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期待しない女は、最後に選ばれる  作者: 篠宮しずく


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第4話 過去を聞かない女

 知らないほうが、楽なこともある。


 知ってしまえば、気にしてしまう。

 気にしてしまえば、期待が生まれる。

 期待が生まれれば――終わりだ。


 だから私は、聞かない。



 午前中、総務フロアがいつもより少しざわついていた。


「ねえ、白石さん。聞いた?」


 佐藤真琴が、声を潜めて椅子を寄せてくる。


「何?」


「高瀬さん、前に婚約してたんだって」


 その言葉に、心臓が一度だけ、強く鳴った。


「……そう」


 私は、それだけ答えて画面に視線を戻す。


「しかもさ」


 真琴は、言うか迷うように一瞬ためらってから続けた。


「向こう、結構傷ついたって話もあるみたい」


 それ以上は聞かなかった。

 聞かなかったし、聞きたくもなかった。


 理由を知ったところで、

 私の立場が変わるわけじゃない。



 婚約していた。

 別れた。

 誰かが傷ついた。


 それだけで、十分だ。


 過去の恋愛なんて、

 掘り下げれば掘り下げるほど、

 現在を歪ませる。


 ――どうせ、私は当事者にならない。


 そう思えば、胸のざわつきも、

 きちんと収まる。



 午後、企画部から内線が入った。


「白石さん、少し時間ありますか」


 高瀬さんの声。


 指定された会議室に入ると、

 彼は資料を揃えながら、少し落ち着かない様子をしていた。


「急にすみません」


「大丈夫です」


 仕事の説明は、いつも通り丁寧で分かりやすい。

 無駄がなくて、感情も挟まらない。


 この人は、本当に仕事ができる。



 説明が一段落したとき、高瀬さんがふっと視線を落とした。


「……さっき、変な話、聞いてませんか」


 その声は、ほんの少しだけ硬かった。


 私は一瞬だけ考えてから、答える。


「いいえ」


 嘘ではない。

 私は、深くは聞いていない。


「そうですか」


 高瀬さんは、ほっと息をついたように微笑んだ。


 その表情が、胸に引っかかる。


 ――聞かれたくなかったのだろうか。

 ――それとも、知られたくない理由があるのだろうか。


 でも、私はそこから先を考えない。



「由依さんは……」


 高瀬さんが、何かを言いかけて口を閉じる。


 言葉を探すというより、

 言ってはいけない言葉を避けたような間。


「……いえ、すみません」


「大丈夫です」


 私は、笑ってそう返した。


 踏み込まない。

 問い詰めない。


 それが、私の選んだ距離だ。



 会議室を出るとき、高瀬さんが言った。


「もし、何か聞いても……気にしないでください」


「気にしません」


 即答だった。


 気にしないのではなく、

 最初から入れない。



 仕事終わり、デスクを片付けていると、真琴がまた小声で言う。


「白石さん、本当に気にならないの?」


「ならない」


「……大人だね」


 私は、曖昧に笑った。


 それは大人だからじゃない。

 もう、傷つき方を知っているだけだ。



 エレベーターの中で、高瀬さんと二人きりになる。


 狭い空間。

 沈黙。


「……」


 何か言いたげな空気を感じても、

 私は待たない。


 待つという行為は、

 期待に近い。



 一階に着き、扉が開く。


「お疲れさまでした」


「お疲れさまです」


 それだけのやり取りで、

 今日も何事もなく終わる。



 帰宅して、部屋の電気をつける。


 一人分の夕食。

 変わらない日常。


 包丁を握りながら、ふと思う。


 もし、あの時。

 ほんの少しだけ踏み込んでいたら。


 もし、あの人の過去を、

 少しでも知ろうとしていたら。


 ――いいえ。


 そんなことを考えるのは、無意味だ。


 私は、選ばれない側の人間だ。


 だから、聞かない。

 だから、踏み込まない。


 それが、私の身の守り方。


 この時はまだ、

 聞かなかったことが、後で一番の後悔になるなんて、

 思いもしなかった。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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