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カオティック・ダイアリー  作者: 相良徹生
ルアン・ノート
9/47

ルアンは緊張をほぐすために

 ルアンは緊張をほぐすために調査書を閉じて車外を眺めた。

 全開にした窓からの風が彼女の髪を盛大に乱している。頬にかかった髪をかき分けながら、ルアンは悪態を押し殺した。いつもは言うことを聞かないウェーブのきつい髪が今日は綺麗にまとまったというのに。

「ずいぶん田舎に住んでいますね」

 ルアンは独り言のようにつぶやいた。田舎というより未開の地と表現した方が適切だった。車は民家も無くかろうじて舗装された山道をぶっ飛ばしている。

「俺の前任者の時は電気も通っていなかった」

 運転席のバフがぼそりと言った。諜報課のバフは自分の縄張りにルアン達が入り込むのを快く思っていない人間の一人だ。

「そいつはすごいな。博士の趣味かい?」

 助手席のベイスが軽い口調で言う。

 博士の趣味――こんな山奥に住むのは博士の趣味なのだろうか? ルアンはまた調査書に目を落としそうになるのを必死で堪えた。

 書類を眺めていると不安ばかり大きくなる気がするし、こんな仕事私にはなんともないかのように振舞わなければ。

 緊張で歯を食いしばっていると思われるくらいなら、死んだ方がましだ。

 ルアンが情報管理局捜査課に配属されて四週間目、延々と新システムの構築のため倉庫にこもっていたが、それも昨日までの話しだ。初めての現場は行方不事件の聞き込みだった。

 車の急な振動でルアンは我に返った。

「舗装がなくなったな」

 ベイスがルアンの足元をちらりと見て続けた。

 「山道を歩かなきゃいけないけど、そのお上品な靴は諦めた方がよさそうだな。どこのブランドのものだい?」

 ベイスは亊あるごとにルアンが研修が終わったばかりヒヨコで、おまけにコネで採用された鼻持ちならない女子大生もどきだとほのめかしている。

 ルアンはベイスの当てこすりに肩をすくめた。

「あの赤い屋根の家だ」

 次の瞬間森が開け、ぽっかりとした空間が広がった。

 美しい赤松の下に田舎風のコテージが建っている。クリーム色に塗られた壁の、見るからに居心地がよさそうなこじんまりとした家だ。

 ルアンは博士に大いに好感を持った。仕事が制限されている以上、森の中のこんな家に住むのは正解かもしれない。

 車から降りると、しっとりとした新緑の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

 バフが大またでコテージを上り、田舎風の玄関に似合わない最新式のインターホンを押した。

 反応なし。

 バフは鼻を鳴らして、怒りを叩きつけるようにチャイムを鳴した。すぐにマイクからくぐもった声がもれてきた。

「はい、どちら様?」

「情報管理局です」

「どうぞ」

 答えと共に微かな電子音がしてドアが音もなく開いた。

「俺が呼んでこよう。リビングへ」

 バフはそう言って慣れた様子で二階に上がっていく。

 バフは博士の行動監視を行っている監視官だが、少々親しくなり過ぎているのではないだろうか。

 ルアンはリビングに入りここぞとばかりに辺りを見渡した。

 ゆったりとしたリビングは一面がガラス張りになっており森が見渡せる。

 家具はすべて温かみのある木製で統一され、年代物のどっしりとした楓の机に最新式の機材が乱雑に積まれていた。

 部屋の所々には青々とした観葉植物が置かれている。

 ルアンは自分の部屋にある枯れた植物の数々を思い出してため息をついた。母はルアンが毎日植物に水をやれる人間になることを期待しており、二週間に一度新しい鉢植えを送ってくるのだ。名も知らぬ観葉植物たちは現在も着々と枯れ続けている。

「まさに研究室だな」

 ベイスが感嘆まじりにつぶやいた。

「博士の専門は生体工学ですよね」

 ルアンは天井からぶら下がっているコードの塊をまじまじと見つめた。

 手だ。

 手がぶら下がっている。

 正確には精密工学の傑作で、壁に固定された金属製の肋骨からプラスチックとゴムとコードで作られた腕がぶら下がっていた。肋骨から垂れ下がったコードは床に置かれた装置に吸い込まれている。

