第39話 森へ突入!(上)
馬での移動は、さすがに速い。以前、2人がケルベロスを倒した大きな岩の影まで、歩きのときは1刻(1時間)程だったのだが、馬で進むと半刻ちょっとしかかかっていない。空模様は、ちょうど東の地平に太陽が顔を出す頃だった。
一行は目的地に着くと、めいめいに下馬する。馬は手近な低木などにつなぎとめる。馬の見張り役を担当する従者を数名置くと、騎士たちは、岩の近くに集まった。
ミーシャは、リンドムートから離れたエリサのもとに一目散に駆け寄ると、
(エリサ。変なこと、されなかった?)
エリサの両肩を正面からしっかりと捕まえ、小声でそうささやく。
エリサは、にこりと微笑を浮かべて、
(はい。ちょっとお話してただけです)
穏やかな口調でそう答え、続けて、
(ミーシャさんと一緒に、配下にならないか、勧誘されました)
と言葉をつないだ。
「全員、集まれ。これからの作戦の確認を行う」
ミーシャがさらにエリサから話を聞こうとしたところ、リンドムートが、小さくともはっきりと聞こえる声で周囲に呼びかけた。ミーシャたちを含む騎士たちが、彼女の方に向かって駆け寄る。
(どういうつもり?このお貴族様。アタシとエリサを手下にしようって)
ミーシャは、移動中のリンドムートの様子を思い出し怒りを覚えつつも、今は仕事の時間だと割り切って、リンドムートの顔を見た。
「我々は、これから敵情の視察を行い、本隊到着前までに最終的な作戦判断を行う。これよりは、敵中に入るものと心得よ。相手はゴブリンだと軽く見てはならぬ。この者たちが事前に調べたところによると、道中には、土牙や草絡めなどの罠が仕掛けてあるらしい。山賊討伐に近いかもしれぬ。ましてや相手は魔物だ。人間よりも、誰かよそ者が縄張りに入ったことを感じやすいかもしれん」
「では、潜入はどのように」
「冒険者2名を先達として、まずはこの者たちが通ったルートを進む。罠の類は、できうる限り取り除くか、わかりやすいようにしておけ。それと、弓が使える者は、短弓を用意せよ。移動中にゴブリンを見つけた場合、速やかに射殺すのだ」
リンドムートの指示を受け、騎士2名が速やかに道具入れから弓を取り出し、弦を張った。他の騎士は、ロングソードを腰に差しつつ、取り回しがいい手斧などを得物にする。
「目標の巣は、距離10町(1000メートル)程度だが、移動はそれなりに悪路だそうだ。もう少し日が昇ってから、出発する」
リンドムートは昇りつつある太陽の方に目を向けて、そう言った。
日はやがて完全に姿を現し、夜気が陽光に蒸されて霞となり、草原にたなびき始めた。森の中からは小鳥の声が聞こえてくる。
「隊長、そろそろ行きますか?」
豊かな鼻ひげを蓄えた壮年の騎士が、岩に腰掛け瞑目していたリンドムートに声をかけた。
リンドムートはその声を聞くと閉じた目を開け、ミーシャとエリサを見つけると、
「そろそろ出る。先導してほしいが、よいか」
口調こそ丁寧だが、有無をいわさぬ威厳をもって、2人に声をかける。
ブリーフィングの後の短い待機時間に、馬上での話をエリサから聞いたミーシャは、
(貴族にしては、いいこと考えてるじゃんか)
と、リンドムートに一目置くようになっていた。
むろんエリサは、ミーシャに「一夜の過ち」云々まで正直に話すほど愚かではない。
「承知しました。先導します」
ミーシャはそう答えると、座って干しリンゴを食べていたエリサに目配せする。
エリサは急いでリンゴを咀嚼し飲み込むと、立ち上がって服についたほこりを払う。
リンドムートの号令が下り、一団はミーシャ、次いでエリサの順に森に入っていった。
まずはごつごつとした岩場の多いゾーン。金属鎧を装備した騎士たちは歩きづらそうにしていたが、そこはやはりプロの戦闘職。なんなく踏破をしてみせる。リンドムートも、時折他の騎士の手を借りながら(本人は自分だけでも十分行けると思っているのだが、貴族社会には色々と作法があるのだ)、危なげなく進んでいく。
さらに進んでシダ類などが生えているエリアに出る。このあたりから、ゴブリンの罠が仕掛けられている。その様子は、先日とはそう変わらない。罠の数も増えた様子はなく、2人は騎士の一団を連れて、確かな足取りで森を進んだ。背の高い広葉樹が少しずつ赤みを帯びてきている。まだ当分、落葉はしないだろうが、もし落ち葉が降り注ぐと、罠の存在はより分かりづらくなるだろうか。
ミーシャはそんなことを考えつつ、途中、見つけた罠は効率重視で雑に解除する。今はスピード優先、土牙は斜めに踏みつけて刺さらないようにし、草絡めはショートソードの先で断ち切る。他の騎士たちも、ミーシャに指摘されるか、気づき次第、ミーシャと同じようにしていた。
運がいいのか、夜行性であることが多いゴブリンの習性か、朝早い時間帯では、遭遇戦となることはなかった。一団は光がまばらに入り、高木、低木が入り混じる獣道を進んでいく。
「この森、思ったより起伏があるな。丘のようになっているのかもしれん」
途中、リンドムートが独り言のように言う。
「となると、ゴブリンの巣は丘と丘の狭間にあるのか。いや、外からはうかがい知れない地形だから、全体としてはすり鉢状になっているのかもしれぬな」
独り言が続くので、エリサが不思議そうな視線を彼女に向けた。
するとリンドムートは、
「ふふ、おかしいか。これも習い性でな、病弱の弟が軍略に凝っている。わが愚弟が言うには、指揮官は常に地形を考慮せよ、考え、想像をめぐらすことを怠るなとうるさいのよ。あれの体が頑丈ならば、私がこのようなことをしなくてもよいのだがな」
と言った。
「時折、女の身であることが疎ましくある」
そして、誰にも聞こえないように、リンドムートはぼそり、と呟いた。
土日はお休みで次話は月曜日に更新します(月・水・金更新)
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