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カオティック・ダイアリー  作者: 相良徹生
第一章 黒髪は口が悪い
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おかげで目が覚めても

 おかげで目が覚めても、俺はふわふわとするベッドに縛り付けられていた。


 ちくしょう、夢じゃなかった。


 俺はすぐに行動を開始した。

 つまり、この部屋を出ていくために体中に繋がっているありとあらゆるチューブを男らしく引きちぎるのだ。

 俺は少々男らしさに欠ける慎重さで起き上がると、左腕と下半身が動くことを確認した。

 体中にまかれた包帯を軽く押すと、驚くことに痛みは全く感じなかった。

 左肩と腹に巻かれた青い布を解くと、ピンク色真新しい皮膚が盛り上がりすっかり傷がふさがっている。

 俺は何ヶ月も寝ていたのか? それともナノなんとかの効能か? 

 伸びをすると、全身にやっと血が行き届き、感覚が戻ってくる。体がまだ重かったが、こんなものは怪我をする前もそうだった。

 よし。

 俺は強烈な消毒液の匂いのするシーツを捲り上げて体中に張られた吸盤付きのコードを引き剥がし、最後に注意深く点滴を外した。

 ありがたい事にあのいまいましい電子音が鳴り響く事はなかった。体にまとわりつくシーツを完全に引き剥がすと、ゾッとする事に尿道にカテーテルが入っていた。俺は点滴を引き抜いた時よりもずっと慎重にカテーテルを引き抜いた。

 血が薄っすらと漏れたが気にしてもしょうがない。

 あれほど血を流してまだ生きていたんだ。いまさら少々出血しても問題ないだろう。

 ベッドから立ち上がりカーテンを引くとひどい眩暈がして視界が真っ白になった。俺は膝から崩れ落ちる前にベッドに座り込み、ゆっくりと息を吐きながら数を数えた。


 一、二、三……。


 何度かまばたきをすると視界は元に戻っていた。

 なるほど、ここは病院じゃない。

 そこらじゅうに機材が並べられていて研究室のようだ。

 俺は研究室ってやつを見たことはなかったが、ドラッグの合成工場は見たことがある。あれの百倍は清潔にした感じだ。

  途端に強烈な空腹を覚えたが、欲求を無視するのは馴れていた。今はここから逃げ出すのが最優先だ。児童擁護センター行きになるのは天国行きよりごめんだった。

  俺はロッカーを手際よく漁り服を探し始めた。

 こんな時でも物色する手際がいいとは……小悪党冥利に尽きる。今はなにか着る物が必要だ。つまり、悪態をつきまくって、ついでに金目のものを頂いてさっさと逃げるためには全裸では無理だ。

 俺の着ていた服は糸くずさえ残されていなかった。持っていた銃もだ。密輸物の安物の銃だが、これから必要になるはずだったのに。少なくともピアスをぶっ殺せるかもしれない。

 最後に開けたロッカーからスリッパを見つけて俺は思わず口笛を吹いた。

 さらに緑色の手術着を見つけなんとか着込むと、やっと一息ついた気がする。

 服を着ないと落ち着かない点では俺は文明人だったようだ。


「おーっと!」

 女の声が部屋中に響く。俺はハッとして声の出所を睨んだ。

 入口に金髪の女が立っていた。青い目が愉快そうにきらめいている。

「まさか起き上がっているとは」

 女を突き飛ばして外に逃げ出すか、それとも……。次の瞬間、俺の思考は芳ばしい香りを発しているトレイに釘付けになった。とたんに空腹が耐えきれなくなる。

「私はナギ・ブラウン。食事を持ってきたわよ。座りなさい。と、いうよりもう動いていいの?」

 俺の当惑もよそに女は気にしないそぶりでトレイを机に置くと、ソファーにどっしりと座りこんだ。

 やたらと長い足を組み頬辺りで切りそろえた髪をかきあげると、興味津々といった様子で俺をじろじろと見つめている。

「お腹減らないの?」

 クソっ食い物に気を取られているようなら逃げられそうもない。それに俺のモットーは食える時に食っとけ、だ。俺は黙って女の向いに腰を下ろした。

「悪いけど、病人食なんてないの。あと、ゆっくり食べなきゃだめだって。胃が受け付けないらしいから」

 俺は頷いて貪り始めた。

 途端に胃が締め付けられ、ムカムカとしたが気にしてもしょうがない。何日も食べないことなどざらだったので、良く噛んで液体と共に飲み込めば不快感は気にならなくなると知っていた。俺はいい香りのパンを口いっぱいに詰め込んだ。

