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病魔というヤツはいつだって突然に訪れる。それは明確な前兆を伴う事が多いが、稀にアポイントメントすら取らずに突然──そう丁度、朝起きたら明らかに身体が怠くて、頭も痛い。熱を測ったら39℃。医者に診てもらったらインフルエンザだった、みたいな。前日までは何ともなかったのに、そんな風に突然やってくる。
頼んでもいないのにアポ無しで突然やってきて、身体の芯から隅まで。ありとあらゆる場所を侵し尽くして脅かす。そんな存在が確かに在った。
それはウィルスかもしれないし、あるいはそうでは無いかもしれない。身体に直接影響のあるものかもしれないし、心──精神にのみ、影響を及ぼすものかもしれない。が、ありとあらゆる病気として、確かに存在しているのである。
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時は少し流れ八月──世間はすっかり、夏休みの様相を呈していた。
「ゴホッ」
込み上げてくるものを堪え切れず、私は小さく1回咳き込む。
「叔母さん、大丈夫?」
大きく丸い瞳が心配気に眉尻を下げ、そう尋ねる。
「ん、大丈夫よ。ちょっと唾が変なとこ入っちゃっただけだから」
正確にはそうではないが、自分より二回りは小さなその少女に心配をかけまいとそう振る舞う。
……何だったのかしら今の。風邪?でも今夏だし。
夏風邪は拗らせると酷いって聞くし、気をつけよう。誰に言うでもなく、心の中でそう呟く。
「ほんと? 夏風邪は拗らせると大変って聞くし、無理しちゃ駄目なんだよ?」
「あら、よく知ってるわね紫月ちゃん」
「常識です!」
えっへん、と平らな胸を張る紫月ちゃん。
……この子は二ヵ月前に比べると、本当によく笑うようになった。
この子、酒井紫月ちゃんの両親を突然この世から消し去ってしまった忌むべき事故。彼女はその事故によってしばらくの間心を閉ざしてしまっていた。
今でも、時々部屋で啜り泣いているのを聞いてしまう。その度に、私の心は擦り切れる思いだ。
紫月ちゃんの両親のうち奥さんの方が私の夫の姉にあたる人物で、名前を緋菜さんと言った。
彼女は本当に良き母親を体現したような人で、みんなに好かれる人柄の良さがあった。
夫はそんな彼女を自慢の姉だといつも……ではないが自慢していたし、柚紀さん──紫月ちゃんのお父さんと、紫月ちゃんと、緋菜さん。この三人は誰の目から見ても幸せそうな家族そのものであった。
だからこそ、私は今紫月ちゃんがこうして再び笑えるようになった事が心の底から嬉しい。まだ子を設けた事が無い身であるのに、母性が宿ってしまったかのようだ。本当の母親のように嬉しく思う。
「ゴホッゴホッ!」
再三、少し大きめに、込み上げる咳が喉の奥から溢れ出す。
「叔母さん!? ……もう、無理しちゃ駄目だよ。今日はもうお布団に入ってなさい!」
自分よりもかなり小さな体躯が、まるで自分よりも一回りも二回りも大きいかのように見えた。お母さんか。
「じゃあ、お言葉に甘えて……もちろん、今日の夕飯は紫月ちゃんが作ってくれるんだよね?」
からかうような笑みを浮かべ、そう煽りを入れてみせる。
「うえ!? が、頑張る……私だって、やれば出来るんだから」
少し大人びた面があるな、とは思っていたが、こういうところではしっかり小学三年生然としているようだった。
女の子だし、小学三年生ともなれば少しくらい料理が出来るのかもしれないが、何となく不安が拭い去れない、煮えきらない返事に私は思わず苦笑を漏らす。
そして、私はイタズラな笑顔を湛えてこう言うのだ。
「美味しくなかったら罰ゲームね」
──病魔は、じわりじわりとその身体を蝕んでいた。もっとも、この時点では誰もその事実に気付きもしないのだが。




