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部屋には、シャワーヘッドから飛び出す水滴が床や壁を叩く音が響いていた。
高校からそう遠くない場所にあるマンションの一室。表札には鏑木という名前がかかっていた。要するにここは、鏑木紫月が一人暮らしをしている部屋、という訳だ。
意外や意外。部屋は普段の鏑木からは想像もつかない程にファンシーなものであった。パステルカラーを基調としたシーツやクッション、ぬいぐるみ類にカーペット、カーテン。男の部屋には絶対に無いようなものばかりだ。
そういった事実から相手が鏑木紫月とはいえ、ここは女の子の部屋である、という事を嫌でも意識させられる。
……何故、俺はここにいるのだろうか。それは鏑木紫月に連れて来られたからであるが、そこが一番の謎だ。一体どういう風の吹き回しだろうか。あいつは俺の事が心底嫌いだったはずだろう?いや、嫌いというのは間違ってないのかもしれない。
話がある、と言っていた。話って?一人暮らしの部屋にわざわざ男を上げてまで、一体何の話があるというのか。そう考えると、変に緊張感が生まれる。
「赤坂君もお風呂、入ってきたらどうかしら。そんな濡れたままだと風邪引くわよ」
何も出来ずに身悶えていると、いつの間にか浴室から出てきていた彼女が、タオルでその長い髪を拭きつつ現れる。
……部屋着が、妙にエロい。いや官能的、と言い換えよう。風呂上りで上気した肌。もう夏になろうという季節の為に薄めの部屋着。そしてショートパンツから伸びるスラッとした白い脚。ほんのりと赤みがかった頬と、艶めかしく湿った美しく、そして長い黒髪。あと多分……着けてない。同年代の女の子の中でも、比較的膨らみが大きいその双丘の頂に突起が見える……ような気がする。全てが調和し、もう何というか……これ以上無いくらい官能的だった。目のやりどころに困る。
「女の子の一人暮らしの風呂なんて借りられるかよ」
「あら、こんな私でも一応女の子扱いしてくれるのね?」
「一応、な」
鏑木紫月は髪から手を離さず、そのままベッドに腰掛けて、ふぅ、とため息を漏らす。その姿さえエロティックに見えて、こんな奴が相手だとしても男としての本能が目覚めてしまいそうだった。
「じゃあ、タオル貸してあげるから、せめてそれで身体を拭きなさい。部屋がびしょびしょになっちゃうじゃない。服は……そうね、乾燥機で乾かしてあげるから、とりあえず脱いで毛布にでも包まっておきなさいよ」
「お、おう……」
「あ、待って」
「あ? ……痛っ!」
呼び止められ、振り返った俺の頬にピリッとした鋭い痛みが走る。見ると、そこにはアルコールティッシュがギュッと押し付けられていた。
「痛々しくて見てられないのよ。絆創膏もあるから貼るわね」
彼女は頬を少し赤らめ、たどたどしい手つきで俺の頬に絆創膏を貼り付けていく。
「あ、ありがとう……」
「べ、別に……あちこちに貴方の血痕つけられても気持ち悪いし。呪いみたいで。……ん、これでよし!」
誰だコイツは。鏑木紫月のそっくりさんか何かじゃないのか?脱衣所で服を脱ぎ、乾燥機にぶち込みながらそんな失礼な事を考える。手渡されたタオルで身体や髪を拭き、同じく手渡された毛布に包まった。あ、暖かい。
「で?」
「何よ」
「何よ、じゃねえよ。話があるって言ったろ」
「言ったわね」
「お前なぁ」
「ふふ、冗談よ」
鏑木はタオルドライを終え、ドライヤーに手をかける。
「そういえばお前、家柄が良いって噂聞いたことあるんだけど。何で一人暮らしなんてしてるんだ?」
「家柄と一人暮らしは関係ないでしょう? でも、まあそうね。それも話さないといけないことね」
付けて間もないドライヤーの電源を落とし、そしてこちらに向き直る。
「話は私が小学生の頃まで遡るわ」
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私、鏑木──いえ、酒井紫月の家はそれほど裕福な家庭では無かったわ。と言っても、それは今の家に比べたら、であって、一般的な家庭よりはちょっと貧乏、くらいのものだけれど。
給食費だってちゃんと払えてたし、学校の遠足の日に、お母さんに「紫月は今日病気で学校お休みなの」なんて言われることも無く、ごくごく普通の生活を送っていたわ。
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「しずくちゃーん! モンスター交換しよ!」
「あ、私ゲーム持ってなくて……」
「えー! みんな持ってるよ? 面白いからしずくちゃんも買ってもらおうよ!」
「うん……」
私の家は貧乏だ。ご飯は毎日美味しいものが食べられる訳じゃないし、勿論ゲームなんて買ってもらえない。贅沢と言えば、たまにお父さんが連れて行ってくれる旅行くらい。
でも、いいの。学校であったこういう話をお母さんにすると、怒られはしないけど、とっても哀しそうな顔をして「ごめんね」って、そう言うの。そんなお母さん見たくないから、私はわがままを言わない。贅沢を言わない。それでも普通の幸せを傍受出来ているんだから。
「お母さん! 今日の給食カレーでね、すっごく美味しかったの!」
「そうなの! 良かったわね、紫月?お母さんも給食のカレー食べたいなぁ」
「お母さんは小学生じゃないからだめー!」
家でする会話と言えばこういうものだ。どこの家庭でもしていそうな、普遍的な会話。全てが普通。ちょっと貧乏だけど、波風の立たない平凡な暮らし。それで良い。両親の事は大好きだったし、ゲームやらで遊んでいる周りの子たちがちょっと羨ましいと思ったことが無いわけじゃないけど、むしろこんな生活も悪くはないとすら思っていた。
「紫月ちゃん! ご両親が!」
──────ある日、昼休みの教室に、血相を変えた担任教師が飛び込んできたあの瞬間までは。




