3、運命の悪戯
襲いかかってくる魔物をひたすらに斬って斬って斬りまくる。さっき去って行った青年は、無事逃げ切れただろうか。
あの時と違って、ちゃんと魔物に対抗できることが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。ワインのような赤黒い血を撒き散らして死んでいく魔物に、不謹慎にも綺麗だとぼんやり思う。
鼻につく死体の匂いと、俺の皮膚を覆う赤黒い血。血が触れたところが少しヒリヒリとしたが、魔物の血はそういうものなのだろうと割り切る。
楽しかった。あの時あれだけ強くどうしようもならなかった魔物たちが、咲いてまた枯れて行く花のように一瞬で死んで行くのだ。その光景が滑稽で滑稽で、哄笑したくなる。だが、そんな溢れ出る己の狂気を抑えこんだ。
あくまでも俺は村人を護るために戦ってるんだ。確かにあの時の復讐でもあるが、それを第一にしたら、この剣を譲り渡してくれた父さんに申し訳がたたない。狂気に身を委ねてはいけないのだ。
理性を保て。そう肝に銘じて、俺は剣の柄を握りしめた。残りの魔物は三分の二。余裕だな、と笑った。
あれからどれだけの時間がたっただろうか。
俺は、魔物の死屍累々たるありさまの村の入り口で、一人佇んでいた。
己の手を見ると、ワイン色の絵の具がこびりついたように血に染まっている。
目を伏せ、考えた。
ーーどうしようもない。何故だろう……虚しい。
ただひたすらに剣を振るって、忌むべき魔物を皆殺しにすることを望んで、今まで血を吐き這いつくばって生きてきた。そして、先ほど、その目的を果たした。そう、魔物を皆殺しにした。
ただ、それだけ。
ーーああ、そうか。
虚しさを前にして、初めてあることに気づいた俺は、今までの人生で一番深いため息をついた。
俺は、俺は。
「……強くなりすぎたんだ」
こんな弱かった魔物を倒すために、あれだけの努力をしてきた。そして、俺に秘められていた才能と力が、期待以上に開花した。それは、同時に俺の欲求も、増幅させていった。
ーーこの力は、どこに活かせばいいのだろう。
ぼんやりと見上げた青空は、地上の惨憺たる有様とは真逆の爽快さだった。赤と青のコントラストが、俺にささやきかける。
世を、変えろ……と。
はたして俺にそんな力はあっただろうか。俺の思考のキャパシティが限界を迎えると、ただ静かに目を伏せた。自然の流れに、身を任せる。
「あの」
突然かかった声に振り返った。見れば、先ほど魔物に追われていた、黒いローブの青年が立っている。心底疲弊しきった顔で、辛うじてそこに立っている状態だ。
俺が無言で見つめていると、ローブの青年は弱々しく頭を下げた。
「先ほどは、助かりました。命を救っていただいたご恩、私は一生忘れません」
残り少ない力を振り絞るように謝礼を述べた青年は、いつまでたっても頭をあげようとしない。
「頭をあげてくれ。俺は大したことをした覚えはない。困っている一般人を助けるのが、俺の役目だからな」
魔物の血を振り払って剣を鞘に収め、苦笑しつつそう言えば、ゆっくりと頭をあげた。フードから見て取れるわずかな顔は、何故だか、思いつめたような表情をしている。
「……どうした」
もの言いたげな顔でこちらを見つめる青年。何だか照れ臭くなって、服の袖で顔の血を拭った。
「ーー私の……いや、オレの命を救ってくれたあんたに、言っておきたいんだが……」
意を決した様子で、口調を変え素を出した。その重い雰囲気に、自然と身構える。
「オレは……」
そこまで言うと、青年は糸が切れたかのようにその場に倒れこんだ。急いで駆け寄り、倒れないよう支える。苦しそうに眉根を寄せて、息遣いも荒い。
疲れが一気に出たんだな、と分析した俺は、青年を担いだ。
隣街から魔物に追われて逃げてきたという推測が正しければ、彼はかなりの強さの戦士だ。体格はさほどよく無いが、俺のようなやつもいるし、常識に囚われていてはいけないのだろう。
それに、体には幾つもの短剣の鞘が確認できる。ローブの外側からでも大量にあるとわかるそれは、全てに刃が収まっている気配がなかった。おそらく、魔物に襲われた際にこれを用いて戦ったのだろう。
つまり、これだけの短剣を戦闘に使用したのだ。短剣を投げるだけじゃ魔物はあまり足止めもできないし、そもそも一般人はこんな短剣を持たない。短剣全てを使い、この村まで逃げ切るほどの体力があるなんて、俺ですら驚きだ。
もちろん逃げる際に全て捨てた可能性もあるが、逃げてきた際の短剣さばきからはとても考えられない。あれほどの力量があれば、逃げるより戦う方が生存率は高まるだろう。
