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カオティック・ダイアリー  作者: 相良徹生
第一章 黒髪は口が悪い
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七時間後

 七時間後、俺はナギに連れられて研究所の廊下を歩いていた。


 廊下はそこら中に埃の積もった段ボールが置かれ、何年も使われていないようだ。何度か廊下を曲がり俺が道順を頭に刻み付けているうちに中庭横の一室にたどり着いた。


 真っ白な部屋。それが第一印象だった。


 大理石の床が壁一面の窓からの太陽光を反射してまぶしいくらいだ。部屋には本棚と椅子一脚以外家具が一つもない。

 最初に目についたのは壁は一面の本棚だ。どの棚も剃刀一枚分の隙間なくびっしりと本が並べられている。俺はこんな量の本を見たことがなかった。

 部屋の中央に女が寝っ転がって本を読んでいた。

 真っ白な床に黒々とした髪が放射状に広がっている。

 床に寝て椅子に左足を乗せている女を見るのは初めてだった。俺でさえここまで無作法になれる自信はない。


「クロタエ、起きなさい」

 ナギがノックをしながら怒鳴るが、女は何事もないように本を読んでいた。

「あの少年を連れてきたわよ」

 ナギはもう一度言ってから、諦めたように息をつくと俺に向き直った。

「いつもこんな感じなの。私は仕事があるから。じゃあね」

「お、おい」

 俺が引き止めるのも聞かずにナギは去っていった。

 俺は途方に暮れて部屋を一瞥した。

 責任者に会うんじゃないのか? この女が責任者か? だとしたら、俺は首相閣下だ。

「あー……ちょっと」

 俺はなんとか言葉をひねり出した。

 女はぴくりともしない。耳が聞こえないとか? まぁいい。

 俺は床に広がった真っ黒な髪を踏みそうになるのを無視をして女の顔を覗き込んだ。


 やっぱり、あの病室で俺を見下ろしていた女だ。

 歳はナギと同じくらいだろうか。たっぷりとした髪はずいぶん若くも見えるし、忙しく左右に揺れている瞳は狡猾な老婆のような鋭さをもある。床の大理石と同じくらい白い肌には血色が感じられず、灰色の瞳はガラス玉のような光を放っていた。


 女は俺を一瞥してまた本に戻った。

「おい、聞こえてんだろ?」

「今いいところだ。黙ってろ」

 女が唐突に言った。シュゼと同じような訛りがある、低くハスキーな声だった。

 俺は一歩引いて右足に重心を移すと女が本を投げ捨て俺に向き直った。俺はあっけに取られて、投げ捨てられた本を見つめた。

「いいところじゃなかったのか?」

「もう読み終わった。さてと、なんだったかな」

 女はゆっくりと起き上がり、乱れた裾を整えると胡坐で座り俺を見上げた。

「やあ、良くなったらしいな。さっぱり回復したって? わたしはクロタエだ。クロタエ・スノーマ。お前は?」

「名前はない」

 俺はもごもごとつぶやいた。どうもこの女の前にいると居心地が悪い。

「そうか。まあ座れよ」

 クロタエのあっさりとした答えに拍子抜けして、俺は素直に床に座りこんだ。大理石の床は驚くほど冷たく、薄い手術着を通して冷気が立ち上がっている。

 なんでこの女はこんな床に寝ていられるんだ? 


「紫色の虹彩をしているな。しかも見事なシルバーブロンド」

 またこの話題か。

 俺はうんざりして髪をかき上げた。ここの人間は瞳や髪の色を指摘するのが挨拶代わりなのか? クロタエはクスクス笑った。

「重要性がわかっていないようだな。いいか、平均的な都市で暮らす現代人が生涯で出会う人間は千七百人で、お前ほどのシルバーブロンドが生まれる確立は一パーセントだ。つまり、知人友人隣人中の十七人がその天使みたいな金髪ってことになる。そして紫の虹彩を持った人間は全人口の〇・〇〇一パーセント……」クロタエは一気にしゃべり、灰色の瞳で俺を見上げた。