 どこかで見たことがある。確か――。

「遠隔手術用ロボットだよ。スタイン大学と共同で遠距離間通信手術の研究を手伝っているんだ。それは最新の試作品」

 低い男の声が部屋の入り口から響いた。黒髪の男が立っていた。背は低いがベージュの麻のシャツとジーンズが良く似合っている。

「彼がシュゼ博士だ」

 バフが博士の後ろから言った。

 ルアンとベイスは頷いてIDカードを差し出した。

「お会いできて光栄です。捜査課のエレイン・ルアンです」

 ベイスが挨拶している間、ルアンは改めてシュゼを観察した。

 ずいぶん伸びているが不精な印象はない真っ黒な髪は軽いくせのせいで輝いて見える。ルアンより二十歳は年上のはずだが、不思議なことに資料にあった十五年前の写真よりも若く見えた。

 不老処理?

 体内インプラントから定期的にホルモンを分泌させ加老を抑える技術があるのは知っていたが、まだ実験が進められている分野のはずだ。彼女も実際に処置された人間を見たのは初めてだった。

 シュゼの左目の下にはっきりとした傷跡が残っていた。戦後逮捕された時に撮られた写真にも写っていたから、もう十五年以上も前のものだろう。なぜ傷を消さないのだろう。

 ルアンは若々しい男の横顔を眺めながらぼんやりと考えた。普通顔にある傷跡は整形手術で消すはずだ。特に自ら実験台となり、試用段階の不老処置を行うほどの生体工学者には当然の行動のように感じた。だが、目立つ傷跡は妙にシュゼの清閑とした雰囲気に似合っていた。

 シュゼは挨拶もせず天井からぶら下がっている金属でできた腕を撫で上げ、グローブを手につけると、ルアンの目の前でゆっとりと手を握った。

 それに合わせて金属の腕も手を握る。機械とは思えないほどなめらかな動きだ。

 シュゼはニヤリと笑い、ゆっくりと腕を下げると大げさにお辞儀をした。

「シュゼ・ヨルコだ。ようこそ」

 ルアンとシュゼはソファーに向かい合い、ベイスは雑誌が積みあがった椅子になんとか腰をかけた。バフは入り口にじっと佇んでいる。

「僕の家にこれだけの人間が訪ねてくることはまれです」

 シュゼが紅茶を用意しながら、軽い口調で言った。

「しかも、捜査官が」

 シュゼは皮肉っぽく付け加えた。

「そろろそ、はじめましょうか。今日はどういった用件で?」

 ベイスが静かに机の上にレコーダーをセットした。シュゼは横目でそれを確認すると微かに眉をしかめた。

 ルアンは息を吸い、何時間も前から心の中で繰り返しつぶやいていた台詞を口にした。

「アルベロ・ロッソに関するご質問があります」

 一瞬間が空き、シュゼはぼんやりとルアンと目を合わせた。

「失礼、なんですって?」

「アルベロ・ロッソです」

 ルアンはもう一度繰り返した。間抜けになった気分だ。

 シュゼは目を伏せて、じっとティーカップを見つめている。

「思い出しましたか?」

「おいおい、謎々をしにわざわざ山奥まで来たんじゃないんだろ?」

「アルベロ・ロッソ。翻訳家です」

「申し訳ないけれど僕に翻訳家の知り合いはいない」

 シュゼは肩をすくめながら言った。

 本当に知らない? まさかそんな。いや、公式記録が残っている。

「彼はクロタエ・スノーマ博士の養子として登録されています。あなたもご存知のはずですよ」

 シュゼがぴくりと体を震わせた。真っ黒な瞳孔が鈍く輝く。

 興味を持った証拠だ。ルアンはホッとして力を抜いた。

「戦時中です」

「知ってるよ」

 シュゼが呆れたように言う。

 まったく、目の前の若々しいハンサムが戦時中にはとっくに成人していたなんて信じられない。

「思い出しましたか?」

「ああ。君の言っている男が誰だか検討はついた。そんな名前じゃなかった気がするけど。クロタエの子供は一人しかいないはずだ。彼女が戦後愛国的聖母心に目覚めたのなら別だけど。そんな事にはならないと僕は全財産と著作権を賭けられる」

