3
──どこだろう、ここ。
目を覚ますと、そこは知らない空間だった。
知らない家具に、知らないカーペット。知らない布団。……だけどどこか懐かしい匂い。
「気が付いたかい」
「叔父さん」
心配そうな顔をした叔父さんが入り口にスッと姿を見せる。
「紫月ちゃん、お家で倒れてたんだよ」
ああ、そっか私──
「学校には連絡しておいたから、今日はここでゆっくりしてて良いからね」
────もう独りぼっちなんだ。
朧気ながら、今朝の記憶が蘇ってくる。確か朝ごはんを食べながらニュースを見てて、それで……泣き疲れていつの間にか眠ってしまってたんだ。
あんなに泣いて、泣いて、泣き果たして。もう一滴の涙も出ないってくらい、体中の水分と塩分が全部流れ出てしまったんじゃないか、ってくらい泣いたのに、泣いたはずなのに。それでも私の目には涙が滲んで溢れた。
それもそうだ。私はまだ高々、小学校3年生の小さな女の子。両親が死んだなんて、そんな事実を受け止め切れるほど、心も身体も成長してはいなかった。
「はは……」
思わず乾いた笑いが込み上げる。
どうして私なの?
この世に神様がいるとしたら、そいつはとんでもない畜生だ。ド畜生野郎だ。
だってそうでしょ?
こんな年端もいかない少女の、特に不良行為を働いていた訳でもないただの少女の、ただ平凡な幸せを日々噛みしめて生きていただけの少女の、そのたった一つの心の拠り所さえ、いとも容易く、あっさりと蹂躙してしまうんだから。
「お母さん、お父さん……置いてかないで。私を一人にしないでよぉ……!私も、連れてってよぉ……!」
もはやその口からは、悲痛な嘆き以外の言葉は発せられなかった。
溢れる涙を堪える事もなく。それはぽたぽたと静かに音を立てて布団へと吸い込まれていく。
「……待ってて。私もすぐ、そっちに行くからね」
何言ってるんだろう、私。
でもそうだよね。もう生きてたって辛いだけだよ。
もう死んで、楽になりたい。
おもむろに、部屋にたまたま置いてあったビニール紐に手をかける。ダンボールや古紙なんかを捨てる時に束ねる為のそれだ。
それを適当な長さにカットし、絶対解けないように堅く、固く結ぶ。
……おあつらえ向きに、部屋干し用の突っ張り棒が張ってあるじゃないか。それを使わせてもらおう。
それにしても、最後の晩餐──朝食だけど──がシリアルとヨーグルトかぁ。最期まで平凡な人生だったなぁ。
そんな下らない事を考えつつ、突っ張り棒にビニール紐を結びつける。
もう死ぬ事に際して現世に未練などないが、それでも「死」は怖いものだった。
いざ実行に移そうとして足がすくむ。
……いや、ここで迷っていたらいつまで経っても死ねやしない。行こう、お母さん、お父さんが待ってる。
心を決めて紐に体重をかける。
その瞬間、突っ張り棒は大きい音を立てて床へと叩き付けられた。──失敗だ。強度を見誤っていた。
「紫月ちゃん! 今の大きい音……は」
叔父さんは音を聞いて即座に駆けつけたが、部屋の状況を見てそれが何によって引き起こされた音なのか。そして、私が何をしようとしていたのかを瞬時に理解したようだった。
「……紫月ちゃん」
叔父さんの声が急に輪をかけて低くなる。
「君、今何しようとしたのか自分で解ってるかい?」
声色は穏やかだが、纏う雰囲気はさながら修羅であった。
「君が今死んだら僕はどう思うかって、一瞬でも考えたかい?」
私は、ゆっくりと首を横に振った。
「姉さん達が死んだ時、遺された僕らは何を思った? 色々と思うところはあるかもしれないけど、少なくとも一番思っている事は死んでほしくなかったって所だろ? 僕はね、姉さん達に対しても思ったし、多分それは君に対しても思う事になっただろうね」
叔父さんは怒りを抑え、私を刺激しないよう気を使ってくれているのか、出来る限り優しい声色を保っている。
「でも……! 私のお母さんとお父さんはもう死んじゃったの。だから独りぼっちの私が生きてる理由なんてもう……」
「僕がこれから君の父親代わりになるんだ。姉さん達の事は残念だったとしか言えないけど、これからは僕が君の家族になるから。だから独りぼっちだなんて言わないでくれよ」
叔父さんは、そう言ってにっこりと笑った。
それでも、すぐにそんな気持ちにはなれなくて、私は黙ってうつむく事しか出来なかった。
「紫月ちゃん、晩ごはん出来たわよ。食べられる?」
そうこうしている内に、叔父さんの陰から叔母さんが顔を出した。叔母さんは私とは直接の血の繋がりはない、叔父さんの奥さんに当たる人だ。
「あら、何この状況。あなた紫月ちゃんに何かしたんじゃないでしょうね?」
「何もしてないよ、ただちょっとお説教をね」
「あんまり厳しい事言っちゃだめよ? 紫月ちゃんだって大変なんだから」
「わかってるよ」
----
「最近学校で何かいい事あった?」
「好きな男の子とかいるの?」
叔母さんは、夕食の場でも元気のない私を元気づけようとしてくれているのであろう、多少無理して場を和ませようとしているように見えた。
「好きな男の子なんて、いない……」
「そうなのー! でも恋って良いものよ?私だって小6の時同じクラスの健太君とねぇ」
「夫の前で勘弁してくれよ……」
叔父さんはバツが悪そうにそう言う。
「あ、そうそう」
叔母さんは冷蔵庫から小さなホールケーキを取り出してきた。
「紫月ちゃん、昨日お誕生日だったでしょう? だからこれ、お祝いよ」
あ、そうだ。昨日、誕生日だったんだ……すっかり忘れてた。
「それと……これ」
叔父さんは、言いづらそうに黒焦げの物体を取り出した。
「事故現場──姉さん達の車から見つかったものみたいなんだけど、見覚えあるかな?」
「これ何──」
ハッと息を呑む。それは、焼け焦げた携帯ゲーム機だった。




