第26話 森の中へ
エリサが立ち直るまで、もう少し時間が必要だった。今はすっかり落ちついて、いつもの通りに戻っている。
「今は、8町から10町(約8~1000メートル)の間です。行ったり来たりはしてますけど、明らかに距離が増えなくなっていますね」
「もしかしたら、その辺に巣があるのかもしれない」
すでにミーシャは、森の中に獣道のようなルートがあることを見て取っていた。
これは日頃から同じところを通っていなければできないものだ。となれば、ゴブリンたちは、この奥に何かしらの拠点を持っていると考えてもおかしくない。
「エリサ、何か気配を消す魔法のようなものって、あるのかな」
「あるにはありますが、絶対に姿を見えなくする魔法はありません。静かにしていれば、ほとんど気づかれなくなるぐらいでよければ」
「においとか、温度とかはわかりにくくなる?」
「そうですね。【認識阻害】の魔法を使えばそうなります」
そういうとすぐに、エリサは2人に【認識阻害】の魔法をかけた。
「すごいね、魔法使いってなんでもできるな」
「でも、日に何度もいろんな魔法を使えるわけじゃないんです。魔力が切れたら、そこで今日はおしまいなんです」
「エリサはあとどれくらいなら使えそうなの?」
「わたしは、まだ全然問題ないですよ」
「頼りになるね」ミーシャはそういうとにやりと笑った。
「そうです。わたしのこと、どんどん頼ってもらってもいいですよっ……て置いてかないでください!」
ミーシャに褒められて、エリサはふんすと鼻を鳴らす。が、ミーシャはそんなエリサをよそに、森の中にどんどん入っていた。
森の中は、街道筋よりも茂みが多い。街道も整備されておらず、木こりや狩人も入ることがないのだろう、自然のままの姿を保っている。
「思ったより、岩場が多いな……転ばないように、気を付けて」
ミーシャは後から追いかけてきたエリサに向かって振り返る。
エリサは、少しおぼつかない感じで岩の間を歩く。
「山に近いからかな」
こぶし大から子どもの頭ぐらいまである石は、どれもごつごつしていて、ふつうに歩くのが難しい。
ゴブリンたちならさほど影響はないかもしれないが、人間が歩くのには厄介だった。
「これは……疲れる、かも、しれま、せんね」
まだ森に入って四半刻(約15分)も立っていないのに、すでにエリサは息が上がり始めている。
「距離は、まだ、7~8町はあります」
「うーん。でも、そろそろ警戒したほうがいいかな」
ミーシャは息切れ一つなく、あたりの様子をうかがった。なんとなく、生き物が生活している雰囲気がある。
不自然に折れた枝や、打ち捨てられた果実など、このあたりがゴブリンの生活圏に入っている感じがしてならない。
すると、木と岩の影から、3匹のゴブリンの姿が見えた。魔法の効果で、こちらには気づいていないようだ。
(いた! ゴブリンだ)
(何をしているんでしょう?)
ゴブリンたちは、地面に向かって何かもぞもぞと作業をしているように見える。
ゴブリンも簡単な工作程度はするぐらいの知性があるとわかっているが、この距離では何をしているのかつかめない。
2人は黙って、ゴブリンたちの様子を眺め続け、彼らがしばらくして立ち去ってもなお、警戒を緩めなかった。
「もう大丈夫だろう、行ってみよう」
ミーシャはゴブリンの気配がなくなったことを察知すると、慎重に彼らが何かをしていた場所へと向かって行った。
そこは、焦げ茶色の堅い土に覆われ、シダ類がまばらに生えているエリアだった。
「岩場だけじゃないのか……」
ミーシャはスカウトギルドで学んだセオリー通りに、慎重に探索を始めた。探索は、単に気になるところを片っ端から調べられればいいのではない。
必要があれば元に戻すし、罠も外さずそのままにすることもある。「だれかここを見たな」と相手に勘づかれてはならぬのだ。
(シダで何かを覆い隠しているな……)
ミーシャは手近にあった小枝を使い、気になる部分のシダの葉をめくった。
(ん?……これは!)
シダをめくった下、焦げ茶色の土に、何本かの黒く細い棒が突き立てられている。棒の先端は鋭く、不用意に踏めば、革靴ぐらいは貫通してしまいそうだ。
(土牙か……っ?)
ミーシャが知る限り、それは土牙と呼ばれる罠の一種だった。草むらなどに仕掛けておく。不用意な侵入者がそれを踏むと、足にけがをさせるしくみだ。普通はそれで驚いて声を上げるため、警報の役割にもなるし、けがを負わせることで、歩行を困難にする狙いがある。またもし土牙を相手に見つけられても、そこから先、同じような罠がどこに隠されているかわからないため、相手の行動を妨害する効果もある。
簡易でありながら、対人間用の罠としてはこれほど優秀なものはない。
(でも、ゴブリンが罠を仕掛けるなんて話……聞いたことないぞ?)
一方、エリサも不思議なものを見つけていた。
(ミーシャさん。こっち、草が結んであります)
地面から生えている短めの草が、いくつもわっかになるように結ばれていたのだ。しかも、周りには少し丈の長い草も生えていて、ちょっと見には気づかない。
(草絡めも……何か、おかしい)
草絡め。これも簡易の罠である。簡単に言えば、草の輪っかに足を引っかけさせて転ばせる罠だ。費用も掛からず、子どもでも作れる。軽装の者にはそこまでの効果はないが、重装歩兵など重量がある武装の者や馬などの動物にとっては、転倒は死活問題となる。
(エリサ。これは普通じゃない。気を付けないと危ないかも)
ミーシャは、思わずぞくり、と肌を粟立てた。こんなゴブリンがいるなんて、今まで聞いたこともない。
(どうしますか? 進みます?)
エリサが心配そうに眉を寄せ、ミーシャに尋ねた。
ミーシャは一瞬、(引き返すか?)とためらったが、
「行こう。できるだけ。でも慎重に。エリサを危ない目には遭わせないから」
しっかりとした口調で、ミーシャが答える。ミーシャの意志の強さが感じられる琥珀色の瞳が、まっすぐにエリサの淡い桃色の瞳をとらえた。
その途端、エリサはミーシャの瞳に吸い込まれたように、一瞬呆けたような表情になる。
「……エリサ?」
「だ、だいじょぶです! べつに、なんでもありません!」
ミーシャがいぶかしげな表情を浮かべると、エリサは頬を紅潮させて両手をバタバタ振った。
「……エリサ。あんまりバタバタすると、見つかっちゃうよ?」
「ごめんなさい」
たしなめられて、急にしおしおになったエリサの頭を、ミーシャはぽんぽんとなでる。
「落ち込まない。だいじょうぶ。行こう。ね、エリサ」
エリサはミーシャの言葉を聞いて、にぱっと笑って大きくうなずいた。
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