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桜の花とすみれ月  作者: 小波漣
2章:Rainy Pain
16/25

 死神だ。誰に言われるでもなく、私は自然とそう思った。


 死神。──私は、死神。

 いるだけで、存在しているだけで、自然と周囲の人間の命を奪ってしまう死神。人の命を奪っておいて、自分には関係がないといった表情(かお)で、のうのうと生き続ける……死神。

 昨晩窓際で見かけたような気のするそれは、漆黒の大翼を背に大鎌を携えていたように見えたアレは、きっと窓に映った自分自身であったのだと。私はこの時はっきりとそう感じたのであった。



----


 この日の病院はいつになく騒然としていた。もっとも、私は入院というものを今まで一度も経験した事がないので、"いつになく"という表現は、"お昼の病院には何となく穏やかな、ゆったりとした時間が流れていそう"という私自身の勝手なイメージから想起される思い込みによるものである。

……正確にはこの世に生を受けて間もなくは毎日を病院で過ごしていたはずなので、記憶こそ無くても全く知らない光景とは言い難いのだが。


 そして、その騒ぎの中心に叔母さんはいた。──いや、"叔母さん"という存在を肉体ではなく精神に求めるのであれば、それはもう叔母さんではなく叔母さんだったもの、という事になる。


「おい、嘘……だろ」


 叔父さんは額に汗を滲ませ、目を涙で潤ませ、声は出ないものを何とか絞り出したかのような掠れ方をしていた。


 窓から降り注ぐ朝日が洗いたてのような純白のシーツに反射し、部屋全体にある種の神々しさを演出している光景とは全く正反対の暗く澱んだ空気が、この場所は始まりの場所であるのと同時に、終わりの場所でもあるのだという純然たる事実を私たちに突きつけていた。


 病室のベッドに横たわる女性の顔には、白い布が被せられていた。震える手で叔父さんがその布をつまみ、持ち上げる。ああ、これが何かの手違いで別人であったらどんなに良かった事か。これが何かの間違いで、人違いで、ひょっこり後ろのドアから叔母さんが顔を出したらどんなに嬉しかったか。そう思わず他人の不幸を願わずにはいられない状況で、その淡い希望はあっさりと打ち破られる。そこに横たわっていたのは、やはりというか、紛れもなく叔母さん自身であったのだ。


「……ッ!」


 叔父さんは声にならない声を上げて嗚咽を漏らす。


「叔母さん……」


 どうして。私の脳裏にはそればかりが巡る。どうして。昨日まではあんなにも元気だったのに。私を遊園地に誘って、はしゃいで、遊んで。それで少し疲れて倒れてしまっただけなのだと、そう思っていた。医者も手術は成功したと、確かにそう言っていた。それなのに何故。目の前にはその女性の、遺体が横たわっているのだろう。

 現実を飲み込めなかった。いや、それより前の段階だ。咀嚼することすら叶わなかった。

 だって、叔母さんはつい24時間前には家で笑っていて、私に唐突な提案を投げかけてきていたのに。つい18時間前には、遊園地で楽しげに笑ってたんだ。それなのに、何故。


……叔父さんは知っていたんだろうか。叔母さんが命に関わるような病気を患っていた事を。隣の叔父さんをちらりと見やる。

 その顔はあまりにも見るに耐えない、酷いものだった。涙や鼻水で顔はぐちゃぐちゃに濡れていて、口元は醜く歪んでいた。


「何で……だよ。まだのはずだっただろ……どうして……」


 誰に向けたわけでもないのだろう、強いて言えば目の前の"叔母さん"に向けられたその独り言は、死に至るような何かしらの病を患っていたことは把握していたと如実に語っているようだった。


「叔父さん……知ってたの?」


 私はこれ以上叔父さんを刺激しないよう、なるべくトーンを落として訊く。

 叔父さんは光の無くなった目をぎょろりとこちらへ向けた。


「……ああ」


 目線を再び叔母さんの方へと戻し、叔父さんは続けた。


「八月の、中旬くらいからだったかな。彼女が体調不良を訴えだしたのは。最初はただの夏風邪よ、心配しないでなんて笑ってたんだけどね。そこまでは紫月ちゃんもわかるよね?」


「うん……」


 確かに、叔母さんは八月くらいから急に咳き込んだりして、酷くつらそうな顔をしていることが頻繁にあった。


「あまりにも長く続くもんだからね、病院に連れて行ったんだよ。半ば強制的にね? そしたら、何て言われたと思う? 末期の肺癌だからもう長くて三ヶ月しか生きられないってさ。手術してもほとんど助かる見込みがないってさ。酷い話だよね。発見がもう少し早ければ助かったかもしれないのにね。」


「……何が言いたいの?」


「彼女の病気が見つかる二ヶ月前にさ、ある女の子が家にやってきたんだ。その子はね、両親を事故で喪っていて酷くショックを受けていてね? 彼女はそんなその子の心を癒す事に執心してたんだ。それこそ、些細な自分の体調の変化になんか気付けないくらいにさ。」


 その瞬間、悪寒が背筋をビリっと撫でていった。


「君のせいだよ」


「君が、彼女を殺したんだ」


「死神」


「ご両親が死んだのだって、きっと君のせいなんだ」


「死神」


「君みたいな業を背負った人間はね、生きてるだけで周りの人間を不幸にするんだ」


「ああもちろん、だから君に家から出ていけなんて酷いことを言うつもりはないよ?」


「家にいてもらって、家から出ていくよりもっと酷い目に遭ってもらう」


「だからさ、逃げないでね。死んだ彼女も、君のご両親も浮かばれないだろう?」

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