戦い、終わり
あれからモモは何度も呼び出され、その度に傷を負って帰ってきた。
時には全身血塗れで、朦朧としながら帰ってくることさえあった。
あの女にもらった薬のお陰か、それともアヤカシの強靭な生命力故か、しばらくすれば傷は完全に癒えてしまう。
それでも俺は、モモが傷つくのを見ていられなかった。
「モモ、やめることはできないのか」
その問いに、モモは悲しげな笑みで応える。
「ごめんなさい、これは私がやらないといけない事なんです」
そのやさしい拒絶に心が軋む。
しばしの沈黙の後、モモはまた呼び出しを受けて出て行く。
考える暇もなく、その余裕もなく俺はモモの後を追っていた。
いくつかの通りを抜け、角を曲がり、見知らぬ建物が立ち並ぶ場所まで来たとき、モモとそれは対峙していた。
それは、怒りと憎悪の形相でモモを睨みつけている。
その姿は獣と人が悪意をもって混ざり合わされたような異形。
「ッ!」
異形の獣人が、音鳴らぬ咆哮をあげる。
一瞬でモモとの間合いを詰めて、その鉤爪を振るう。
モモは身を翻して爪を避けるが、それは道路をまるでバターのように切り裂く。
反撃にでたモモの拳は獣人の顔面を的確に射抜く。
「ぐァッ」
しかし、悲鳴を上げたのはモモ。
獣人はモモの拳を受けた上で、その拳に牙をつきたてたのだ。
獣人の牙は明らかにモモの骨まで達している。
下手をしたら、骨も無事では済まないのが容易に想像できてしまう。
だがモモの戦意は衰えていない。
噛まれたままの右手を振りほどくことはせず、そのまま相手の喉奥えと突き立てる。
口を塞がれた獣人は、モモの手を離さざるを得ない。
「なかなかいい戦いをしているだろう」
いつの間にかそこに沸いていた黒い女が、俺の耳に囁く。
「やめさせられないのか?」
もうこいつの登場にいちいち驚くことはない。
「子犬は己の意思で戦ってるんだよ、人間さん。ああ、その疑いを隠さない目線はいいねぇ」
軽薄な笑みを貼り付けた黒い女は、獣人を懐から出した扇で指す。
「あれは何か判るかい? 人間さんは知っているはずだよ」
首を横に振る。
モモと出会ってから、いろいろとアヤカシに遭遇することはあったが、あんな凶悪な化け物は見たことがない。
「ふふん、あれも可愛そうに。あんな姿になってまで人間さんを追っているというのに」
「追っている……、俺を?!」
驚きに黒い女はさらに追撃をかける。
「子犬はね、あれから人間さんを守ろうとしているんだよ」
「なんで俺が、あんなのに狙われないといけないんだ!」
疑問と怒りが理性を消し飛ばし、気がつけば大声を出していた。
「それは、あんたが『モモの主人』だからだよ」
黒い女は、平然と応じる。
扇はモモを指し示す。
「あの子犬は人間さんに名を与えられたことで『モモ』に為った」
獣人へと扇が向かう。
「あれはかつて『モモ』だった。そして、子犬に名を奪われたことで『モモ』では無くなった」
モモ、だった……?
心と記憶の歯車が、音を立ててかみ合う。
そして、何故か唐突に理解した。
あの獣人は、本当に『モモ』だったのだと。
「でも、なんで……。モモが居るのに、『モモ』に為るんだよ」
「ふふ、理解できないから『あやかし』という。まあ、納得できるかはしらないが、説明はしてあげよう」
黒い女は続ける。
「アレは人間さんに憑いていたモモの霊魂だ。それだけなら特に悪さもしていなかったようだが、人間さんが子犬を拾って、『モモ』の名を与えたことでモモの魂を子犬が引き継いだんだ。」
「しかし、子犬はモモではないし、生まれ変わりでもない。あくまで成り上がりだ。だから、アレが残った」
獣人に向けられた黒い女の目からは、何の感情も見出せない。
「たまらないだろうね、それこそわが身を引き裂かれた上に、名前まで奪われたんだから」
胃の奥に、黒いなにかが沈殿していく。
「だから、アレは俺を狙っていたのか……? 復讐するために」
「さてね、そんな感情が残っているかも疑問だよ。子犬としては、万が一の危険も犯したくなかっただろうがね」
そこで俺と黒い女の会話は途切れた。
獣人が勝利の雄たけびを上げたからだ。
全身を血に染め、地面に倒れこむモモ。
獣人はそんなモモに、最後の一撃を加えようとその恐ろしい爪を振り上げていた。
「ッ!」
何かを叫んだのかもしれない。
気がつけば、俺は『モモ』に向かって駆け出していた。
倒れている『モモ』と目が合う。
その瞳に浮かぶのは、驚愕と恐怖。
己の命よりも、俺の身を案じている事が痛いほど理解できてしまう。
「」
『モモ』の口が、何かを言おうと動くが、それは言葉にならなかった。
獣人の『モモ』は、その時初めて俺を認識したようだ。
その瞳に様々な感情が溢れ、血の涙が滴る。
『』
『モモ』が言葉にならない叫びをあげる。
「やめてくれ、モモ!」
嗚呼、と『モモ』の喉がなる。
「ワたし、っは……モモ?。だ、けど、もうモモじゃナい」
「ダか、ら。コイツを、消シ、て、モモに、も、どる!」
それは、壮絶な叫びであり、祈り、願いだった。
俺は覚悟を決めて告げる。
「ああ、そいうだ。……お前は、もうモモじゃない。モモはここにいる」
「」
音に鳴らない絶叫が響き渡る。
怒りと悲しみに憎悪と嫉妬。
あらゆる不の感情を混ぜ込んだ、黒い咆哮。
魂が削られるような思いがした。
だからこそ、それを一身に受け、言葉を続ける。
「お前はもうモモじゃない。だから俺はお前に新しい名を付ける」
「お前の新しい名前は『ハク』! モモの呪縛を解いて、新しいお前に生まれ変わるんだ!」
それは、とっさに思いついた賭けだった。
モモがその名を付けられ、『モモ』になったのなら、獣人に新しい名を付けることで、変われるのではないかと。




