第21話 ゴブリンたちがやってきた!
そんな事件が起きていることなどつゆ知らず、やがて夜を迎えたミーシャたちは、親切な農家のもてなしを受けていた。
ヨーゼフ家が、近隣の2軒を招いて、ささやかな宴会を開いてくれたのである。
蕪やニンジンなどの根菜とキャベツを煮込んだクリームスープ、ごわごわした黒パン、干したタラを水でもどして塩と酢をかけたもの、作りたての新鮮なチーズなどに、自家製のはちみつ酒。いずれも粗末だが、心のこもった晩餐である。
厨房の焚火と何本かのろうそくによるほのかな明かりで、部屋の中は薄暗い。だが、その分、人々は寄り集まって食卓を囲む。
「村からゴブリン退治に、冒険者の方が来てくださったことを歓迎します」
ヨハンが集まった皆にそう告げると、皆の視線が2人に集まる。
「あ、えーと。はい。アタシはミーシャで、この子はエリサです。よろしくお願いします」
食事を始める前に、人々は、神に対して祈りを捧げ始めた。いきなり食べ始めようとしていたミーシャは手を止め、エリサはミーシャの様子を見て、それに倣う。
(食事の前に祈りを捧げたりするなんて、村を出てからしてないなぁ)
素朴で敬虔な信仰に生きる姿を、ミーシャは久しぶりに見て感じ入るところがあった。冒険者稼業に身を投じてから、こうした光景はほとんどご無沙汰だった。
「では、どうぞ召し上がれ」
ヨハンの合図を皮切りに、和やかな晩餐が始まった。
「ミーシャさんは、ランゲル村のご出身だそうですね。どういうところなんですか?」
隣家の、人好きのするおかみさんが、興味深げにミーシャに尋ねた。
田舎は娯楽が少ない。こうした旅人の話を聞くのは、とても刺激のあることだった。
「ランゲル村は、カンブレー伯爵領の南にある大湖沼地帯をさらに超えて、ずっと南にあります。そうですね、ここからだと、きっと2週間はかかるぐらいでしょうか。森はほとんどなくて、あっても林ぐらい。昔は森があったらしいんですけど、伐採しちゃったそうなんです。だから今は、草原ばかりで、それもかなり畑に拓かれている土地です。羊はあまりいなくて、豚を飼っているところが多いかな。アタシの家は、ごくありふれた農家でした」
「大湖沼地帯、沼とカエルばかりいる土地だと聞いたことがある」
「ですね。カエルと沼と、あとシビレウナギ」
「ご両親はご健在なんですか?」
「いえ。5年前に、流行り病で亡くなりました」
「あら、そう。それはご冥福をお祈りいたします。お若いのに大変でしたね」
この時代、死は人々の身近にある。災害、病気、戦争、魔物の襲撃。
「ええ。でも、冒険者として生きてたら、悲しむ間なんかなくて」
そういって、ミーシャは笑みを浮かべる。
「エリサさんは?」
話題を変えようと、おかみさんがエリサの方を向く。
エリサは根菜のスープをもぐもぐとほおばっていて、急におかみさんに話を振られ、「むぐ……」と唸ってから、
「わたし、生まれ故郷がどこかわからないんです」
これには座の一同が、「へぇ……」と唸った。
「旅芸人か隊商の子ってよく言われるんですけど、なんだろう、記憶があいまいで、気づいたときには師匠の家にいたんです」
農民は、生まれた土地に育ち、死んでいく。そのため、故郷への思いは強い。
そんな彼らに、エリサは「故郷を持たぬ人」として映った。
「子供の頃からお師匠様に育てられたのね。じゃあ、親代わりでもあるのかしら」
「たぶん……そんな感じじゃないかなと思います」
「お師匠様はどんな方なの?」
エリサは重ねてそう尋ねられると、「うーん」とつぶやき、
「ちょっと変わってるけど、優しい人だったような…感じです」
「ような感じ?」おかみさんが、不思議そうな顔で尋ねる。
「いやー……あのー……実は、師匠のこともあんまり覚えていなくて。顔も、ぼやぼや霞がかかった感じで、あまり思い出せないんです」
「名前だけは、覚えてるんだよね」
