第15話 エリサちゃんは人の痛みがわかる娘です
僧院に戻ってから、ミーシャの様子がおかしかった。
ずっと部屋に閉じこもりっきり。ご飯の時間になっても、食堂へやってこない。
心配したエリサは、カンテラを手に部屋に戻る。
ミーシャは明かりもない部屋の中、ベッドの上に膝を抱えてうずくまっていた。
「あの、ミーシャさん。ごはん、食べないんですか?」
ミーシャは、エリサの方を見ようとせず、わずかに横に首を振った。
エリサは、ミーシャの肩に触れようとして、思いとどまる。
「……」
そして、エリサは手を組んでもぞもぞさせながら、じっと床の方を見つめ始めた。
(こんなとき、どういう言葉をかけたらいいんだろう)
エリサは困惑した。
これまで、いつだってミーシャは明るいか、怒ってるか、たとえしょげていたって、どこかにまだ前を向こう、という意思が感じられた。でも、なぜだか今回は違う。
(自分のことで、辛かったんじゃない。嫌な目に遭ったんじゃない。でも、今のミーシャさんは、深く傷ついている)
安易な慰めは、かえってミーシャの悲しみを深くするばかりだろう。
今、必要なのは、そばにいることかもしれない。
エリサは、ミーシャのそばで、じっと無言で過ごす。
しばらくの時間。
それまで、しんと冷え込んでいた部屋の空気が、ほんの少しだけぬるくなったようにエリサは感じた。
そこでエリサは、今のミーシャが感じているだろう気持ちを推しはかる。
(悲しい。辛い。痛い。苦しい。怒り。失望。さみしい)
色々な表現を言葉にすることも、魔法使いとしての修行のひとつだった。
魔法はイメージ、だから、それを言葉で表現できないといけない。
師匠が、そんなことをよく言っていたように、エリサは思い出した。
いくつもの言葉を頭に思い浮かべ、やがて、なぜか『罪悪感』という言葉が引っかかった。
エリサは、恐る恐る、ミーシャに声をかける。
「……あまり自分を責めないでください」
「……」
「ミーシャさんは、何も悪くないです。むしろ、正しいことをされたと思います」
「……」
「でも、自分を責めたいんだと思います。わたしは、それを、無理に止めようと思いません」
「……」
「それは、きっとミーシャさんに必要なことだから」
「……」
「……」
「……自分でも、よくわかんないんだ。自分や、家族がひどい目に遭ったわけじゃない。過去に嫌なことがあって、それを思い出したわけでもない。目の前の誰かを助けられなかったのでもない」
エリサは、ほんの少しだけミーシャの体に触れるよう、寄り添った。
「でも、今日のあれは、すごく醜かったんだ。醜い……そうだね、醜かったんだと思う。あいつらも醜いし、あいつらからおこぼれを貰おうとするみんなも醜い。そんな風に考えてるアタシも醜いんだ」
エリサは、無言でミーシャの肩に手を回し、そっと抱き寄せる。
「ロベール。あいつ、フィルマールに親を殺されてるんだよ? そんなことも知らないで、アイツ、親の仇からお菓子を貰おうとしてたんだ」
「それは、醜いことですか?」
「ううん。ロベールは醜くない。フィルマールが醜い。それよりも、そんな奴がのさばっていられる、この世界が醜い」
「ミーシャさんは、どうしたいんです?」
「そんな世界を変えたい。でも、アタシなんかちっぽけな存在だ。それに、たとえアタシが皇帝や教皇だったとしても、そんなことなんてだれにもできっこない」
エリサは、ミーシャを両腕で抱え込んで、ぎゅう、と抱きしめる。
「ふええ……っ」
ミーシャは、不意にエリサの胸にかきついて泣き始めた。
エリサはまるで母親のように、優しくミーシャの頭を撫で始めた。
いつしか2人は、そのまま眠ってしまったらしい。
エリサが目を覚ますと、服を着たまま、シーツの中で横たわっているのに気がついた。
変な体勢で寝たためか、体が痛い。もぞもぞとシーツの中で身をよじる。
朝の光が窓ガラス越しに差し込んできていて、ちゅんちゅんと小鳥が鳴いている。
「おはよう。エリサ」
そして、エリサの視界に入ってきたのは、いつもと変わらないミーシャの姿だった。とはいえ、ちょっと目が赤い。寝乱れて、髪もくしゃくしゃになっている。
「ミーシャさん」
「へへ」と笑って、ミーシャは大きく伸びをした。
「昨日は、ごめん。なぐさめてくれて、ありがと」
「いいえ、私なんて何も」
もぞもぞとベッドから起き上がり、飛び跳ねてしまった髪を手で撫でつけながら、エリサは応える。
「なんかさ、すっきりした。っていうか、吹っ切れた」
そういうと、ミーシャはベッドの上で座り込むエリサのそばに腰かける。
「そうですか。それならよかったでふね」
小さくあくびをしながら、エリサは応じる。
「いやあー。どれだけ悩んでもさ、アタシってバカだから、何に悩んでるのかわかんなくなっちゃってさ。でも、嫌なもんは嫌だし、だったら、アタシができるだけのことはやろうって。まあ、どこまでできるかもわかんないし、アタシだって聖人君子じゃあないしさ」
(ああ、よかった。いつものミーシャさんだ)
エリサが心中、そう安心した。
と、そのとき、電光石火の速さでエリサの顎が、くい、と持ち上げられる。
ミーシャの腕が、エリサの腰に回る。引き寄せられる。
ミーシャの顔が近づく。
……ドアの向こうに、誰かの気配がする。でも、今はこうしていたい。
エリサはそう思い、「おはようございまーす!」とドアが開けられるのも気にせず、ゆっくりと目を閉じた。
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