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身に憶えのない忘れ物

作者: 鳥藍
掲載日:2026/03/18


 空を飛んでいるはずだった。翼を広げて、地平線の果てまで続く大空で舞っているはずだった。

 僕だけの大空で、誰かの声がする。その声はだんだん大きくなり、徐々に意味を纏っていく。


「――」

 

 意味は分かるはずなのに、文字に起こすことはできない。でも確かに、声がする。この声が何なのか、確かめようと手を伸ばすと、景色が反転して、天井へと変わる。ここで初めて、目が覚めたのだとわかる。わかってしまう。


 目が覚める、その何とも言えない感覚は、何よりも身近にあって、そして何よりも残酷だ。せっかく自由になれたのに、ようやくうまくいったと思ったのに。現実を再認識して、こちらのほうが本物らしいと気づいてしまって、信じていたものがすべて、泡と化して消えていく。どれだけ大切でも、夢の中の出来事は現実ではない。ただそれだけで、世界に残ることはない。


 いつからか、目覚めを恐ろしいと感じるようになった。誰にも言えないこの気持ち。眠るのは怖くない。だけど、起きるのが怖い。だから夜更かしするし、許されるのならば朝寝坊もする。決して、寝てないマウントがとりたいだとか、中二病的な心が疼いて寝不足をかっこいいと思っているとかではない。ただ、目覚めるのが怖いなんて、言っても誰も信じてくれないだろうし、どうせ笑われるだけだ。そう思ってしまうから、余計に耐えられない。

 

 ああ、今日もまた、目覚めてしまった。そう大げさに嘆きながら、恐怖を紛らわせるためにあたりを見渡す。違和感。


「……ここは?」


 違和感は、すぐに異常へと変わった。知らない天井、いつもと違う枕の感触、ぼやけた視界の中で存在を主張するカーテンレール。見慣れた家ではない、もしかして、旅行中だっただろうか。そう思って記憶を手繰り寄せると、今度は眠りについた憶えがない。そうだ、つい先ほどまで、僕は家でごろごろしていたはずだ。ぼんやりと、休日を楽しんでいたはずだ。


「その、後は?」

 

 思い出せない。なにも思い出せない。汗が流れ落ちる。寝転がったまま、萎縮した体は動かない。

 僕が震えていると、カーテンが音を立てて、知らない人が傍にやってきた。そこで初めて、ここが何処かに気づいた。信じられなかったが……信じるしかなかった。


「おはようございます、〇〇さん。ここがどこだかわかりますか?」

「え、ええっと……病院……?」


 暗い色の服を着て、口元をマスクで隠したその人は、頷いた後、何があったのかを説明してくれた。僕が発作を起こして、救急車で運ばれたこと。そのまま入院することになったこと。話を聞いて僕は、ただ、救われたと感じた。


 発作を起こした後。僕の異常に気付いた親が救急車を呼んでくれたのだろう。救急隊の人たちが来て、必死で僕を運んでくれたのだろう。その後は、救急車が僕を運んで、病院のお医者さんたちが僕をどうにかしてくれたのだろう。看護師さんの話によると、その時の僕は、全く反応しなかったわけではないらしい。普段とは違うとはいえ、確かに反応を示したらしい。声をかければ返事をして、外に運び出せば寒さで体を震わしたらしい。

 ……そのすべてを、僕は覚えていないのだ。確かにあったはずの現実なのに、記憶に残る夢よりも、僕の中には残っていない。現実だから、世界には残り続ける。しかし、僕の中には残らない。現実だって、夢と一緒で、消えてしまうのだ。


「そう、ですか……」


 僕の悩みは、どうやらとても小さなものだったらしい。疑いようもなく、そう思った。自然と笑みがこぼれる。発作だ、入院だと言われて喜んでいるように見えたのか、看護師さんが若干引いているように見えるが、そんなもの、今の僕にとっては些細なことだ。だって、こんなにも恐ろしい事に出会ってしまったのだから。夢が消えていくことすら恐ろしいのに、現実まで消えてしまうのだったら。もう、どうしようもない。


 どうせこれも消えてしまうのだと、諦めたのは昔の話。そんな考えで前向きになれるはずもなく、僕は今、無気力な人間として日々を怠惰に過ごしている。しかし、無気力に過ごしている日々でさえ、いつかは消えてなくなってしまう。だから、今だけは大切にしているふりをして、今日もまた、惰眠をむさぼる。目が覚めるのはもう怖くない。生きているだけで恐ろしいのだから。

 

 

 読んでくださり、ありがとうございます。


 この物語が、あなたの現実に少しでも残りますように。


 よければ、ブックマークなどで応援していただけると嬉しいです。

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