ミーシャがそういったので、エリサは大きくうなづき、
「ノルゲンシュタインの森のアルボフレディス、です」といった。
するとハンナが口をはさんだ。
「おやまあ。すると白魔女様と同じ名前だね。今から1000年前の英雄戦争のとき、勇者レオンハルトとともに魔王を討ち果たした、白魔女様」
「師匠がお酒を飲んで酔っ払ったときに、なんだかそういう話を聞いたような気がします」
エリサの言葉に、ハンナはやおらに額に手を当てた。そして、席を立つと、壁にかけてある小さな絵を持ってくる。
「うちはね、教会から白魔女様の聖人画を頂いたの。ずいぶん前に亡くなってしまった、ヨハンのお嫁さんが無事に【楽園】へ行けるようにって」
エリサは黒パンをむしっていた手を、手近なナプキンで清めると、ハンナから掌ほどの小さな額縁を受け取った。白いローブに白い髪、エメラルド色の瞳の女性の姿が描かれている。
「うーん、似ているような、似ていないような……」
「はは。まさかお嬢さんが1000年前の人を師匠にしているなんて、考えられないよ。もしかしたら、その師匠も白魔女様に憧れて、似たような恰好をしていたんじゃないかな。
うちはね、ブノア修道会の信徒なんだ。牧畜は森や草原とともに生きる暮らしだからね。たまに巡礼の方も泊まってもらうことがあるよ」
ヨハンはエリサの言葉を冗談だと受け取った。現に今でも、白魔女信仰は各地に残っている。
特に【ブノア修道会】という女性だけが出家できる一派が、各地に修道院を作り、祈りと瞑想、奉仕を重視した生活をしているそうだ。この宗派は、エリサが着ているような白いローブを修道女の証としている。
修道女たちは、巡礼や所要で旅するときは、各地の修道会だけでなく、信徒の家に世話になることがある。
「エリサさんは、ブノア修道会の修道女じゃないのかい?」
ヨハンが尋ねると、エリサは首をふるふると横に振る。
「よく言われます。でも、違います。わたし、祈りの言葉も知らないんです。それに、この服は師匠から貰ったものなんです」
「へえ、まるで聖女様かと思う雰囲気なのに、意外だね。ミーシャさんは見たところ、軽戦士か斥候なんだろうけど、エリサさんは?」
「わたしは……魔法使いです!」
「はぁー。女の子の魔法使いなんて、初めて見たよ」
そういって驚くヨハンの言葉をよそに、ハンナはエリサを真剣なまなざして見つめていた。
「あたしは、エリサちゃんが、この白魔女様の画に似ているような気がするよ。これも白魔女様の思し召しかもしれないね」
ハンナがそういった直後、外で牧羊犬が激しく吠える声が聞こえた。
「もっこさら、来たべか」
ヨーゼフが素早くそれに感づく。するとミーシャと、ヨハンたちが立ちあがる。
「邪魔が入った。お嬢さんたちはここで」
「いえ、行きます。戦いにはなれてますから。エリサはここで、皆さんといて」
「大丈夫です。わたしも……ちょっとはお役に立ちます!」
ミーシャの言葉に反して、エリサは鼻息荒く立ち上がった。
「じゃあ、ケガのないようにね」
ヨハンや隣家の男たち、そして2人は外に出る。防犯のため、夜間でも薪を燃やして明かりをつけていた。犬の吠え声は、ヨーゼフ家ではなく隣家から聞こえてくる。
「行こう、あっちだ!」
ミーシャがそういうと、エリサは口の中でもごもごと呪文を唱えると、手にした杖を掲げて振るった。
「ん?見えるぞ?」
ヨハンたちが驚きの声を上げる。ミーシャも一瞬戸惑ったが、急に夜の闇が夕暮れ程度に見えるようになったのを感じた。
「【夜目】の魔法です。しばらくの間はもちます」
エリサの言葉に全員が納得し、棍棒や農具などの得物をもって、一団は犬が吠え続ける隣家へと向かった。
土日はお休みで次話は月曜日に更新します(月・水・金更新)
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