第44話 空回る野望
帝都の朝は、いつも通り華やかだった。
石畳の大通りには貴族の馬車が走り、商人たちが店を開き始める。香ばしいパンの香りが漂い、果物商人の呼び声が響く。
帝国の中心都市。
あらゆる富と人が集まる場所。
その貴族街の奥に、スー公爵家の屋敷がある。
白い石造りの壮麗な屋敷。
広い庭園。
噴水。
帝都でも屈指の名門貴族の邸宅だ。
だがその屋敷の一室から、苛立った声が響いていた。
「また赤字なの!?」
机を叩いたのは、まだ幼い少女だった。
年齢は**十歳**。
しかしその瞳には、子供らしさよりも強い怒りが宿っている。
金色の髪。
青い瞳。
整った顔立ち。
公爵令嬢らしい気品を備えた少女。
その名は――
**メアリー・スー。**
机の上には帳簿が広がっていた。
そこに書かれているのは、今回作った新しい商会の収支だ。
結果は――
**大赤字。**
メアリーは歯を食いしばった。
「あり得ない……」
今回の商会は、紅茶専門店だった。
帝都の貴族街に店を構え、高級な茶葉を扱う店。
前世の記憶では、紅茶文化はこの時代に広がるはずだった。
つまり。
**絶対に成功する商売。**
そのはずだった。
しかし結果は違う。
客はほとんど来ない。
売上は伸びない。
そして資金が尽きた。
また破産である。
メアリーは帳簿を睨みつける。
これで何回目だろうか。
菓子店。
服屋。
宝石店。
香水店。
そして今回の紅茶店。
すべて潰れた。
メアリーは唇を噛んだ。
(おかしい……)
自分は未来を知っている。
この世界が乙女ゲームの世界だということ。
そしてそのシナリオ。
それを知るのは――
自分だけのはずだった。
だから成功すると思っていた。
だが現実は違う。
その理由を、メアリーはまだ理解していなかった。
その時だった。
扉がノックされた。
「お嬢様」
執事が入ってくる。
「帝都商人ギルドから報告が届きました」
メアリーは眉をひそめた。
「何?」
「北方商会についてです」
その名前を聞いた瞬間、メアリーの表情が変わった。
「……また?」
「はい」
執事は手紙を開いた。
「北方商会の交易路が拡大したそうです」
メアリーは黙ったまま聞く。
「北方領から帝都までの定期馬車が週三回になりました」
「……」
「さらに南方都市との交易も始まったとのことです」
メアリーの拳が震える。
「北方領の人口は?」
「千人に近づいているそうです」
その瞬間。
メアリーは机を叩いた。
「ふざけないで!!」
椅子が倒れ、帳簿が床に散らばる。
執事は黙って頭を下げていた。
メアリーの胸の中で、怒りが膨らんでいく。
(どうして)
レスティーナ。
自分と同じ十歳。
なのに。
町を作り。
人口を増やし。
商会を成功させている。
帝都の商人たちも注目している。
噂は日に日に広がっていた。
北方の奇跡。
少女領主。
新しい都市。
その話題ばかりだ。
メアリーは歯を食いしばった。
「許さない……」
この世界は乙女ゲーム。
主役はヒロイン。
悪役令嬢は自分。
そして未来を知る自分こそ特別。
そう信じている。
なのに。
レスティーナという存在が、その前提を崩している。
メアリーは窓の外を見た。
帝都の空が広がっている。
その向こう。
遠い北方に、レスティーナの町がある。
メアリーは静かに言った。
「次の商会を作る」
執事が顔を上げる。
「どのような店を?」
メアリーは考えた。
前世の記憶。
未来の知識。
まだ使っていないもの。
必ず成功する商売。
そして思いついた。
「輸入商会よ」
メアリーは言った。
「珍しい商品を集める」
「帝都の貴族は珍しい物が好きだもの」
執事は静かに頷いた。
「承知しました」
だが。
メアリーはまだ気づいていない。
自分の商売がなぜ失敗するのか。
それは知識の問題ではない。
市場の理解。
物流。
人材。
信用。
商売に必要なものを、彼女はまだ何一つ持っていない。
そして北方では今。
レスティーナの町がさらに成長していた。
人口は増え。
市場は広がり。
商人が集まり始めている。
帝国の歴史を変える都市が、静かに形を作り始めていた。
しかし帝都の屋敷で、メアリー・スーはまだ理解していない。
自分の野望が、空回りしていることを。
十歳の少女は、今日も次の商会の夢を見ていた。




