第9話 姫騎士様はけっこう純情
「なんと。そなたがこのクマの胆を手に入れたと申すか!」
リンドムートは、老人から「ミーシャがヨツデグマを倒して胆を手に入れた」と聞き、感嘆の声を上げた。
ここは2階の小部屋。ミーシャが素材を査定してもらうためにやってきた部屋である。
今は、ミーシャと老人、そして姫騎士リンドムートの3人がいた。
「あ、いやぁ、アタシ一人ではなくて、もう一人、いるんですけどね……」
自分が剣をふるってクマを倒したわけではないので、ミーシャはリンドムートの賞賛を素直に受け取れなかった。
リンドムートが瞳を輝かせて話しかけてきても、ミーシャは若干引き気味に応対している。
「もう一人。それは、男か?」
「あ、いや。女です。魔法使い」
「ふむう。この時期のヨツデグマは、熟練した狩人が大勢で挑んでも、相当に手ごわいと聞く。女2人でそれを倒すとは、見事だ」
「ああー、どうも」といって、ミーシャはぺこりと頭を下げた。
ミーシャは、貴族のことが生来的に好きではない。貴族連中は、庶民の生きる苦しさを知らず、毎日いいものを食べて飢えを知らず、暖かい服を着て寒さを知らず、立派な家に住み雨露の心配を知らずに生きている、と思っている。
貧しい農民出身のミーシャからすれば、それだけでも腹が立つのに、貴族連中は、とにかく口が上手い。悪知恵が働く。こっちがよかれと思って気を利かせても、礼の一つも言わずにさも当然、といった顔をする。そのくせ報酬の支払いはケチだ。
……とまあ、ミーシャからすれば、散々の評価を受けている貴族階級だが、冒険者の多くはミーシャと同じ感覚だった。
「そなたのような者がいることは、私としてはとても嬉しく思う。今の世は、女だからと言って、不当に扱われることが多い。私は、力量さえあれば性別など関係なく活躍すべきだと思っているのだ。特に近年、勢力を拡大してきている《スコラ修道会》。ここには、男ばかりが集まって、盛んに『神は男であり、神の子も男だった。ゆえに男は女よりも上位である』などと吹聴している。嘆かわしいことだ。あ奴らは、優れた学識と技術を持つゆえ、諸侯や大商人たちがこぞって庇護しているが……正直、私は好かん」
ミーシャは愛想笑いを浮かべながら、(だろうね)と心中で思う。ミーシャ自身も、男が男だからという理由で偉そうにしているのは嫌いだ。貴族と比べてどっちが嫌いかというと甲乙つけがたいが、リンドムートの言葉を聞いて、(この酔狂な姫騎士様はちょっと特別扱いしてもいいかな)と思った。
「……リンドムート様。いかがなさいますかな。このクマの胆。お気に召しましたでしょうか」
リンドムートの言葉が途切れたところを見計らい、老人は恭しく彼女に問う。
「うむ。頂こう。対価は、後ほど秘書官に届けさせる」
ははっ、と一礼し、老人はクマの胆を丁重に奥の部屋にしまい込んだ。
「ところで、クマの胆なんて、丸々1つ手に入れてどうするんです? 薬にするには、乾燥させて石臼で挽かなきゃならないのに」
ミーシャは、まさか自分ではそんなことをしそうにないリンドムートに向かって、ふと尋ねる。
リンドムートは、一介の冒険者がなれなれしく話しかけてきたことに少しの驚きと喜びの表情を浮かべたが、
「うむ。当家の薬師に乾燥させて、胆薬にするのだ。病弱で、胃腸が弱い弟に服用させている。ここのところ、商家から購入した胆薬は混ぜ物が多くてな。それこそ、《スコラ修道会》の連中が、『牛や豚の胆でも同じ効果がある』などと、まがいものを胆薬だと言って強欲な商人どもをそそのかしているのだ。どう考えても、熊と豚では、薬効は異なるはずだろう。もし同じならば、何の苦労をしてわざわざクマの胆を取らなければならぬ」
と、渋い表情になりながら答えた。
「確かに。どう考えても、強さが違う。クマとブタを一緒にするのは、クマに失礼だ」
ミーシャがあまりに率直に会話をしたことに、リンドムートは「はっはっは」と笑った。
(ちぇ。何がおかしいんだ)とミーシャがむくれると、
「いや、すまぬな。そなたが、あまりにも私と打ち解けて話してくれることが嬉しくてな。姫騎士だなんだといわれても、所詮は貴族の娘の酔狂に過ぎん。なるだけ民に慕われようとは努力しているが、実際に話しかけると、みな私の地位を恐れて、畏まってしまう。そなたのように気安く話をしてくれる者がいたことが、たまらなく快いのだ」
そういって、リンドムートは首に巻いていたスカーフをするりと外すと、ミーシャの手に握らせる。
「これはちょっとした好意の証だ。領内であれば、何かの役には立つだろう」
ミーシャが手にしたスカーフからは、柑橘に混じって、少しスパイシーな香りがする。香水だろうか。
リンドムートは、目当ての品を手に入れ、立ち去ろうとした。そのとき、テーブルの上にあるもう1つの包みに目が行った。
「なあ、ゲイル。この包みは、なんだ?」
ゲイル――老人の名である――は、一瞬、しまった、という顔つきになり、
「ああー。これは、高貴な方にお見せするようなものではございません」
といって、包みを手に奥に引っ込もうとする。
リンドムートは、「構わぬ、見せよ」と食い下がった。ミーシャはその包みの中身が何かは知っている。
ゲイルは、まだ逃げ切ろうとする姿勢だったが、リンドムートがあまりに強いるものだから、
「仕方ありませんな」といって、包みを開いた。
「……なんだこれは。私の肘ぐらいまでの、太さも腕と同じぐらいのものだな」
赤黒い棒状のものを見て、リンドムートはいぶかしんだ。気になったのか、それを持ち上げて、指先で軽くつつく。
「これは、何か?」
リンドムートがゲイルに問う。ゲイルは視線をミーシャに向ける。
リンドムートはゲイルの視線に誘導され、ミーシャの方を見る。
(あっ……こっちに振りやがったな、爺さん!)
ミーシャは、それこそクマの胆を舐めたかのような苦り切った顔になり、
「……オスのクマのシンボルです」
とうめくような小さな声で言った。
わずかな間。リンドムートの顔に「?」が浮かぶ。その直後。
「えっ……! これ、クマの? オスの? シンボル……?! えっ、じゃあ、おちん……」
そこまでうわごとのように発すると、急に顔を赤らめたリンドムートは、
「きゃあ!」と言いながら、それを投げ出して、部屋を出ていった。
そして、しばらく経っても戻ってこなかった。
「……爺さん、それも、高く買い取ってくれるんだろーね」
やがて、ミーシャはそう呟いた。
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