第33話 寝ている娘にイタズラしちゃだめだよ
ギルド内にある、ミーシャの定宿の部屋。夜半更けても、外では物々しい雰囲気が漂っている。閉じた窓の隙間から入り込む、かすかな明りとともに、馬の鼻息やぱちぱちとたいまつが燃える音、鎧を着た騎士の歩く音が聞こえてくる。
(ミーシャさん……はもう寝てますね)
なぜか寝付けないエリサは、ベッドから身を起して、壁に背をもたれさせていた。
隣では、ミーシャのすぅすぅという寝息が聞こえてくる。冒険者は、いついかなる時でもよく眠るものなのだ。
エリサは、今日見たゴブリンの巣の光景を思い出す。
(ゴブリンが、どうしてあんな高度な村を作っていたんだろう)
世間をあまり知らないエリサでも、ゴブリンがあれほどの技術を持つなんて聞いたことがない。
(あの大きなゴブリンは、いったい何者なんだろう?)
あの村で見たゴブリンは、普通ではない。見た目ではなく、何かとてつもないものを秘めているように思う。根拠はない。ただ、エリサの中で『何か』がそう叫ぶ。
(魔法を使って、見に行ってみようかな……でもあれも禁呪だし)
エリサは、少しためらいを抱き、それでも自分の内なる自分に問う。
見に行くか、行かないか。
行く、と心が答えた。
(よし、行こう。∴星幽投射∴の魔法で!)
「……Liberigu vin de la katenoj de la korpo. Flugu en la ĉielon, mia animo.」
呪文を唱えるや否や、エリサの体が、がくん、と前のめりに倒れた。
しかし、倒れたのは肉体だけである。エリサはその精神を肉体から遊離させると、ふわふわと宙に浮いていた。
そして、寝室の壁をすり抜けると、外に出る。
空中から下を見ると、不寝番の騎士や従者が数名、何をするでもなく座っていた。
近くには柵につながれた馬が、身を横たえて休んでいる。それ以外は蒼い月明かりの下、とっぷりと夜の空気に包まれていた。
エリサは、すぅ、と息を吸い込み、今日たどった道をイメージすると、高速で飛んだ。
矢のような速さで、エリサは夜の街道を飛び、支道に至る。途中、ぽわぽわと飛ぶ燐光がいくつか見えた。
この数日、命を落とした誰かの魂が、まださまよっているのだ。
(魂が……集まっている)
支道に入り、エリサは霊峰ガルガンチュアの方を見て、息を飲んだ。
空高く、無数の小さなきらめきが、川のような流れを作り、山の頂に向かって進んでいる。さっき見た燐光も、いずれあの流れの一つになるのだろう。
(きれい。ミーシャさんにも見せたいな……でも、怖がるかな?)
ガルガンチュアの頂からは、はるか高く、月に向かって一筋の光が伸びていた。
月は死者の安息の場であり、やがて太陽の光とともに生まれ変わる。この光景は、物質の世界からは見ることが叶わない、神秘的なものであった。
(あの流れに、巻き込まれないようにしなくっちゃ)
エリサはただその光景の美しさにとらわれることなく、流れに乗ってしまって本当に死んでしまわないように、気をしっかりと持つ。
そして支道を駆け、ヨーゼフたちの集落を抜け、森にたどり着いた。
(星幽の気配は無い。そこまで高次の存在じゃないのかな)
ここからはゆっくりと、今日行った場所まで飛ぶ。高い空から見れば、村の様子が手に取るようにみえた。
丘と窪地、小川があり、複雑な丘陵になっている。小高い所に生えている木で、周辺からは全く見えないようになっているが、
(上から見ると、星の形に見える)
どうもその一帯は、自然が作り出したとは思えない、幾何学模様の形をしていた。
その天辺が、一番標高が高く、大きな岩がゴロゴロと転がっている。そこに崩れかけた岩屋があった。大きなゴブリンがいた祠だ。
(……っ)
その祠を見た途端、エリサの意識が急に祠に引き寄せられた。
(呼んでる……)
エリサは空中からふわりと降下すると、祠の前に降り立つ。
岩でできた祠は、いつできたのかわからないほど古びていたが、ゴブリンたちが掃除でもしているのか、落ち葉や枯れ枝などは見られなかった。
脇に崩れて倒れかかった扉には、かすれて読めなくなっているが、文字のようなものが彫られている。
(……あちっ)
エリサがそれに手を伸ばそうとすると、バチッ、と小さな雷が走った。
(結界が張られていたんですね……でも、もう壊れている)
エリサは、祠の中に入っても危なくないことを確かめると、ゆっくりとその中に足を踏み入れた。
祠の中は、無人だった。ただ、なぜかランプの灯がほんの小さく、かすかに中を照らしている。
中には、石でできた祭壇のようなものがあり、そこには、
(――っ!!)
