4月12日
「──っと、チャイムも鳴ったし終わりにするか。お前ら気を付けて帰れよー」
俺達が入学して早々にホームルームを私物化し、延々と自分の娘がいかに可愛いかを熱弁する担任教師後藤の話は、全国津々浦々、どこの学校でも聴ける普遍的なチャイムの音色によって遮られ、そのまま終幕した。
一応これでも四十代そこそこの教師なので、娘さんも俺らと同じくらいの年頃の、思春期真っ盛りな女子高生くらいの娘だと思うと、毎日毎日自分のプライベートな情報が見知らぬ他人に語られているというこの状況は少し可哀想に思えていたりする。
まあクラスの誰もが後藤の話などまともに聞いてはおらず、上の空で携帯の画面を注視していたり、周囲の人間との会話に花を咲かせていたりするのだが。
「あ、それと赤坂。明日のオリエンテーションで使う資料、職員室の俺の机の上に置いてあるから運んでおいてくれ」
「マジすか」
「マジだよ、頼むよ雑用係」
「あーい……」
放課後の開放感に気分を高揚させ、今まさに帰ろうと鞄を抱えた俺は、静かに自分の机の上にそれを置き直し、とぼとぼと廊下に出た。
自己紹介は遅れたが俺の名前は赤坂柚人。
入学初日の係決めで、特に何も考えず、楽そうだからという理由で雑用を任されてしまったのが仇になっている所だ。
「……今日は早く帰って観たいテレビがあったんだけどな」
独りで歩く廊下に空虚に響く俺の独り言は、後藤に届くはずもなく廊下の奥に吸い込まれていった。
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「これかぁ……」
目の前に積み重なったダンボール箱三個を前に、俺は悲嘆の声を漏らした。
「三つってなんだよ……何で雑用一人なの? 何で机の上に縦に並べて積んであるの?」
一つ一つの箱は、中に入っているのが冊子類だけであるために、多少ズシッとは来るもののそこまで運ぶのに苦労しそうなものとは思えない、が、三個となると話は別だ。
視界は悪くなるわ重いわでとても一度に運び切れる自信がない。しかし、この職員室と自分の教室の距離を考えると、二往復にしてしまっては帰宅時間に支障をきたすかもしれない。
少しの逡巡の後、一度に全部運んでしまおうと思った。
「よいしょ……これで全部かな」
最上段のダンボール箱に視界の下半分を遮られるという微妙な高さの荷物を抱え、教室に向かい歩き出した。
かなり不安定……というより視界が思ったより悪いこの状況で、階段を降りなければならないという事が俺を少し不安にさせていた。
……そして、廊下の角に差し掛かり、階段に向かって体を右に向けたその瞬間。
「きゃっ……!」
女の子の小さい悲鳴と共に、俺の体はバランスを崩した。
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「あ、あのぅ……」
蚊の鳴くような、消え入りそうな声が俺自身の体重を支えている両腕の間から聞こえてきたのは、ほんの数秒後の出来事であった。
「……うぅ」
恥ずかしそうに目を伏せ、顔を真っ赤にしたその女子生徒は、声にならない声をあげて体を強張らせていた。
……何故なら、転倒した拍子に俺が彼女を押し倒すような体勢になってしまっているためである。
「うわああああごめん!」
状況を理解し慌てて立ち上がると、女子生徒もゆっくり立ち上がり、制服や髪についた埃を払っていく。
「いえ、大丈夫ですよ。こちらこそごめんなさい、私がよく前を見てなかったせいで……」
彼女は少し恥ずかしそうに、にこやかにそう告げた。どうやら怒ってはいないようだった。
……それにしても小柄だ。身長は170cmの俺の胸くらいまでだから150cmあるかどうかくらいだろうか?髪は肩甲骨くらいまでのセミロングの黒髪を二つ結びで前に垂らす──いわゆるおさげで、ブレザーの制服は着崩すことなくボタンをしっかり留めている。
敬語口調と相まって、優等生のような雰囲気を纏った少女だった。
「……? どうかしましたか?」
気がつくと、下から顔を覗き込まれていた。不意打ちの上目遣いに思わずドキッとさせられた。
「い、いや大丈夫……あ」
ふと目に飛び込んできたのは、先ほどまで運んでいたダンボールの封が解かれ、盛大に中身がぶちまけられている光景だった。
「あああごめんなさい! 手伝います!」
彼女は俺の視線の先に気付いたようで、慌ててしゃがみこむと冊子を拾い集め始めた。
「ごめん、ありがとう」
俺もしゃがみ、彼女と拾う範囲が被らないように冊子を拾い始めた。
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「ほんとありがとう、助かったよ」
「いえ、本当に前をよく見ていなかった私も悪いので、手伝わせて頂いてありがとうございました!」
結局彼女は冊子を拾い集めるだけでなく、荷物を教室へと運ぶところまで買って出てくれた。
彼女がダンボールを1つ持ってくれたおかげで体勢が安定し、今度こそは無事に荷物を運び終わることが出来た。
「では私、職員室に用事があるので失礼しますね」
会釈をし、軽く微笑むと彼女は教室を出ていった。
……名前、聞きそびれちゃったな
夕暮れの教室の中で一人、彼女の事を思い返していた。