第2話 優しい距離は、心を甘やかす
恋にならない人。
そう判断した相手ほど、安心できる。
高瀬さんは、まさにそういう人だった。
挨拶はするけれど、馴れ馴れしくない。
仕事の話はするけれど、私生活には触れない。
必要なことだけを、必要な分だけ。
その距離感が、心地よかった。
恋愛をする気がない人間にとって、
「好意を向けられないこと」は、むしろ救いになる。
◇
午前中の会議が終わったあと、企画部のフロアで資料の受け渡しをしていると、高瀬さんが言った。
「白石さん、これ、急ぎじゃないので午後で大丈夫です」
「ありがとうございます」
忙しさを察してくれるところも、ありがたい。
無理をさせない。急かさない。
――ああ、本当に優しい人だ。
でも、その優しさは、私に向けられた特別なものじゃない。
彼は、誰に対してもこうなのだろう。
そう思えるから、安心できる。
◇
昼休み、いつものように一人で席を立つと、後ろから声をかけられた。
「白石さん」
振り返ると、高瀬さんが少し戸惑った表情で立っていた。
「よかったら……一緒に行きませんか」
一瞬、言葉を失った。
――一緒に?
心臓が跳ねる前に、私は自分に言い聞かせる。
大丈夫。
これは恋じゃない。
ただの、昼食。
「はい」
自然にそう答えられた自分に、少し驚いた。
◇
社員食堂は、昼時で賑わっていた。
二人で並んでトレイを持つ。その距離が、妙に落ち着かない。
「白石さん、いつもこの時間ですか」
「はい。人が多くなる前に」
「分かります」
共感されるだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。
会話は仕事のことばかりだった。
週末の予定も、恋愛の話も出ない。
それが、ありがたかった。
踏み込まれない。
詮索されない。
私は、この距離を保ちたい。
◇
「白石さんって……」
食事の途中、高瀬さんが言葉を探すように視線を泳がせた。
「すごく、落ち着いてますよね」
「そうですか?」
「ええ。一緒にいると、安心します」
――安心。
その言葉が、胸に残る。
恋愛で言われる「安心」は、いつも危険だ。
それは往々にして、「刺激が足りない」と同義になる。
私は笑って、曖昧に受け流した。
「仕事してるときだけですよ」
◇
午後、仕事に戻っても、昼休みの会話が頭から離れなかった。
特別なことは何もなかった。
それなのに、なぜか心が柔らかくなっている。
――危ない。
私は心の中で、そう警戒する。
優しい距離は、人を油断させる。
油断したところに、期待が入り込む。
◇
帰り際、エレベーター前で高瀬さんと一緒になった。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ」
扉が開き、乗り込む。
「白石さん」
また、名前を呼ばれる。
「無理、しすぎないでくださいね」
それだけ。
本当に、それだけなのに。
胸の奥が、少しだけ苦しくなった。
私は、頷くだけで何も言えなかった。
◇
帰宅して、コートを脱ぎ、部屋の明かりをつける。
一人分の夕食。
静かな部屋。
なのに、今日は少しだけ、空気が違った。
――安心してはいけない。
私はもう一度、自分に言い聞かせる。
高瀬さんは、恋にならない人。
そう思い込むことでしか、私は自分を守れない。
それでも、心のどこかで。
この「優しい距離」が、
ずっと続けばいいのに、と思ってしまった自分がいた。
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