第2話 これが料理『カレー』!!
厚手の鍋にオリーブオイルを入れ、ゆっくりと火に掛ける。油が温まったところで、牛肉、玉ねぎ、じゃがいも、にんじんを順に入れるようヨルに指示を出した。
「肉は表面に焼き目が付くまで。玉ねぎは透き通って、しんなりするまで炒めて頂戴ね」
ヨルは最初こそ半信半疑といった表情をしていたが、料理人としての習慣なのだろう。手際よく鍋を振り、具材を炒め始めた。
ジュウ……という肉の焼ける音が厨房に広がる。
香ばしい匂いが、ふわりと漂ってきた。
「良い匂いがしますね」
背後でジェイが鼻をすんすんと動かしながら、鍋の方を見つめている。
その様子を見て、私は心の中で涙を流した。
――そうでしょう、そうでしょう。
肉の焼ける香ばしい匂いは食欲をそそるでしょう。
なのにこの世界では、この後**香辛料を山ほど入れて台無しにする**のだ。
なんという悲劇。
「まだよ、ジェイ。ここからもっと美味しくなるの」
そう言って私はヨルに指示を出す。
「水を加えて煮込みましょう。煮立ったら灰汁を取るわよ」
「……灰汁取りですか」
ヨルは少し面倒そうな顔をしたが、素直に水を加えてくれた。
鍋の中がぐつぐつと煮立ち始める。
表面に浮いてくる泡。
それが灰汁だ。
灰汁取りって、実は結構面倒なのよねぇ。
小さな杓子で、ちまちまと表面の泡をすくい取っていく。
単純作業だけれど、料理の仕上がりに大きく影響する大切な工程だ。
そうしてしばらく煮込んでいると、具材が柔らかくなり、いい具合に煮上がった。
その瞬間だった。
ヨルが鍋の中の具材を全部取り出そうとしたのだ。
「ま、待って!」
私は慌てて止めた。
「よ、ヨル?どうして全部具を外に出そうとするの?」
ヨルはきょとんとした顔で答える。
「え? 煮汁は捨てるからですよ」
……え?
今、なんと?
「煮汁……捨てるの?」
「はい。当然でしょう?」
まるで常識だと言わんばかりの口調だった。
私の思考が、一瞬停止する。
もしかして――
**この世界の煮込み料理、全部煮汁捨ててるの?**
恐る恐る聞いてみた。
「えっと……それって、他の料理でも?」
「ええ、もちろんですよ」
ヨルは鼻で笑った。
「そんな汚れた汁を飲むなんて、あり得ないでしょう」
……。
…………。
**オーマイガッ!!**
私は頭を抱えそうになった。
出汁よ!?
出汁を捨ててるのよ!?
料理の旨味の結晶を!!
「だ、だめ!煮汁は絶対に捨てないで!」
私は小皿を取り、鍋から煮汁をすくった。
そしてヨルの目の前に突き出す。
「飲んで!」
ヨルの表情が露骨に嫌そうになる。
……仕方ない。
私は自分で飲んだ。
ごくり。
うん。
やっぱり美味しい。
肉と野菜の旨味が溶け込んでいる。
塩と胡椒で味を整えれば、完全にコンソメスープだ。
「美味しいじゃない」
私は満足げに頷いた。
「ジェイも飲んで」
小皿に煮汁をよそい、ジェイに渡す。
ジェイは一切躊躇せず飲んだ。
流石は私専属の従僕。
信頼度が違う。
「美味しいですね」
ジェイは静かに頷いた。
「味に深みがあります」
ほら見なさい。
「そうよ。今まで煮汁を捨てていたのは本当に勿体ないの。これは出汁がしっかり出ている証拠なのよ」
そして、ちらりとヨルを見る。
「まあ、臆病なヨルには飲めないでしょうけど」
ヨルの眉がぴくっと動いた。
「ダン、味見して頂戴」
今度は料理長のダンに小皿を渡す。
ダンはごくりと飲み――
「うまい!!」
大声を上げた。
「こんなに美味いとは!今まで捨ててたなんて信じられねぇ!」
厨房の料理人たちもざわざわし始める。
「お嬢様は天才ですね!!」
