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カオティック・ダイアリー  作者: 相良徹生
第二章 金髪はよくしゃべる
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私はゆっくりと声がした方向を向いた

 私はゆっくりと声がした方向を向いた。

 さっきまでマシロが眺めていた場所に女性が立っていた。

 つまり私の目の前に。

 白状すると私は女性の美しさに見とれていた。

 涎を垂らしていなかったら奇跡だ。

 女性にしては背が高く、私の耳くらいまであるだろう。たっぷりとした淡いブロンドの髪をベージュのコートにたらしている。

 そしてこの美女のグリーンの瞳は間違いなく私を見つめていた。そうだよな? 

「なにか?」

 私は恐る恐るつぶやいた。さっと周りを見渡し彼女が私に話しかけている事を確認する。

「アルでしょ? びっくりした。こんなところで会うなんて」

 私は慌てて立ち上がった。

 女性を前にしたらすぐに立ち上がる。それがマナーだ。

「私の事でしょうか?」

「どうしたのよ、アルベロよね?」

「アルベロ?」

 女性は息を飲み、気まずそう笑った。

「ごめんなさい、知人と間違えたみたい」

 私はぽかんと突っ立って離れつつある彼女の後姿に見とれていたがすぐさま我に返った。

 人違いだって?

 アルベロ?

 誰だ?

 私?

 まさか!

 いや、待て、そう、私は記憶喪失だ! 

「待ってください!」

 私が慌てて後を追うと彼女はギョッとして振り向いた。

「私は、その、あなたの知り合い……かもしれません。記憶が曖昧で」

 こういった場合はどうやって説明するべきなんだ? 間抜けな男が誘っているように思われないだろうか? 

「よろしければ話を聞かせてください。ええと……」

 そして私は人生で初めて女を誘うため、死ぬほど気の利かない言葉をひねり出した。

「コーヒーはお好きですか?」


 彼女は机の上に散らばった新聞とマシロが飲み残したカプチーノをじっと眺めている。

「誰かと一緒だったの?」

「いえ。あー……はい。知人と一緒でした」

 おい、意味のない嘘をついてどうする!

「お気遣いなく、帰ってしまったので」

 私はもごもごと言った。

 彼女は滑るように飛んできたウェイターにカプチーノを注文した後、私に向き合った。

 彼女がガラスのような瞳でじっと見つめてくれたおかげで、私も遠慮なく相手を眺める事ができた。

 高い頬骨にはそばかすの跡が薄っすらと透けるように残っている。薄い唇、直線的なしっかりとした眉、すべてが完璧。完璧な美しさだ。

 私はため息を飲み込んだ。

「どうしたの?」

「はい?」

 私は我に返り無意識に口元に手をあてた。大丈夫、涎を垂らしてはいない。

「あなたアルでしょう?」

「ええ、たぶん」

 我ながら間抜けな答えだった。

「私は記憶を失っています。その……あなたが……」

「フィセ・イズリントン。フィセでいいわよ」

 フィセ・イズリントン。

 美しい名前だ。

 だが今はそんな事にうっとりしている場合ではない。彼女は妙に色っぽい仕草で眉を上げて続けるように催促した。これ以上どうやって説明すればいいのだろう。

「これ以上簡潔に表現する事はできません。正しい表現がほかにあるかもしれませんが、私の記憶にはないのです」

「つまり」

 フィセは息を吐いた。

「あなたは記憶障害を受けていると」

「はい」

「どこの誰かもわからない」

「はい」

「なるほど」

 フィセは眉をしかめ、手元のカップをじっと覗き込んだ。

「ええと、フィセ。私をアルベロという名前で呼んだ根拠はなんでしょう?」

「あなたがアルベロだから」

 彼女は簡潔に表現した。

 その通りだ。

 だが今の私は彼女が太陽は青いと言ってももちろんだと頷くだろう。

「その傷でわかったのよ。左の額に古い傷があるでしょう?」

 彼女は目を細めて続けた。私はフィセの視線先、自分の左眉の上を撫でた。肌のきめが細かく固くなりえぐれたようにへこんでいる。

「私は本当に……アルベロというのが私の名前ですか?」

「そうよ、アルベロ・ロッソ」

 アルベロ・ロッソ……何度かつぶやいてみる。

 まったく馴染みを感じない。

 正直に白状すると少々古くさい名前に感じた。

「私の年齢をご存知ですか?」

「あなたはわたしの一つ上で二十九歳。誕生日は二月四日」

 頬が思わずゆるむ。

 思ったより、最悪の想像よりは若かった。

「なるほど。失礼ですが私とはどういった関係でしたか?」

 フィセの瞳の色が一瞬が濃くなった。もしかして、仕事仲間で二、三回デートをして良い雰囲気になっていたとか。

「同じ大学に通っていたのよ」

 私の密かな願望をよそにフィセは簡潔に言った。

 私は落胆を押し殺して相槌を打った。

 私の年齢では大学生時代なんて一昔前の話だろう。

 そして次の瞬間、フィセがゆっくりとカプチーノを飲む動作に釘付けになった。

 彼女は本当に優雅だ。

 くそっ、しっかりしろっ。

 うっとりするよりもっと重要な事があるだろう。

 しかし脳みそは私の意思とは別に彼女の事を聞きたくてたまらないようだった。

「あなたはどういった仕事をしているのですか?」

「わたしは検死官よ」

 けんしかん? 

「素敵な仕事です」

 私はなんとか頷いた。

 記憶がなくなったのはともかく愚かには思われたくない。

「変わっていなければ、あなたは翻訳家」

 信じられない。今の語学力のなさはなんなのだ? 

「出身は?」

「詳しくは知らないの、クロウリーと聞いたことがある」

 出身はクロウリー。

 どこだかさっぱりわからないが、いいぞ、この調子だ。

「私は……未婚……ですよね?」

 私は恐る恐る言った。

「ええ、わたしが知る限りではね。でも結婚式に昔の恋人を呼ぶ趣味はないだろうから結婚していたかもね」

「はい?」

「五年前に別れたのよ。わたし達学生時代付き合っていたの」

 私はぽかんと口を開けた。

 信じられない! 私は過去の私に喝采をした。

「アル、あなた……」

 フィセは口ごもり、私の手に手を重ねた。

「あなたには手助けが必要だと思うわ」

 重ねられた彼女の手に気が散ってしょうがなかったが、私はなんとか頷いた。

 助けが必要。

 確かに。

 その通りだ。

 私は物わかりのいい分別を発揮してしっかりと微笑んだ。

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