第42話 メアリーの焦燥
帝都の朝は華やかだ。
白い石畳の中央大通りには貴族の馬車が行き交い、商人たちが店を開く準備をしている。香ばしいパンの匂いと香辛料の香りが風に混ざり、帝国の中心都市らしい賑わいを見せていた。
しかし、その賑わいとは裏腹に――
ある屋敷では苛立った声が響いていた。
「どうしてよ!!」
机が叩かれ、帳簿が床に落ちる。
叫んだのは、まだ幼い少女だった。
年齢は**十歳**。
しかしその瞳には子供らしからぬ怒りが宿っている。
金色の長い髪。
青い瞳。
整った顔立ち。
帝都でも名高い美貌を持つ公爵令嬢。
その名は――
**メアリー・スー。**
スー公爵家の一人娘であり、帝国屈指の名門貴族の令嬢である。
しかし今、彼女の机の上には帳簿が広がっていた。
そしてそこには、はっきりと書かれている。
**赤字。**
メアリーの新しい商会は――
**また破産した。**
メイドが恐る恐る言う。
「お、お嬢様……」
「うるさい!」
メアリーは机を叩いた。
「どうして売れないのよ!」
今回の商会は香水店だった。
帝都の貴族街に小さな店を出した。
高級な瓶。
香りの良い香水。
宣伝もした。
しかし結果は――
惨敗。
客はほとんど来なかった。
メアリーは歯を食いしばる。
(おかしい……)
自分は未来を知っている。
この世界は乙女ゲームの世界。
その未来を知るのは――
**自分だけのはずだった。**
だから商売だって成功すると思っていた。
前世の知識を使えば、簡単に大金持ちになれる。
そう思っていた。
だが現実は違う。
商会を作る。
潰れる。
また作る。
また潰れる。
それを**何度も繰り返している。**
最初は菓子店。
二つ目は服屋。
三つ目は宝石店。
四つ目は香水店。
そして――
全部潰れた。
メアリーは机の上の帳簿を睨む。
「あり得ない……」
自分は選ばれた存在。
未来を知る存在。
それなのに。
なぜうまくいかないのか。
その時、扉がノックされた。
「お嬢様」
執事が入ってくる。
「帝都の商人ギルドから手紙が届いております」
「読んで」
執事は封を切り、手紙を広げた。
「……北方商会についての報告です」
その言葉に、メアリーの眉がぴくりと動く。
「北方?」
執事は続ける。
「北方領の領主、レスティーナという少女が設立した商会だそうです」
メアリーの表情が一瞬で変わった。
「レスティーナ……」
その名前は知っている。
最近、帝都でも噂になっている人物。
北方の荒れた領地を開発している少女。
しかもまだ十歳。
メアリーは苛立った声で言った。
「続けて」
執事は手紙を読む。
「北方商会の商品は帝都でも人気があり、取引商人が増えているとのことです」
「……」
「さらに馬車隊を増やし、交易を拡大していると」
「……」
「現在、北方領の人口は七百を超え――」
「もういい!!」
メアリーは叫んだ。
机を叩く。
胸の奥が熱くなる。
(なんでよ……)
どうしてあの子が成功するのか。
ゲームにはいなかった人物。
ただのイレギュラー。
それなのに。
町を作り。
商会を成功させ。
帝都で噂になる。
メアリーは唇を噛んだ。
「許さない……」
さらにもう一人。
彼女が嫌っている人物がいる。
**ヒロイン。**
平民出身の少女。
今はまだ無名。
しかし将来、王子と出会う。
そして物語の中心になる。
メアリーはその未来を知っている。
だからこそ苛立っていた。
「どうしてなの……」
メアリーは呟く。
「特別なのは……私のはずなのに」
未来を知るのは自分だけ。
この世界で選ばれた存在。
そう信じていた。
だが今。
レスティーナという少女が現れた。
そして成功している。
メアリーの拳が震える。
「負けない……」
彼女は立ち上がった。
机の上の帳簿を握る。
「次よ」
商会は潰れた。
でも問題ない。
スー公爵家には金がある。
何度でも挑戦できる。
「今度こそ成功する」
メアリーはそう言い切った。
だが彼女はまだ理解していない。
商売が失敗する理由を。
そして北方で起きていることを。
レスティーナが作っているのは。
ただの商会ではない。
**都市と経済そのもの**だということを。
帝都の窓から朝日が差し込む。
その光の中で、メアリー・スーは強く拳を握った。
十歳の少女の苛立ちは、まだ収まる気配がなかった。