たどり着いた我が家のドアを開け、中に入る。村人は魔物が死んだことに気づいてないのか、戻ってくる様子はなかった。
自分のベッドに青年を横たわらせる。一瞬、フードを取ろうかと考えたがやめた。誰にでも隠したい事情はある。この青年の場合、それが顔だとしたら申し訳ない。
何故か顔を隠したがるように深くフードを被っているのだ。そのままにしておこう。
台所で水を飲んでから、父親から譲り受けた剣の手入れを始めた。鞘から抜くと、血を振り払ったはずなのに、大量にこびりついていた。まるで錆だ。顔をしかめると、落ちるかどうか確かめるために血に触れようとする。
「やめたほうがいい。魔物の血は猛毒だ。……何て言っても、あんだけの魔物の血を浴びて呼吸一つ乱さないあんたに言っても無駄だとは思うがな」
いつ起きたのか、青年は苦しそうに体を起こしつつそう言った。頭も痛むのか、フードの上から抑えている。
気になる言葉もあったが、ひとまずは軽い挨拶から始めることにした。
「気分はどうだ」
尋ねると、青年は自嘲気味に笑う。
「最悪だ。故郷は更地になるし、さっきまで魔物と命をかけた鬼ごっこをしてたし」
「そりゃそうだな」と相槌を打てば、青年は「でも」と付け足す。
「あんたに助けられた。それだけは幸と見てるぜ」
だから、俺は大したことはしていない。そう言い返そうと思ったが、純粋な感謝を否定するのも何だな、と口を噤む。
「それはよかった。……それより、魔物の血が猛毒って本当なのか?」
気になっていたことを聞いてみる。青年は考え込むようなそぶりを見せた。
「ああ、本当だ。アレだけ魔物に対して恨みを持ってそうなあんたなのに、知らなかったのか」
「魔物は一度間近で見ている。それに学ぶ機会なんてなかったしな」
ひたすら、強くなるために生きてきた。今思えば、この体質を運よく持ってなければ、先ほど俺は死んでいたのだと身震いした。無知は危険だな。
「だが問題はそこじゃない」
青年はゆるくかぶりをふる。
「どういうことだ」
「魔法やまじない無しに魔物の血を浴びても無事なやつなんて……聞いたことがない。魔物同士ですら、少し体調を悪くするくらいだ」
俺はさして驚かなかった。昔から他人とは違うのだと痛感してきたのだから、ある程度の異常には鈍い。
「何か心当たりはないか……と聞こうと思ったが、どうやらその必要はないようだな」
青年は、俺の頭と瞳に視線を浴びせた。やはりな、と思う。ここまでくると、面白おかしいくらいだ。
「その黒い髪に黒い瞳。見たことがない。あんた、どこの国の血をひいてんだ」
俺は無意識に頭に手を添える。やはり、この髪と目の色に関係があった。
「あいにく母親も父親も、生粋のこの国の人間だ」
その言葉に青年は眉をひそめる。そして、小さく呟いた。
「呪いか」
「母親譲りのな」
やはり呪いはあまりよく思われていないらしい。この髪と目の色でいじめられたことはないが、周囲の人に疎遠にされがちなのは事実である。みんな、薄々これが縁起のよろしくないものだと感じ取っているのだろう。
「黒魔術師だったのか?」
「まさか。逆だ、逆。黒魔術の研究者」
ああ、とうなずいた青年。「母親も、あんたも、大変なんだな」と同情までされる。
「そんなことは思ったことないけどな。筋肉がつかなくても力はつくし、さっきみたいに魔物の血を浴びても平気だ。至れり尽くせり、って感じだと思うが」
自信満々にそう告げれば、青年は呆れたように笑う。
「呪い様様ってか」
その後も他愛ない話を少しだけして、話を全て終えると、静寂が訪れた。
青年は、会話でかなり思いつめたような表情を垣間見せた。そして、この静寂をきっかけにしたのか、腹を決めたように澄んだ空のような表情になる。
「なあ、あんた」
「何だ」
「一つ、言っていいか」
「ああ」
目を伏せ、深呼吸を一つすると、こう言った。
「実は、オレは……オレは、この国の王子」
色々な感情の濁流に巻き込まれ、無意識に剣の柄を握り、僅かに刀身を抜いていた。青年の次のセリフがなければ、俺は彼を断首していただろう。
「ーーの、影武者」
一瞬で高鳴った心臓をおさえつける。全身を支配した憎悪の感情は、一瞬にして収まった。
「影武者、か」
平静を装い、復唱する。こいつは、王族じゃない。王族では、ない。自分に言い聞かせた。
「ああ。それで……恥を忍んで、あんたに頼みたいことがある」
彼の目は、底がうかがえない海のように澄んでいた。
「王子を、救って欲しい」
おかえり、憎悪。