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桜の花とすみれ月  作者: 小波漣
3章:Violet Syndrome
20/25

6月11日

「遊園地に行きましょう。いや行きます」

「は?」


 春日野さんの口からそんな提案が飛び出したのは、例の件から2週間ほどが経過した頃だった。

 春日野さんや鏑木との距離は、以前と比べると比べるべくもない程に縮んでおり……いや、元々が遠すぎただけなのかもしれないが。あの日以前にも図書館デートのようなものをした事のある春日野さんはともかくとして、鏑木に関しては、もはや別人としか思えないような変わり様である。


「いや、行くわけないでしょう? どうして私がこんな男と」


……間違っても人間としての鏑木紫月(かぶらぎ しづく)の根幹が変わったとは思わないが。その態度の悪さ(俺限定)は相変わらずである。ただ以前であれば、罵倒をされてそれで話は終わっていたであろうし、まず会話に辿り着けない事すらあったと思う。それくらい俺の中では手強い相手であった。

 それが、普通に対話していても跳ね除けられない。そう、跳ね除けられないというだけで、まるで目の前のこいつの人格が変わってしまったかのような印象を受けているのである。


「……? 何? ジロジロ見られると気持悪くてこの辺り一帯を吐瀉物で(けが)してしまいそうになるのだけど」

「あの」

「何よ」

「いやぁ……丸くなったなぁと思って……」


 本音ではあるが、これが丸い、というのは客観的に見て絶対ありえないだろうと断言しよう。鏑木はそのつり目気味の透き通った紅眼をギロリとこちらに向けると、こう吐き捨てる。


「気持ち悪い……」

「酷くない? せっかく人が褒めてるのに」

「それで褒めてるつもりなの……? 人の褒め方ってものを勉強した方がいいかもしれないわよ」


「あーのー!」


 すっかり放置されていた春日野さんが間から声を上げた。


「あ、ごめん何だっけ」

「遊園地! です!」


 春日野さんは無い胸を張って続ける。


「実は母の知り合いの方からチケットを譲って頂いたんです!」


 春日野さんは鞄から遊園地のチケットを三枚、取り出して見せた。


「おー」

「それで、もし良かったら私と紫月ちゃんと赤坂君の三人で一緒にどうかな、と! 思いまして!」

「春日野さん、テンション高いね……。俺は勿論喜んで、だけど」

「私は嫌よ」


 だろうな、と思う間もなくの即答であった。


「さっきも言ったけれど、私はこいつと遊園地なんて御免だわ。行くなら二人で行ってきても結構……いや、それも櫻が心配だし……そうだ、こいつがお留守番で、私と櫻が二人で行くっていうのはどうかしら?」

「どうかしら、って言われても」


 春日野さんは眉尻を下げつつ、こちらに視線を投げかけてくる。


「俺は別に構わないよ、二人で行ってきたらどう?」

「もう! 紫月ちゃんのせいで赤坂君遠慮しちゃったじゃない!」

「し、知らないわよ……」


 つい最近知ったけどこいつ、本当に春日野さんに弱いんだよなあ……少し春日野さんに強く出られるとすぐタジタジになってるし。


「ダメだよ紫月ちゃん。貰い物のチケットで申し訳ないとは思うけど、この間のお礼も兼ねてるんだから赤坂君には絶対来てもらわないと」

「うう、でも……」

「あ、でも勿論紫月ちゃんがまだ男の人……ううん、他でもない赤坂君だから他の男の人とはちょっと違うとは思うけど、その……どうしても抵抗があるなら、私と赤坂君の二人で行くことにする……よ?」


 俺としては別にこの間の件を貸しにしているとはさらさら思っていないし、鏑木が駄目そうなら二人で楽しんできてくれても全く構わないのだが……いや、欲を言えば春日野さんと遊園地デートとかしてみたいけど。


「本当に俺の事は気にしなくていいから、二人で楽しんできなって」

「でも……」

「良いからさ、俺としては二人が気兼ねなく楽しんでくれる方が嬉しいし」


 いや本音を言えば春日野さんと二人っきりで遊園地デートとか滅茶苦茶したいけどね?そんな男の欲望はグッと抑え、あくまで紳士的に振舞おうと努める。ナイス、俺。今ので春日野さんの好感度もかなり上がったに違いない。心の中で渾身のドヤ顔をキメて見せる。見せると言っても心の中なので見えてはいないのだが。


「いや、行くわ。行けばいいんでしょう? その……赤坂、君も……来ればいいわ」


 女王様は何の気まぐれか、妥協の意を示してみせる。例によって頬が真っ赤に染まっているが、今回は見なかったことにしようと思ったのだった。



----



 当日の天気は良好。雲量も一割程度で、文句ない快晴。……だった。まあ、その、天気は良かったのだ。初夏の晴れ日。夏の入りという事で気温はそこそこに高く、かと言って暑すぎるわけでもない。過ごしやすいかどうかと聞かれれば、どちらかと言えば過ごしやすいと答えるような、そんな日だ。


