二人の大事な宝物。
小夜子の肉体は死に、火葬場から白い煙が上がった。それを泣きもせずにじっと見つめる私を見て、礼服を身に纏った薫が声を掛けてくる。小夜子がこの世に生み出した、私と彼女の第一の愛の結晶が彼だ。
「父さんは強い人だね。母さんが死んでから、一度も泣いた所を見てないよ」
私の肩をポンと叩き、白い煙に目をやりながら、薫は堪えきれなくなったのかすすり泣きをした。
「小夜子が死ぬまでに、何度も泣いたからね。涙が枯れてしまったのかな」
微笑むと、薫も泣きながら笑ってみせた。
「俺はね、父さん。父さんと母さんの背中を見て育ったから、父さん達のような、信頼しあった関係に憧れてたんだ。結婚して、子供も授かったけど、まだまだ父さん達には近づけてないね。まだ、父さんの心情には達せないよ。俺が父さんなら、きっと、泣いて、叫んで母さんの死を受け入れられないと思う」
小さな頃と変わらない顔をした彼は、やはり私にとって幾つになっても子供で、可愛くて、クシャリと頭を撫でた。私と小夜子のようになりたいという、初めて聞いた彼の思いに胸が熱くなるのを感じた。
「小夜子さんのような人間にはなっても、私のようになってはいけないよ。妻子を長い間苦しめた父親になんて、なるもんじゃない」
私は、良い夫でも、良い父親でもなかった。それはちゃんと自覚している。優しく、諭すように薫に言うと、彼は首を横に振った。
「そんな事ないよ。俺は父さんの子で幸せだった。それに…」
内緒話をするように、私の耳元で薫が話す。
「母さんはいつも、口癖みたいに、『お父さんのようになりなさい』って言ってたんだ。『私は世界一の幸せ者だ』って。父さんは、知ってた?」
薫の思いがけない言葉に、私は何も言えず、目をそっと瞑った。彼女からもう一度、最後の言葉を聞いたような気がした。
小夜子は私に寂しさを感じさせてくれずに、幸福ばかりを私の中に残していく。少しは感じたい彼女を失った悲しみさえも、小夜子は薫越しに取り払ってしまうのだ。
嬉しさに、涙が溢れようとしていた。だけど私は泣かなかった。否、泣かなかったと言えば語弊になるかもしれない。涙が出なかった、という方が正しいのかもしれない。こみ上げてくるものはあったけれど、涙という形にはならなかったのだ。結果として、私は薫に涙を見せる事はなかった。
「お義父さん、薫さん…」
薫の妻が、傍に寄ってくる。小夜子さんに雰囲気の似た彼女を初めて見た時、私は薫に向かって笑って見せた。息子というものは、自分の愛する人に母の雰囲気を求めるものなのだな、と実感したのだ。
私の笑みを見て、照れたように視線を外した彼の姿を忘れられない。その後すぐに視線を私に戻し、母さんには内緒だよ、そう口パクで言った言葉も。
白く空に上がる煙が途切れる。
小夜子の水分だらけの肉体はもう、この世に存在しない。途切れた煙が、私にそう教えてくれた。
頑丈な重い扉が開かれて、骨になった小夜子の姿が現れる。それを見て、ワッと泣いたのは第二の愛の結晶・咲月だった。昔の小夜子にソックリな面差しをした彼女も、今年で三十八になった。それでも彼女の昔からの性格が変わる事はなく、優しい微笑みの似合う控えめな女性に育っていた。
「お母さん…!」
嗚咽を洩らしながら泣く咲月を、彼女の夫が支える。彼女の夫も家族を大切にする誠実な男性で、私は安心して彼女を渡す事が出来た。
なんて幸せな事だろう。私達の息子も、娘も良い人に恵まれ幸せになった。これ以上の幸せがどこにあろうか?小夜子と私は愛し合い、そして、私達の間に生まれてきてくれた子供達もしっかりと、自分達の運命の相手と愛し合っている。これ以上の幸せなど、ない。
「お父さん、お母さんが…お母さんがっ!」
咲月は悲しげに顔を歪め、涙を流す目を私に向けた。私は薫にしてみせたように微笑んだ。
「小夜子は幸せだったよ。君達がいたから。君達のお陰で、幸せに逝く事が出来た。だから、そんなに泣かないで、笑ってあげて下さい。小夜子は、咲月の笑顔が大好きだった」
私が言うと、咲月は私に向かって泣き笑いした。小夜子が私に見せた、あの泣き笑いにとてもよく似ていた。小夜子は薫や、咲月、孫達の中で生きている。そう感じた瞬間だった。
骨を一本一本骨壷に入れる作業が、一番大変だった。
大きな病気をした為か、彼女の骨は脆くなり、優しく掴んでもパラパラと崩れていく。
物悲しいように感じるその作業に、私以外の皆が涙を流していた。一欠片も残さぬように骨壷に彼女を入れ、私は胸に抱いた。
焼かれた熱が残る骨が入った箱は、抱き締めると暖かく、最後に抱いた彼女の体温に似ていた。
第二章end.




