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カオティック・ダイアリー  作者: 相良徹生
第二章 金髪はよくしゃべる
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私は真っ白な部屋にいた

十一月 十四日


 私は真っ白な部屋にいた。

 床と壁の境もまぶしくてなにも見分けられない。

 床がひどく冷たく、足がじんじんと痛んだ。すぐそばに寝ている女の髪だけが、床にインクを垂らしたかのようにはっきりと浮かび上がっている。

「……」

 女がつぶやいた。ここからでは聞こえない。

「なんて?」

 私は女に向かって一歩踏み出した。

 「あなたは――――」

 そして目が覚めた。



「新聞よ」

 マシロが恐ろしい近さから私を見下ろして宣言した。

「なんですって?」

「朝よ」

「でしょうね。うーん……おはようございます」

 私は毛布代わりのジャケットを頭まで引き上げる事で少女から距離をとった。

「新聞よ。おじさん! 起きて! 新聞が必要なの」

 私はぼやけた脳みそを奮い立たせるため頭を振った。

 今日も頭痛がしない。悪くない気分だ。

 マシロがぶつぶつとなにか言っているのが遠くから聞こえる。彼女がこの部屋にいついて、もう一週間になるだろうか。これで私も言い訳できない十分道徳的な犯罪者って訳だ。

「起きて! コーヒーが必要?」

「いえ、コーヒーは結構です」私は慌てて起き上がった。事あるごとにマシロが進めるコーヒーは、残念ながら一生の口にしないものリストの上位にランクインしていた。

「十分目が覚めましたよ」

 私は眉をしかめるマシロを無視して窓を全開にした。

 途端に湿った冷たい空気が部屋を満たし、未成年と夜を過ごしたと言う罪悪感を一掃した。少なくとも、大した問題ではない気にさせた。

 私はなにもしていない。彼女の髪の毛一本すら触っていない。なら妙な罪悪感を覚える必要はないはずだ。

 そうだろう? 

 さて、彼女はなんて言っていたっけ? そうそう、新聞がどうとか。


 二十分後、私達は大通り横の美しいオープンカフェで新聞を貪るように読んでいた。

「もう文字が読めるの?」

 マシロは新聞の山からチラリと私を見上げた。

「だいたい」

 私は当然、といった口調で答えた。

 三日前にばらばらだったアルファベットが意味のある単語として理解できることに気付いたのだ。十秒程じっくり考えれば、の話だが。

「君の方はなにか見つけましたか? 私は銀行強盗で全国指名手配されていますか? それともカジノで十億当てた運のいい男とか」

「なにもないわ」

 マシロは新聞に鼻をくっつけたまま答えた。

 私は週間気象予想に興味を移した。

 今日は晴れ。風が強い。文字が理解できることはいいことだ。体中にぬくもりがゆっくりと広がった。

「なにか見つけたの? ニヤニヤしちゃって」

 マシロがじっと私を見つめていた。

「なんでもありませんよ」

 私はつぶやくように言うとぬるくなった紅茶を飲み干した。

「あなたハンサムね」

 私は唖然とするのと、紅茶を噴出さないのを同時にやってのけた。

「なんですって?」

「物理的に、遺伝子的に、あなたって結構素敵な顔をしてるわよ」

 マシロは私の顔をまじまじと見てニヤリとした。

 耳が猛烈に熱くなるのを感じる。

 うろたえていると思われるくらいなら、窓から飛び降りた方がましだ。私は咳払いすると慎重につぶやいた。

「これからの君の生活を考えると、男の前でそういった事を言わない方が良いと忠告します」

「事実を言っただけよ。わたしのタイプは黒髪の男だったんだけど、大幅に認識を変更しないといけないわね……。金髪で紫色の瞳をした長身の男なんて! ちょっと古風すぎよね」

 マシロが口を尖らせて言う。

「あなたの瞳の色、すごく珍しいわ。綺麗なすみれ色をしてる」

「すみれ色ねぇ……」

 ロマンチックな例えだ。

 朝見た限り虹彩の色は確かに紫だったが、充血した青といった方が相応しい。

 私はもう一度咳払いした。

「君は人類の半分がY染色体保有者で、私もそうだって事を忘れやすいようですね。君はきっぱりした態度を取らないといけませんよ。世の中私のような男ばかりじゃないんだから」

 マシロは鼻を鳴らした。その妙に気取った仕草に笑いがこみ上げてくる。

「二、三度スープを暖めてあげたからって、いい気にならないでよね。これで満足? ちょっと、なに笑ってるのよ。またわたしの出身校の悪口?」

 マシロのむっつりした顔を見て、私はニヤリとした。

「君にほめ殺しにされるのが先かも」

 楽しい気分もここまでだった。十分後。マシロは目の前のコーヒーカップに突然興味を持ったように見つめ続け、沈黙の誓いを立てたように一言も口をきかなくなっていた。

 私はなにかしくじったのだろうか? 

「どうかしたのですか?」

 先に沈黙に耐え切れなくなったのは私の方だった。

「二杯目を飲みますか?」

 反応なし。

 私はウェイターにカプチーノのおかわりとホワイトチョコレートモカを注文した。

「白状すると、私は十も歳が違う少女にどう接していいかわかりませんし、気配りに並々ならぬ関心がある方ではないし……」

「それに男だし」

 マシロがぽつりと言った。

「その通り。……ただ」

 続きはウェイターにさえぎられた。ウェイターはチラリと私と連れに視線を走らせ、トレイを持ったまま硬直している。

「彼女にはカプチーノを。私にはホワイトチョコレート……モカ? を」

 ウエィターはホッとした様子で飲み物を置き会計をすませるとそそくさと立ち去った。

 なんなんだ? 世界中の人間がよそよそしくなったのだろうか。

 私は周りを見渡して息を飲んだ。いや、ゾッとした。

 オープンカフェは仕事帰りの人間であふれているが少女と男の組み合わせは私達だけだ。これは誘拐犯とその被害者として警察に通報されるのも時間の問題かもしれない。

 つまり、マシロは現実を理解したのだろう。訳のわからない男と一緒にいるということに。

 少女の視線は今では通りに移っており心なしか青い顔でじっと人通りを見つめていた。

「マシロ?」

 ビクリと体を震わせマシロは私に向き直った。黒い右目が不安げに輝く。

「どうかしましたか?」

 私はマシロの視線の先を追った。

「なんでもない」

 マシロはかすれた声でつぶやくと、はねるように立ち上がった。

 「わたし、先に帰ってるね! ごちそうさまっ!」

 追いかけようと腰を上げた瞬間、私は美しい声に釘付けになった。

「アル」

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