「気分は?」

 ふいにナギが口をひらいた。

 独創性に欠ける質問だ。世界中の人間が俺の体調を気にしだしたらしい。

「まぁまぁ」

 俺は顔も上げずに答えた。

「ゆっくり寝ていなさいって言われなかったかしら?」

 ナギはベッドに散乱した包帯とチューブの類を一瞥し眉を上げた。俺は無視してスクランブル・エッグに取り掛かった。

「あなた、すみれ色の虹彩をしているわね」

「はぁ?」

 顔を上げるとナギの青い目が愉快そうに輝いていた。薄い唇は大発見をして今にも口笛を吹きだしそうに尖らせている。

「瞳の色よ。珍しい色ね。ちょっと部屋が眩しくない? 光量を下げようか?」

 ちょっとどころの眩しさじゃなかったが、俺は見透かされたのに苛ついて無視をした。

「すみれ色の虹彩って珍しいのよ。知ってる?」

 紫の目が珍しいだって? それがどうした。なかなかお目にかかれない色だってのは十分知っている。スラムでは卑猥な冗談や不愉快な話題のかっこうのネタだったのだ。

「あんたはなまってないね」

 俺がさえぎるように言うと、ナギは眉を上げた。

「さっきの男は気取ったしゃべり方をするけど。あんたは違う」

「ああ、ヨルコの事ね。クロタエ――白衣を着た女の方もでしょう。大学仕込みの南部訛りってやつよ。私は生まれが北の方なの」

 俺は聞いているふりをしてコップの中身を飲み干した。とんでもなく甘い液体だった。

「えーと」

 この飲み物はなんていうんだ? 少なくとも紅茶ではない。

「ナギ・ブラウン」

 ナギは俺のつぶやきを勘違いしたようだ。

「ナギって呼んで。あなたの名前は?」

「なんだって?」

「名前よ、あなたの名前」

 なんでどいつもこいつも俺の名前を知りたがるんだ? 質問を無視してベーコンを齧り始めると、ナギはクスクスと笑った。

「気を悪くしないで。ヨルコもあなたに興味があるのよ」

「大学を出ると小児性愛者になるのか?」

 ナギは眉を上げると、ニヤリとした。どうやらこの女はあの童顔の男とは違う人種のようだ。

 頭は良さそうだが俺の言葉遣いでたじろいだり咳ばらいしたりしない。

「ヨルコの前でそんな口を利いちゃだめよ。目を回すから」

「お上品にぶっ倒れるかも」

 俺は初めて笑みらしき物を浮かべた。いや、鼻で笑ったともいう。

「名前がないのね。わかった。ヨルコには伝えておくわ。中々理解できないと思うけど。さて、私は仕事があるからもう行くわ。七時間後に迎えにくるからそれまでに準備をしなさい」

 この女がいなくなったらすぐ外に出る準備をしなければ。ナギは俺の心を読んだように微笑んだ。

「安心しなさい。都市衛生局には通報しないわよ。ここの責任者に会わせるだけ」

「責任者?」

「責任者。君はしばらくはここにいなさい。いなきゃ困るわ」

「ここはどこだ?」

「ルイシャム研究所」

「なるほど」

 俺は頷いた。


 ルイシャム研究所は街のずっと先にある変電所に併設されている研究所た。たまにトラックが入っていく以外はなにをしているのかさっぱりわからないが、その地帯一帯が軍用区域に指定されボロボロの癖にしっかり機能する赤外線センサーに囲まれている。たまに馬鹿が立ち入って逮捕される。


「ともかく、君はちょっとまずい場所にいるから、逮捕されたくなかったらここから勝手に出ない方がいいわよ」

「まったくだ」

 俺は精一杯皮肉っぽく口を歪めた。

「まったくね。なんでこんな事になったんだか」

 ナギは目をぐるりと回した。

「でもね、たまに人助けをすると気分がよくなるのよ。世のためヒトのためってやつね。一年に一回は政治的に正しい社会的貢献ってやつをしなきゃいけないから。怪我をした子供を救うのは立派な行為よね? 少なくともそうだったはずだけど」

「あんたも軍人か?」

 フォークをナギに向けると、彼女は笑いながら席を立った。

「落ちこぼれのね」

 つまり、俺は軍事研究所に軍人と軍医に囲まれているって訳か。最高だ。

「死にかけの孤児を生き返らせている暇があったら、島国の奴らをぶっ殺してほしいね」

「新聞を見なさい。我が国は優勢よ」

 ナギが肩をすくめながら言う。

「前の大戦の時も奴らはそんな事を書きたてていたらしいぜ」

「それは二百年前の話でしょう。まだ人類が原人だった時代よ。それじゃ、君とのおしゃべりは楽しいけど、本当にもう行かなきゃ。左のドアが洗面所だから、食事を終えて二、三時間しても気分が悪くなかったら体を洗いなさい。消毒液の匂いが酷すぎる。必要なものはすべて棚に入れてあるはずよ。着替えは新しい手術着を使って」

 ナギは俺は一瞥した。

「ちょっと大きいみたいだけど。気分が悪くなったらインターホンを押してね。誰かくるはずよ」

  ナギは一気にまくし立ててから部屋を出ていった。


 俺は残された大量の食事を見下ろしてゆっくりと十秒数えた。

 オーケー、落ち着け。

 俺は生き残った。クソありがたいことに。

 ついでに閉じ込められた、クソありがたいことに。

 しかも軍事施設に。

 軍用地の警備の異常さは、いくら俺でも検討はついた。戦時中ならなおさらだ。出入りはすべて管理されているだろう。

 まずい事になった。これから起こる事を考えると胃の中にたっぷり詰まった甘いものが暴れだした。

 ちくしょう、俺は児童擁護センターに収容される。少なくとも五時間以内には。


 ゆっくりと立ち上がってぶっ倒れない事を確認すると、すぐにナギが出ていったドアを確認した。ぴくりとも動かない。

 すぐに少々操作パネルをいじったところで無駄だと気付いた。何度かセキュリティパネルの操作――といってもすべて不法行為だったが――をしたことがあるが、あの時は安物の電子施錠解除装置があった。

 あれがなきゃ俺の腕ではこのドアは開けない。特に何日も前に銃で撃たれた今では。

  今日何度目かの悪態をつくと、急にムッとする消毒液の匂いが鼻につき何度か咳き込んだ。


 くそっ潔癖症じゃなかったはずなのに。シャワーを浴びるのはいい案かもしれない。

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