4月28日
「ちょっと良いかしら」
「えっ」
放課後、唐突に教室に現れた鏑木紫月に後ろ襟を掴まれ、そしてそのまま教室の出入口へと引っ張られた。
こんな行為に及ぼうとしながらも後藤の話が終わるのを律儀に待っていたのか、ホームルームが終わってから5秒と経っていないうちの出来事である。
「お、おい赤坂! どういう事だよ! 説明しろよ!」
ざわざわとした教室内の人間を代表するような形で砂霧が声を上げる。
「俺にもわからん!」
事実何もわからないままに、抵抗も虚しく俺は教室の外へと放り出された。
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「し、紫月ちゃん……? 落ち着いて……?」
何故か連れてこられたらしい春日野さんが、困ったように眉を下げながら鏑木紫月を諭す。
「これが落ち着いていられる?」
鏑木紫月は大層お怒りな様子で、春日野さんとは対照的に眉を吊り上げている。
「櫻、貴女この男と一緒に遊びに出かけたんですってね? それも2人きりで」
「え? どうして紫月ちゃんがそれを……?」
「教室で女の子たちが話してるのを小耳に挟んだのよ。櫻が図書館で知らない男子と一緒にいるのを見たって。この男の事よね? って今櫻、自分で認めたようなものだけれど」
鏑木紫月はあくまで表情を少しピリピリとさせている程度で剣幕は変えず、でも確実に怒りは感じさせる雰囲気を纏っていた。
「う、うん……」
春日野さんはうつむき加減でそれを認めた。
「おい、ちょっと待て」
「何よ」
「何で春日野さんが責められてるんだよ」
流石に納得がいかない為、抗議する。
「それはこっちの話よ……ふぅ、でもね、貴方にはこの前厳しく言ったはずよね? 私と櫻にはこれ以上関わろうとしないで、って」
「別に俺が春日野さんと休日に遊びに出かけようがお前には関係無いだろ?」
「はぁ……頭が悪いのね? 金輪際関わるなって言ってるのよ。日本語が通じないのかしら?」
その言葉が癪に障り、つい語調が荒くなる。
「何だと?」
「だってそうじゃない? 手紙の時から再三に渡って注意し続けてるのにいつまでも絡んできて。いい加減諦めたらどうなの?」
「それはお前が勝手に……」
「手紙?」
しまった。手紙の件を春日野さんは一切知らないんだ。
「何でもないよ」
「何でもないわ」
鏑木紫月と意図せずして波長が合う。
「真似しないでくれる?」
「あのなぁ……」
「はぁ、まあいいわ。今回のこれは前回の件と合わせて全部水に流してあげるわ」
「本当か?」
思いがけない譲歩に、思わず心の中のモヤモヤが晴れたような錯覚を感じた。しかし、それはあくまで錯覚でしか無かった。
「ええ。でも条件があるの」
「条件……」
嫌な空気がその場に流れ、思わず冷や汗を垂らす。
「もうこれで最後にしてもらいたいんだけど、もう一度言うわね。二度と私と櫻に近付かないで欲しいの。お願いじゃなくて命令」
「だからお前に何の権限があって春日野さんの行動まで縛るんだよ」
「そんなのどうだっていいでしょう? 理由があるの。確かに個人の事情で櫻の行動まで縛るのは良くないっていうのは自分でも思うけど、それでも私は櫻を手放すくらいなら縛る方を選ぶわ。……勿論、櫻が嫌でなければ、だけれど」
そう言って、鏑木紫月は春日野さんに視線を送った。春日野さんは、こちらにチラリと視線を飛ばしながらも、まあしょうがないよね、と言わんばかりに陰のある笑みを浮かべた。
俺から見れば、そんな鏑木紫月の横で、ただでさえ小さいその身体をさらに小さく縮こませて佇む春日野さんがとても可哀想に思えてならなかった。
しかし、友人にそんな態度を取らせなければならないようなのっぴきならない事情が、どうやら鏑木紫月にはあるようだった。
「……だからごめんなさい。色々言ったけれど、別に貴方の事が特別に嫌いとか、そういう訳ではないの。でも、私たちには軽い気持ちで関わって欲しくない」
「だから、何でだよ……」
「意味がわからない、そんな顔をしているわね。ええ、意味はわからないでしょうね。説明していないんですもの」
鏑木は、怒りを抑えて続ける。
「ただ申し訳ないけれど、その理由を貴方に教える事は出来ない」
鏑木がピシャリと言い切るのは、そんな理不尽な言葉。
「はあ? 何の説明も無しに、二度と近付くなって言われて、はいそうですかわかりましたってそれを飲めって言うのか?」
「ごめんなさい! でも今はそうするしかない。……そうしてもらうしか、ないの」
鏑木はビクッと防御姿勢を取りかける。すぐ平常に戻るが、違和を感じずにはいられなかった。
「……わかった。飲むよ、その条件。それでいいんだろ?」
「ええ、助かるわ」
「それが春日野さんも望んでる事なら」
俯いていた春日野さんは、ハッと顔を上げる。
「違うんです赤坂君! 私は……っ!」
「いいって、そんなに気を遣わなくても。やっぱり春日野さんは優しいね」
「違うん……です……」
春日野さんは再び俯きこんでしまう。
天真爛漫でどこまでも明るく、喩えるなら向日葵のような彼女の姿はここには無かった。
暗澹たる空気はどこまでも重く、その重さに、どうやら俺は耐えられないらしかった。
このまま彼女達の背中を見送る事になるのがどうしようもなく怖い。何故だかわからないけど、それが今生の別れになるような気がどうしても抑えられない。
「じゃあまた……ね、春日野さん」
本当に"また"になるのだろうか。少なくとも、もう暫くは彼女の顔を見ることは叶わないかもしれない。
振り切るように、その場を後にした。……立ち去らざるを、得なかった。
春日野さんのその表情を窺い知ることは、とうとう出来ずに。