「……」


 目的の遊園地のエントランス広場手前。

 俺はと言えば、春日野さんからの連絡に心から震えていた。……恐怖的な意味で。


『すみません……夏風邪を引いてしまったみたいで、私は行けなくなってしまいました。本当にごめんなさい!紫月ちゃんにチケットを渡してあるので、差し支えなければ紫月ちゃんをどうかよろしくお願いします……!』


……どうしろっていうんだ、これは。

 つまりアレだ。今日はあの鏑木紫月と、二人きりって事になる。

……鏑木と、デート?馬鹿言え。俺はともかく、あいつが俺が待っているだけの遊園地に現れるはずが


「待たせたかしら?」


 現れるはずが……


「……ねえ、反応くらいしたらどうなの」


……現れてしまった。


「お、おはよう鏑木。その、今日春日野さんの事は」


 もしかしたら知らないで来てしまったという事も考えられるので、一応、恐る恐る尋ねてみる。


「わ、分かってるわよ……朝イチで連絡が来たからさっきまで櫻の家にいたの」

「な、なるほど。じゃあ、今日は俺と二人きりになるしかないって分かってて来たって事か……」

「……そうよ、悪い?」

「いや、悪くはないけど……」


 そう言って空を見ていた視線は鏑木へと引き寄せられる。

 フリルのあしらわれた黒いレーストップのオフショルダーに、デニム生地のショートパンツ。小さな樹脂製の黒薔薇が一列に施されたカチューシャはいつも通りにその長く艶やかな黒髪を美しく飾っており、エレガントさを残しつつも涼しげな夏らしいその装いは、いかにも鏑木らしい私服と言えた。


「いや何かめちゃくちゃ似合ってるな……」


 思わず見蕩れてしまい、ついポロっと本音が漏れてしまう。


「べ、別に……普通よ……」


 わかりやすく顔を赤くした鏑木は、顔を俯け、それ以上服装について言及される事を拒んだ。そして沈黙に耐えかねたのか、痺れを切らしたように続ける。


「あーもう! 櫻に頼み込まれて仕方なく! 仕方なく来てあげたのよ! チケットを余らせてもせっかく譲って下さったおば様の知り合いの方に申し訳ないし! 何より、その……まだこの前の、ちゃんとしたお礼も出来てないし……」

「おおう……」


 よりにもよって"鏑木が"いきなりちょっとしおらしくなるの、心臓に悪いからやめて頂きたい。


「それじゃ、中入るか……?」

「え、ええ」


──そうしてその日の、ぎこちないデートのような何かが始まった。



----



 男と女が二人で歩いているとすぐ、やれカップルだ、やれリア充死ねだのと宣う輩が後を絶たないが、今日ほど彼らを憎ましく思った事は無いかもしれなかった。だってつい最近まで俺も彼らの仲間だったんだもの。


「おいあれ見ろよ」

「え? うわすっげぇ美人!」

「声かけるか?」

「いや止めとけよ、彼氏いんじゃん」

「彼氏? あの隣の男? あんな地味なの彼氏なわけねーだろ釣り合わねえよ! まあ、あいつが違うにしてもあんだけ美人なら彼氏の一人や二人いんだろうなー」


 何とも好き放題言われたものである。まあ実際俺なんて本当にただの地味な野郎だし、容姿だけ見れば超絶美人の鏑木と釣り合うかと言われればそりゃあ釣り合わない自信があるが。

 そもそも別に付き合ってないけどな!