 ベイスがルアンに目配せし、ルアンは軽く頷いた。

 アルベロ・ロッソに関する情報をすべて聞き出す。これも今日の課題の一つだ。ロッソについての戦中の情報は一切記録されていないのだ。

 シュゼはロッソの幼少期に会っている数少ない人間の一人で、行方不明事件に最も関係していると思われる人物だ。

「第二シェルターに収容されたと思ったけど」

 シュゼが目を閉じてつぶやくように言った。

「改名したのか。まいったアルベロ、か。アルベロ・ロッソか……困ったな」

 シュゼは全く困っていない顔で頭をかいた。なにがまいって困ったのかさっぱりわからない。

「で、アルベロについて僕に聞きたいって? ご存知の通り僕はあいつと戦後会ったことがない」

「ルイシャム研究所で勤務していた一年間に何度か会っているはずですが?」

「うん。あいつはあの研究所にクロタエと一緒に住んでたからね。週に二度あそこに仕事に行くついでに会っていた」

 シュゼは手をひらひらとさせて言った。この男がそんな仕草をするとなんとも優雅だ。

「ルイシャムではどのような研究をなさっていたのですか?」

「申し訳ないが彼は戦時中の就業内容については発言できない」

 バフが突然口を開いた。ルアンはバフに向かって頷いた。

「アルベロ・ロッソはどんな子供でしたか?」

「クロタエが拾った孤児だ」

 シュゼは簡潔に言った。

「拾った?」

 ぎょっとしてルアンは聞き返した。

 いやはや、戦中ってそんなにこの国は混乱していたっけ?

 シュゼは肩をすくめて続ける。

「拾った。と、思う。実際はクロタエとあいつしか知らない。僕がルイシャム研究所を訪れたらあいつがいただけだ」

 なるほど。

 ルアンはベイスを見た。彼はシュゼの横顔をじっと見つめている。

「詳しく話してください」

 シュゼは眉をしかめ、記憶を探るようにゆっくりとした口調で話し始めた。

「スラム街でクロタエはあいつを拾ったらしい」

 三人の表情を見て、シュゼは肩をすくめた。

「そう聞いた。クロタエがなぜスラムに行ったのかは知らない。ともかくクロタエは死にかけていたあいつを拾った」

 ルアンは頷いて、先を促した。

「クロタエの養子に申請する時にDNA検査をして年齢を割り出した気がする。見かけは十歳くらいだったけど、結果は十三歳だったと思う。目と耳が悪かった。読み書きができなかったけど、僕たちが教えたらすぐに読めるようになった。語学は本当に得意で、五カ国語はできたと思う」

 シュゼはルアンの驚きを見てニヤリと笑った。

「それで終わりだ。翻訳家になったのか……知らなかったな」

 ルアンは頷きながら頭の中のロッソのファイルを捲った。

 確かにシェルター内の義務教育終了試験では語学の点数がずば抜けていた。反社会的な性格だったが、成績が優秀のため免除されている。

 帰ったらこの会話の音声データを専門家に聞かせないと。

 だがルアンが聞く限り、シュゼの言うロッソに関する情報は疑わしいものではなかった。つまり、覚えすぎてもいないし忘れすぎてもいない。十五年も前の出来事なのだ。

「で、そのロッソ先生になにがあったのかな?」

 さて、メインデッシュだ。ルアンは百回練習した台詞を繰り出した。

「最近アルベロ・ロッソからあなたに連絡がありましたか?」

「ない、なにもない。繰り返すけど、あいつとは戦後会っていない」

「例えば手紙とか」

「電報とか手旗信号とかモールス信号とか?」

 シュゼは手を上げて続けた。

「ネットの通信は君たちが『検閲済み』だろう。手紙もそうだ」

 ルアンはバフの苦々しい顔を無視した。彼は自分の仕事が疑われて面白くないはずだ。確かに彼宛の手紙もメールも徹底的に調査されてロッソと関係のあるものは一切出なかった。