一冊の本が祀られていた。その本からは、もうもうと煙のように魔力が漏れ出している。
エリサには、それがなにか、見た瞬間に判別できた。
(やっぱり! ――クロウテルの、魔導書!)
白魔女の系譜を継ぐものとして、彼女が探し出さないといけない宿命の書。
エリサがこれまでに手に入れた1冊、所在のわかっている6冊に加え、新たな1冊がそこにある。
(8冊目が、ここに、ある)
エリサは自分の胸が高鳴り、心臓が痛いほど鼓動しているのを感じた。
手に取りたい。だが、今の自分は星幽体であるため、物体に干渉することができない。
(早く戻って、取りに来ないと)
エリサはそう思うと、自分の体に戻るため、猛然と夜空を駆け始めた。帰るのは、ほぼ一瞬。
すぐにカンブレー村に戻り、ギルドの4階、寝室の壁をすり抜ける。
すると、寝ぼけ眼のミーシャが、自分の体をゆさゆさとゆすっている光景が見えた。
「エリサー。どしたの? 寝てるの?」
生気が抜けて人形のようになった自分の体を、ミーシャがゆすっている。
「ん――。息はしてる。心臓も動いてる。死んではない、か」
寝ぼけている割に、ミーシャは冷静な判断をしている。
するとミーシャは、壁にもたれかかった自分の体をベッドに優しく横たえた。
「よく寝てるなぁ……」
ミーシャも体を横たえると、エリサの頭を優しくなで始めた。
(はうう。ナデナデされている!)
エリサは、自分が大好きな人に頭を撫でられている光景を、自分の目で見る異常な光景に、胸が高鳴った。
頭がぼうっとする。恥ずかしくて見てられないけど、それでも見たくなる。
「エリサはかわいいなぁ……」
ミーシャはそういうと、エリサのおでことほっぺにキスをする。
(きゃあああああ!)
エリサは声なき声で叫ぶ。恥ずかしさとうれしさで、心臓が爆発してしまいそうだ。
「……もうちょっとしても、起きないよね」
ミーシャはぺろりと舌なめずりをすると、次は首筋に口づけをした。
(はわわわっ……!)
感覚はないのに、なぜか自分の首筋にぞくりとした感触が走る。
その瞬間、ドキドキ感とは違う、体の奥、芯の部分がきゅんっと切ない感覚になる。
エリサは無意識的に、太ももをぎゅっと引き締め、身をよじった。
それからミーシャは、エリサをぎゅっと抱きしめる。
じいっとエリサの寝顔を見ていたかと思うと、頬のあたりに手を添えて、2人の唇が徐々に近づく……
(それは、ダメええええっ!)
エリサは、星幽体を自分の体に急いで戻す。
ごちん☆
自分の体に戻ったエリサは、あわてて、思いっきりミーシャに頭突きした。
土日はお休みで次話は月曜日に更新します(月・水・金更新)
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