもらったぞ」
そして吾郎さんは立ち上がった。
「浩平、俺そろそろ明日の出船準備するから、ちょっと手伝ってくれねえか? そうだ、俺はそもそもそれを言いに来たんだ!」
「そ、そうだったんですか。判りました」
俺は吾郎さんに続いて部屋を出て行く。海美子姫の本はベッドの上に置いていった。
奇跡……。
普段ならそうそう聞くことのない言葉を、俺は立て続けに聞いていた。
俺は不思議に思う。何故俺の周辺でこんなに奇跡という言葉が出てくるのか。
咲希の言葉。咲希の夢。海美子姫。魔女……。
この時の俺は、ただただ不思議に思うしかなかった。