「なにがあったかそろそろ話してくれてもいいんじゃないのか?」

 シュゼが紅茶に砂糖を投げ入れながらつぶやいた。

「彼は行方不明になりました」

 ルアンとベイスが反応を伺っている中、シュゼは角砂糖を持つ手もぴたりと止めた。演技だとしたら主演男優賞物だ。

「そんな……はずはない。あいつは君たちが監視しているはずだ。ルイシャム研究所関係者として。クロタエの子供として」

 その通り。

 アルベロ・ロッソはルイシャム研究所関係者として十五年間監視されていた。シュゼのように職と行動が制限され、体内にGPS生体発信インプラントが埋め込まれている。

 発信機と生体反応が切れたのは十一日前の十月二十四日午前二時で、彼が死んだと報告を受けた捜査官が二時間後ロッソの自宅に到着した。だがロッソの遺体はどこにもなかった。

 徹底的な捜索の後、書斎の机から一枚の紙切れが見つかった。紙には一言「シュゼは?」と書かれていた。そうしてルアン達は四時間もかけてシュゼの家までたどり着いたのだ。

「まさか……」

 シュゼのつぶやきが聞こえる。

 ルアンはシュゼの発言を黙殺して、研修で習った通り時間をかけて紅茶を飲みほした。

 先に沈黙に耐えられなくなったのはシュゼだった。

「GPS生体発信インプラントが体内に入ってるはずだ。僕の背中に入っているようにね」

 ルアンは驚いて顔を上げた。紅茶を飲んでいる最中でなくてよかった、飲み途中なら確実に噴出していただろう。

 シュゼはルアンの心を読んだように、ニヤリと笑った。

「驚いたな? こいつはなぜ機密情報を知っているんだと思っているだろう」

 バフまでも息を飲んでシュゼを見つめている。

「なぜなら、あの小型インプラントを開発したのは僕なんだ。といっても二十年前の話だけどね。『生体反応インプラント』で検索してみればいい。運が良ければ論文がデータベースに残っているはずだ」

 シュゼは悲しそうに首を振った。

「まぁ燃えちまったかもしれないけど。ちなみに三年前に一斉に入れ替えた改良型を開発したのも僕だ。生体、薬物、ホルモン感知機能付きGPSインプラント。小さくて高性能」

「なるほど」

 ルアンはなんとか言葉を搾り出した。我が国の技術者はなにをやっているんだ? 犯罪者に手錠を作らせてどうする。

「行方不明って事はアルベロ・ロッソなる妙な名前を持つ男すっかり消えうせた、と」

「申し訳ありませんが、お話する事はできません」

 シュゼが鼻を鳴らした。

 まぁいい。嗅ぎつけるのは時間の問題だろう。

「彼が失踪する心辺りがありますか?」

「生きているのかも知らなかった男の事を? もう三十くらいかな、家出するのにはちょうどいい時期だと思う」

 シュゼはニヤリと笑った。

「あなたはなにかご存知ではないですか?」

 シュゼの人懐っこい笑みが皮肉みを帯びた。

「どうしてそう思う?」

「なぜ笑っているのですか? 彼が心配ではないのですか?」

「いや、面白いだけだ。あいつが君たちの鼻先から煙の如く消え去ったんだからな。君たちを少々過剰に評価していたようだね」

 ルアンはゆっくりと数を数えた。嫌な男だ。見かけは若くて物腰の柔らかそうな優男なのに。

「あなたはこの件を知っていたのではないですか?」

「いや、繰り返すが全く知らなかった。だから今こんなに面白がっている」

 シュゼはニヤリと笑ってウインクをした。ルアンは礼儀正しく黙殺した。

「彼が心配ではないのですか?」

「十五年前に会ったきりの男を? これっぽっちも心配はしていないが、ロッソなる男に好感を持っていると公式記録には残しておいてくれ。願わくば君たちが見つけられないことを」

 恥知らずめ。

 ルアンは口の中でつぶやいた。だがもう一人の自分は理解していた。

 この男は嘘はついていない。

 しかし、本心を語ってはいない

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