最終話 最後に選ばれる
朝、目が覚めたとき、
胸の奥は不思議なほど静かだった。
昨日の会話を、
何度も反芻して眠りについたはずなのに。
期待も、不安も、
どちらも抱えたままなのに。
――私は、もう逃げていない。
それだけで、
十分だった。
◇
出社すると、
企画部のフロアが少しだけざわついていた。
理由はすぐに分かった。
「高瀬さん、来てないね」
真琴の声。
「朝一で部長と話してるらしいよ」
その言葉を聞いても、
私は何も言わなかった。
心臓は、静かだった。
◇
午前中の仕事を終えた頃、
内線が鳴った。
「白石さん、少しいいですか」
高瀬さんの声。
迷いのない、
はっきりとした声だった。
「はい」
◇
指定された会議室に入ると、
高瀬さんは既に立っていた。
「急に呼び出して、すみません」
「大丈夫です」
扉が閉まる。
逃げ場のない、
でも居心地のいい静けさ。
◇
「昨日は、ありがとうございました」
「……こちらこそ」
「考えました」
その一言で、
十分だった。
◇
「選ばないことで、
誰も傷つけないつもりでいました」
高瀬さんは、
視線を逸らさずに続ける。
「でも、それは違った」
◇
「由依さんを、
曖昧な場所に立たせていたのは、
僕でした」
言い訳は、なかった。
◇
「一緒にいたい、じゃなくて」
一拍、置く。
「一緒に生きたい」
その言葉は、
静かで、でも重かった。
◇
「選びます」
短く、
はっきりと。
◇
「もし……」
高瀬さんは、
一度だけ言葉を探した。
「それでも、もう遅いと言われても、
受け止めます」
その覚悟が、
何よりの答えだった。
◇
私は、
すぐには返事をしなかった。
待たせたかったわけじゃない。
ただ、
自分の心を確かめたかった。
◇
期待しないことで、
守ってきた自分。
選ばれないと、
決めつけていた自分。
そのどれもが、
静かにほどけていく。
◇
「高瀬さん」
「はい」
「私は……」
一度、息を吸う。
「選ばれたいと思っていました」
正直な言葉だった。
◇
「でも、
選ばれなくても立てる場所を、
先に選びました」
高瀬さんは、
黙って聞いている。
◇
「今は」
私は、
少しだけ笑った。
「選ばれても、
大丈夫です」
◇
高瀬さんの表情が、
ゆっくりと変わる。
安堵と、
覚悟と、
責任。
◇
言葉は、もう要らなかった。
◇
その日の帰り道、
駅までの道を並んで歩く。
距離は、
以前と同じ。
でも、
立っている場所が違う。
◇
「由依さん」
「はい」
「……由依」
名前を呼ばれる。
今度は、
逃げない。
◇
改札前で立ち止まる。
手が、そっと触れる。
握られることはなかった。
でも、
離れることもなかった。
◇
それで、十分だった。
◇
私はもう、
期待しない女ではない。
期待して、
失うことを恐れない女でもない。
◇
私は、
最後に選ばれる女になった。
それは、
誰かに与えられた称号じゃない。
自分で立ち、
自分で選び、
その上で選ばれた――
ただ、それだけのこと。
◇
駅のホームで、
電車を待ちながら思う。
きっとこれからも、
不安はなくならない。
でも。
選ばれない場所に、
戻ることはない。
それだけは、
もう分かっていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
この物語は、「期待しないことで自分を守ってきた人が、もう一度誰かと向き合うまで」の話でした。
大きな事件も、派手な展開もありません。
告白が遅く、すれ違いばかりで、
読んでいてもどかしい場面も多かったと思います。
それでも最後まで付き合ってくださったこと、
本当に感謝しています。
由依は、
「最後に選ばれた」わけではありません。
先に、自分の立つ場所を選び、
曖昧な関係から降りた結果、
その上で“選ばれた”のだと思っています。
そして高瀬もまた、
誰かを選ぶことの重さから逃げ続け、
最後にようやく、自分で責任を引き受けました。
この二人の関係が成立したのは、
優しさや相性だけではなく、
それぞれが「逃げない選択」をしたからだと、
作者としては考えています。
もしこの物語のどこかで、
「分かる」「苦しい」「でも目を逸らせない」
そんな瞬間があったなら、
それはきっと、あなた自身の記憶や感情と
重なった部分があったからだと思います。
感想は、
一言でも、途中の話数についてでも構いません。
「この場面が辛かった」
「この言葉が刺さった」
そんな声をいただけたら、とても嬉しいです。
ここまで一緒に歩いてくださって、
本当にありがとうございました。
またどこかで、
静かだけれど心に残る物語をお届けできたらと思います。




