第28話 間の悪いときに限って敵が出てくる!
そのころ、ミーシャとエリサは、ゴブリンの巣を一望できるエリアにいた。
(あれ、巣じゃなくて、村だよね。家もいっぱいあるし……)
(ですね。……あ、羊に餌あげてる)
2人はゴブリンたちが仕掛けていた、いくつもの罠を避け、低木の茂みの隙間からゴブリンの巣の様子をうかがっていたのだ。
そこで、ル・ガルゥの存在に気が付いたのは、エリサだった。
(あのゴブリン、なんであんなに大きいんでしょう!)
(あんなの、見たことない。ゴブリンキング……なんかよりもずっと大きい気がする)
(なんだか、ゴブリンというより、ほとんど仕草が人間そっくりですね)
(なんか、奥の方が騒がしくなってきたな……あ、なんか来た)
(あれ、もしかしたら、トロルじゃないですか?)
(えっ、ウソだろ? あっ、ホントだ! やばい、これはやばすぎるよ。しかも3匹!)
(確か、トロルって、すっごく強いんですよね?)
(いや、強いっていうか、本当ならこんなところにはいない魔物だよ)
(ギルドの人たちで勝てますかねぇ?)
(というか、まずはアタシたちが見つからないようにここから逃げないと)
(コクコク)
その時である。エリサは急に何を思ったのか、もぞもぞしはじめ、やがて懐から魔法の羅針盤を取り出した。
(――!)
エリサは、羅針盤の盤面を見て、驚きの表情になる。
(どうしたの? 急にもぞもぞして。……まさか?!)
エリサは、ミーシャに盤面を見せた。
針は、祠のある方向を刺している。そして、盤面に刻まれた何かの記号が、激しく明滅していた。
(この近くに、《魔導書》があります! おそらく、あの祠の中!)
(え、マジかよ! どうする? 今行くのは、ちょっと危ないけど……)
(行かなきゃ! ああ、でも、もしゴブリンたちに見つかったら、大変なことになりますよね)
すると、ミーシャは無言でエリサの懐に、羅針盤を押し込んだ。
(ごめん、気づくのが遅れた。それが光っているから、もしかしたらあいつらに気づかれるかもしれない)
(あ、ごめんなさい……わたし、つい舞い上がっちゃいました)
すると、ミーシャは、
(ちょっとじっとしてて! ……あいつ、こっちを見ている)
音は立てずに、強い口調で言う。ミーシャの視線の先には、ゴブリンキングと思しき個体が、こちらの方をじっと見て、微動だにしない様子が写っていた。
(【認識阻害】が効いてないのか?)
もしそうであっても、向こうからは茂みが邪魔をして、容易にこちらの姿は見えないだろう。
だがその個体は、近くにいたゴブリンたちへ、自分たちがいる方角を指さしながら、何かを指示している。
(やばい。見つかったかもしれない。エリサ、一時撤退だ)
ミーシャは手短にそう言って、エリサを連れてその場を足早に立ち去る。
すでにミーシャの頭の中には、ここに至るまでの明確な地図が記憶されている。後は急ぎギルドに戻り、状況を報告するだけだ。
2人はできるだけ静かに、そして急ぎ足で森を抜けた。帰り道は容易で、往路の半分以下の時間で事足りる。
「もうすぐ、【認識阻害】の効果が切れます」
森へ入る前に休憩した岩陰を通り過ぎたあたりで、エリサがミーシャに告げた。
「よし。ここまで逃げれば、もうゴブリンたちは追いかけてこないだろう」
日は、中天を差している。今から歩けば、日没までにはカンブレーの村に戻れるかもしれない。
ミーシャは水筒を取り出すと、まず自分が一口飲む。そして、エリサにそれを向けると、水筒を受け取ったエリサも一口飲んだ。
エリサはそれから、
「……ちょっとお花を摘みにいってきます」
恥じらう顔つきをしてミーシャにそう言うと、エリサはそそくさと少し離れた岩陰に歩いて行った。
◇
(ミーシャさんは、どうしてお手洗いを我慢できるの? 冒険者だからかな)
岩陰についたエリサは、ふぅ、と一息つくとそう思った。今日朝出て以降、ミーシャがトイレ休憩をしたような様子は一度もない。エリサは途中、トイレに行きたいなと思っていたのに、タイミングを外してしまったのだ。
(うう、漏れそう……)
ため池はもうすぐいっぱい。早く放流しないと大変なことになる。
エリサは、ローブと下のワンピースをたくし上げると、その場にかがみこもうとした。
その時。
「ぐるるるるる」
森の木陰から、唸り声が聞こえる。
「ええっ! それは困る……」
もじもじしながら、エリサは立ち上がり、岩に立てかけた杖を手にした。
低木の陰から、1頭の獣が現れた。豺だ。ただの豺ではない。3つの頭を持つ、大型の豺。エリサは、ぞわり、と空気が張り詰めるのを感じた。
「これは、【静寂】……。まさか、ケル……ベロス?」
ケルベロスと呼ばれた豺は、3つの頭からよだれを垂らしつつ現れる。全体的には茶色と黒の混じった体で、普通の犬と比べれば2回りほど大きい。豊かな飾り毛を持ち、がっしりとした体格。エリサの方をじいっとにらみつつ、ふさふさのしっぽを高く立て、小刻みにゆっくりと揺らしている。
【静寂】の魔法は、【認識阻害】の上位魔法である。一定の時間、一定のエリア内で行われた一切のことが、まったく外の世界からは把握できなくなる。ケルベロスはこの魔法を使って狩りをするため、それが終わった後には、犠牲者の痕跡だけがそこに残る。この魔物が『冥府の番犬』などと呼ばれるのは、犠牲者が冥府に連れ去られてしまうから、という想像による。
「なんですか? わたし今からお花摘みするんです。あっちいってください!」
「ばう! わぅ、がるううう!」
「きゃう!」
エリサの抗議に、ケルベロスは獰猛な一吠えで応える。あまりの剣幕に、エリサは自分の肌が粟立つのを感じる。
「ううっ……ミーシャさぁん……」
泣きべそをかきながらも、エリサは杖をケルベロスに向けた。
なるべくすみやかに、動きを小さく、あの子を倒すか追い払うしかない。そうしないと、乙女の大ピンチである。
すぅ、とエリサは息を吸い込み、小声で呪文を唱える。
「【炸裂球】っ!」
杖の先から、光の球が射出された。音と光で威嚇して逃げてくれれば、それでもいい。
だが、ケルベロスはそれを難なくひらりと避け、猛毒の粘つく唾液をエリサに吐き掛ける。
エリサは、空中に小さな魔法陣を描き、盾となる【障壁】を現出させる。毒液は【障壁】により弾かれた。と、それを見越したのか、ケルベロスは地面を一蹴り、空中からエリサに向かって飛びかかった。
「きゃっ」
ケルベロスの鉤爪も【障壁】によって防がれたが、衝撃と圧がエリサを襲う。
耐え切れずにエリサは後ろに倒れ、コテンと尻もちをついた。ケルベロスの獰猛な顔、獣がもつ、むわっとした生臭さがエリサの間近に迫る。
「っ…」
尻もちをついた途端、じわぁっと肌を濡らす嫌な感覚。脂汗がエリサの背筋を流れる。
(これは、やばいかもしれないです……)
エリサは、ごくり、と唾を飲み込んだ。
平日月・水・金の21時半更新です!
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