「何か俺達、カップルに見られてるのかな」

「はぁ? 何であんたと付き合ってないといけないのよ」

「俺だってお前なんてお断りだよ」

「正面から言われるとそれはそれで腹が立つわね……まあ、でも今日は虫除けとして隣に置いてあげてもいいかもしれないけど」

「虫除け……」


 俺は蚊取り線香か何かか。そんな会話をしつつ自然と足が向いていたのはジェットコースターだった。


「こ、これに乗るの……?」

「あれ、鏑木って絶叫マシンとか苦手なタイプか?」

「こ、こここの私に男性以外の怖いものがあるわけななないじゃない! 乗ってやるわよ、着いてきなさい!」

「大丈夫かよ……」


 遊園地において、やはり絶叫マシンというものは根強い人気を誇っており、この遊園地でも多分に漏れず人気アトラクションのようだった。


「顔青ざめてるけど」

「は、はぁ!? そんなわけないじゃない、もっとよく見なさいよ……いやちょっと待ってやっぱり見ないで気持ち悪いから」

「それは俺のせいじゃない」


 並び始めて50分程が経って、ようやく乗り場が視界に入ってきた。もう少しで乗れるようだ。


「大丈夫怖くないちょっとスピードが速いだけ。うんそう速いだけ絶対安全下は見ないうん大丈夫怖くない」

「鏑木……?」


 隣の鏑木は何やら呪文のように同じ言葉を繰り返し唱えており、明らかに平常心は保てていないようだ。


「次だぞ」


 息を飲む音が聞こえる。いやただジェットコースターに乗るだけなのだが、そこまで覚悟の要ることなのだろうか。


「バーをしっかり倒して身体に密着させて下さーい!スタッフが確認しに行くまでそのままでお願いしまーす!」


「もうおしまいよ」

「覚悟を決めろ」


 レールに乗ったコースターが、チェーンリフトで山の頂上へと引き上げられていく。緊張の瞬間だ。


「位置エネルギーの高まりを感じる」

「お前は何を言ってるんだ」


 不意に、隣の鏑木が俺の手を握ってきた。


「え」


 それと同時に、頂上へと達したコースターは宙に投げ出されたように加速を始め──


──ホームに到着していた。

 いやしょうがないじゃん。急に手なんか握られたら放心しちゃうでしょ誰でも。


「ご、ごめんなさい……」


 顔を真っ青にした鏑木が俺の手を必死に掴んでいるのに気が付いたのは、バーが上がって立ち上がろうとした瞬間であった。


「もう二度と乗らないわ……」

「俺ももう二度と絶叫マシンには誘わない」

「いや、あんたと遊園地に来ることはもう二度とないわよ」

「いや言い切るなよ傷付くだろ」

「へえ、そんなんでも傷付くような心を持ち合わせているのね」

「泣いていい?」



----



 何だかんだで時は流れ、アブラゼミの大合唱がヒグラシのアリアに変わる頃合。太陽は大きく傾いており、恐らくもう一時間もしない内にヤツは地平線の向こうへ消えるだろう。


「何か普通に楽しんじゃったような気がするわ……よりにもよって相手がこいつなのに。ちょっと会ってチケット渡してすぐ帰るつもり満々で来たのに。遊園地って怖い場所ね」

「あんだけ無邪気に遊んでおいてそれはないだろ」


 やっぱり、こいつは相当丸くなったとつくづく思う。言葉の端々に棘はあるものの、ちゃんと抜いてやれば害はない程度のもの……だろう。

 今日のこれも別に男女の付き合いでは無いにしろ、普通に友達同士で遊んだと考えれば楽しくない事も……いや、普通に楽しかった。人の事言えない。


「最後にあれに乗りたいのだけど……」


 そう言って彼女が指さすのは観覧車だった。


「……観覧車?」


 尋ねると彼女はこくり、と頷いた。



----



「……」


 この観覧車は十五分で一周するらしい。十五分、この沈黙が続くのだろうか。そう思えるほどに、鏑木は観覧車に乗ってからピタリと口を閉ざしてしまった。

 五分ほど経過したので、そろそろ頂上だろうか。窓からは遊園地全体の光景が一望でき、夕焼けがその景色全体をオレンジ色に彩っていた。


「……あの」


 七分。観覧車に乗ってから七分ほど経過した所で鏑木はようやく口を開く。


「この間は、変な話を聞かせてごめんなさい」

「変な話って?」

「私の過去の話」

「あ、ああ……」


 両親の死。叔母の死。数年にも渡る叔父の虐待。施設暮らし。血の繋がらない父母。どれか一つ取っても子どもの手に余る境遇を一身に抱え込んだこの女の子は、今何を思うのだろう。


「私、あの話を人にするの、実は櫻を除くと初めてなの」

「そ、そうなんだ」

「まあだからどうってわけでもないんだけれど。これでせっかく仲良く……いやそうでもないけれど。初めてまともに会話できるようになった男の子が、これを機に私への態度を変えてしまうような事があるなら……それは嫌だな、って思ったの」


 鏑木はフフッと微かに笑って続ける。


「でも、今日一日でそれは杞憂なんだって分かったわ」

「鏑木……」


 俺達を乗せたゴンドラは頂点へと到達しようとしていた。


「私達──友達になれるかしら?」

「なれるよ。というか、確認するまでもなくもう友達かと思ってたよ」

「それは無いわね」

「酷くない?」

「ふふ、冗談よ」


 半周。ゴンドラは頂点へと達する。

 鏑木はスクっと立ち上がると、夕日をバックに振り返った。


「これからもキツい事ばっかり言ってしまうかもしれないけど……これからよろしくね、赤坂君」


 そう言って彼女は夕日に負けないくらい赤くした顔を、不器用に、にへらと歪ませた。

 俺はこの笑顔をこれ以上の悲しみから守ってやれるだろうか。そんな一抹の不安を抱えながらも。満面の笑みを以てそれに応えた。

 

 ぎこちない俺達の不器用なデートもどきは、こうして幕を閉じたのであった。

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