「……で、なにが言いたいんだ?」

「希少って意味さ」

 クロタエは何が可笑しいのかクスクスと笑っている。どうやら正真正銘の変人のようだ。

 しばらく独りで笑った後、クロタエは俺の全身を一瞥した。

「傷を見せてみろ――と言いたいが、私室で少年を裸にしているところを見られたら、わたしは身の破滅だ。どうもわたしの評判は芳しくないようだし」

 だろうね。俺は心の中でつぶやいた。

「えーと、お前……どうも名前がないとやりにくいな。なんで撃たれたんだ? 市民の義務として通報しなくてはいけない、と判断するかもしれないから」

「俺をモノにしようとしたゲス野郎がいたんだ」

 なんて事のない口調を装ったが、ワット・ピアスのにやけ面を思い浮かべただけで怒りがこみ上げてくる。あの変態。今度会ったら切り刻んでやる。

「はん。そいつはゲスだな」

 クロタエが眉をしかめて吐き捨てるように言った。

「それをそのまま言ったら撃たれた」

「なるほどね」

「俺も質問がある。俺の服はどこいったんだ?」

「悪いが処分させてもらった。あの布は公共衛生上大いに問題あったから」

 ちくしょう。俺の一張羅だってのに。銃はどこへいったんだ? このぶんだと一緒に処分されたのだろう。

「その可愛い頭でなにを考えている?」

 クロタエが俺を覗き込みながら囁いた。

 苛つかせる女だ。

「あの童顔の先生が俺の服を脱がしたんじゃないよな?」

「わたしが脱がした。正直に言って、いつ注射器が手に刺さるんじゃないかとヒヤヒヤしたよ」

 俺は盛大に鼻を鳴らした。俺が売り物に手を出す馬鹿に見えるのか? 

「ついでに言っておくとあの童顔の先生は小児同性愛者じゃない。さて、お前歳はいくつだ?」

「十四」

 そんなもんだろう。自分の歳など全く知らないのだ。

「馬鹿言え。どう見ても十にもいってないぞ」

 俺は悪態を飲み込んだ。よりにもよって十にもいってないだと? 

「俺の年齢なんてどうでもいいだろ」

「いいや、なにを言う少年」

 クロタエは芝居がかった仕草で首を振る。

「お前はガキだ」

「あんたも十分ガキっぽいぜ」

 クロタエは俺を無視して続けた。

「ガキには親がいる」

 俺は遠慮なく鼻で笑った。

「まぁ、その点については大いに異議があるらしいが、わたしは子供には保護者が必要だと思う」

「ああ、そう」

「少なくとも、ここは文化的先進国と言われた国だし、目下絶賛戦争中だからこそ子供の教育はおろそかにしてはいけない」

 クロタエは歌うように言うと、灰色の瞳で俺をじっと見つめた。

「なんの話だよ」

「お前を養子にしてやる」

「ごめんだね。言っておくが俺は一般家庭養子プログラムから外されてんだよ。俺のファイルが――まだ児童擁護センターに残っているなら――評価欄には『好ましくない』ばかりのはずだぜ」

「勘違いするな。わたしのだ」

「は?」


 嫌な考えが頭をかすめゾッとした。

 まさか……。


「わたしの養子にする」


 クロタエはにんまりと笑い、はっきりと宣言した。

 俺は一瞬口ごもったが一気に怒りを爆発させた。

 冗談じゃない。

 この二分話しただけでうんざりするような変人の思いつきに付き合っていられるか。


「ご厚意痛み入るが、あんたの気まぐれに付き合う気はないぜ。怪我をした子供を救ったんだから十分政治的社会的貢献ってやつは果たせたはずだ」

 クロタエは愉快そうに瞳を輝かせて頷いた。

「うん。でももう少し、その政治的社会的貢献ってヤツがしたくなったのさ。ほら、想像がつくと思うが、わたしは今までそういったことには無縁だったから。十年分の義務を果たす時が来たんじゃないかな」

 クロタエはそう言うとなにもなかったように寝っ転がり、手元に積んであった本を読み出した。

「おい」

 クロタエは俺がまるでいないかのように本をめくり始めている。

 ちくしょう。俺は女を蹴り飛ばしたい衝動を懸命に堪えてドアに向かっていった。

 ついでにこの施設からも出るつもりだった。これ以上はごめんだ。こんなところにいてたまるか。

 扉を開けると視界が真っ白になり、次の瞬間俺は猛烈な勢いでなにかにぶつかった。

 

 理解するまでに数秒かかった。俺は床にぶっ倒れたのだ。

 遠くから、誰かの怒鳴り声が聞こえたが、強烈な頭痛と眩しさで、なにも考えられなくなっていた。

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