ダンが目を輝かせて言った。
私は胸を張る。
「そうでしょう。今度から煮汁は絶対に捨てないでね」
きっちり釘を刺すのも忘れない。
その横で、顔を真っ赤にしたヨルが小皿を奪い取り、煮汁を注いだ。
そして一口。
「……あ」
「どう?」
ヨルは小さく呟いた。
「……美味しい」
その様子が可愛くて、私は内心ニヤニヤしてしまう。
子分が出来たみたいで面白い。
「でしょう?塩と胡椒で整えればコンソメスープになるわ」
私は誇らしげに言う。
「でも今日はカレーを作るの。あとでレシピも渡すから再現して頂戴」
そしていよいよ本題だ。
「次は調合して貰ったスパイスを入れるわよ!」
カレースパイスを鍋へ投入する。
ふわり、と。
香ばしくスパイシーな香りが厨房いっぱいに広がった。
思わず私の口元から涎が垂れる。
これは仕方ない。
自然現象です。
「お嬢様、こんな感じでしょうか?」
ヨルが鍋を混ぜながら聞いてきた。
「そう、それよ!」
私は勢いよく頷いた。
「味見よ、味見♪」
小皿によそったカレーを、ふうふうと冷ます。
そして一口。
「お……」
「「「お?」」」
厨房の全員が身を乗り出す。
そして私は叫んだ。
「美味し〜い!!」
満面の笑みである。
「これよ!この味よ!」
すると――
「私も味見します」
「俺も!」
「私も!!」
厨房の全員が手を上げた。
……。
私の取り分が減るではないか。
という心の声は胸にしまい、全員に味見をさせてあげた。
その結果。
「昼食はカレーにしよう」
厨房スタッフの意見が満場一致で決定した。
こうして急遽、カレー作りの講習会が始まったのである。
コック達がカレーを作る間、私達は別の作業に取り掛かった。
**ナン作り**である。
だってこの世界のパン、固すぎるのだ。
歯が欠けそうなほど固い。
しかも美味しくない。
「材料は強力粉、砂糖、塩、バター、水よ」
私は説明する。
本当はドライイーストが欲しい。
だが、この世界にはそんな便利な物はない。
だから――
「ナンの作り方は教えたから、今度は酵母を作るわよ」
ジェイが首をこてんと傾げた。
「こうぼとは何ですか?」
説明が面倒だったので、
「柔らかいパンを作るお薬よ」
と答えておいた。
「ダン、レーズンはあるかしら?」
後ろで見ていたダンが答える。
「ありますよ。何キロ使います?」
……キロ?
「そんなに使わないわよ。100gで十分よ」
「わかりました。俺にも作り方を教えてください」
「いいわよ。酵母ができたら、ふんわりパンも作れるから覚えて頂戴」
ダンは真剣な顔で頷いた。
私は作り方を説明する。
「まず瓶を熱湯消毒。そこにレーズンと水を入れるの」
そして続ける。
「二日目からは一日一回、蓋を開けて空気を入れ替える。それから蓋を閉めて振るのよ」
「瓶の底に澱が出来るわ。それが滑らかになったら完成」
「完成まで大体一週間ね」
一週間。
……長い。
ああ。
早く柔らかいパンが食べたい。
そんなことを考えていると、ジェイが冷静に言った。
「カレーと酵母は商業登録しておきましょう」
……はい?
「特許を取ればお金が入ってきます」
さすがジェイ。
金勘定が早い。
「じゃあ特許料はグランテ家に入るようにしてね」
私はあっさり言った。
「私が死んでも家に入るようにすれば、断絶するまで安泰じゃない?」
ジェイが不思議そうに聞く。
「お嬢様の個人資産にしなくて良いのですか?」
私はにやりと笑った。
「その代わり、お父様と契約書を交わすもの」
もし将来嫁ぐことになれば――
**特許権を私に移す契約をね。**
ふふ。
備えあれば憂いなし、である。




